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参加サークル:めがね文庫

文学イベント東京 参加サークル 「めがね文庫」の紹介ページです。

眼鏡男子の小説を書かれ、TL系を主に、恋愛文芸、BL、ホラー、キャラ文芸等、いくつかのTL系レーベルより書籍を出していらっしゃる作家、霧内杳様のサークルです。


■ 「お稲荷様に嫁ぎました!」

「契約の印だ。これで私から逃げられない」

ごく普通の女子高生、心桜が稲荷神である朔哉と結婚したのは高校を卒業した直後の18の誕生日。大人になれば朔哉と会えないと知ったからだった。神の世界で心桜は疎まれ、さらに朔哉の上司である宇迦之御魂神からはいじめられる。それでも心桜は持ち前の根性で頑張り、さらに朔哉も目一杯愛してくれ、幸せに暮らしていたが……。

A6(文庫サイズ)カバー付き204P


 私がその人と出会ったのは、小学校二年生の秋だった。
「悔しかったら取り返してみろ!」
 同じ学年の男子――幸太(こうた)が、私のランドセルから取ったキーホルダーを手に駆けていく。
「返して、返してって!」
 それは、前の小学校で仲のよかった友達がお揃いで、別れるときに渡してくれたものだった。
 少し前に都会から九州の片田舎に引っ越してきた私は、まったく周囲に馴染めずにいた。村にはコンビニなどなく、日用品から食品まで取り扱うスーパーという名の商店が一軒あるのみ。村の外に出ようにも、公共の交通手段は一時間に一本あるかないかのバスだけだ。一番近くのおしゃれな場所といえば、車で一時間以上かけて行く大型ショッピングセンターしかない。
「ほら、早く取り返さないと捨てるぞ!」
「ダメ! 返してっ!」
 幸太は次第に山道へと入っていく。私もその後を必死になって追った。
 引っ越した祖母の家が、古くて暗く、汚いのも私の不満のひとつだ。今なら味のある古民家だと喜べそうだが、小学生の私から見れば薄気味悪い家でしかなかった。電気を点けていても家の奥は暗く、そこになにかが潜んでいそうで私の恐怖を掻き立てる。この引っ越しが祖父を亡くしてひとりになった祖母を心配してのことだと理解はしていたが、不満しかなかった。あとから知ったが、そのときの母はパート先の人間関係からそれに付随する近所付き合いに悩んでおり、父はそんな母を思ってこの引っ越しを決めたらしい。まあ、そんな事情を知ったところで小学生の私は理解しなかっただろうが。
「返してって、それしか言えないのかよっ」
「大事なものなの! 返してっ!」
 あと少しで届く、手を伸ばすものの幸太はひょいっとかわしてまた先へ進んでいく。
「なんで返してくれないの!?」
 顔は汗と涙でぐちゃぐちゃ、散々走ったせいで呼吸も苦しい。それでもまだ、諦めなかった。
 不満たらたらで引っ越した小学校は、全校合わせても二十人もいなかった。父は先生によく見てもらえるからいいだろ、なんて言っているが、嬉しいわけがない。しかも私と合わせてたったふたりしかいない二年生の幸太は、意地悪だった。お気に入りの服に泥団子をぶつけられたり、私の髪から取ったリボンでザリガニ釣りをしたり。そして今日は、大事なキーホルダーを奪われた。
「ほら早く……あっ」
「あっ」
 指の先でくるくる回していたキーホルダーは幸太の指から外れ、飛んでいく。
「お、お前が早く取り返さないから悪いんだからな! オレ、しーらない」「あっ」
 幸太が私を押しのけ、その衝動で尻餅をついた。顔を上げたときには幸太の姿は遙か先にある。
「どうしよう……」
 キーホルダーが飛んでいった先に目を向ける。そこはうっそうと茂った藪だった。
「探さないと……」
 藪の中に入り、キーホルダーを探す。手足はすぐに傷つき、泣きたくなった。
「どこ、どこいったの?」
 半べそで藪をかき分けて探す。が、それはどこにも見つからない。しかも夢中になって探すうちに森の奥深くに入ったのか、辺りは暗くなってくる。「ここ、どこ……?」
 気がついたときには民家どころか道すら見失っていた。しかも不意に、ガサッと藪が揺れて音がした。
「ひぃっ」
 近くで動いたなにかが怖く、とにかく走って逃げる。走って走って……唐突に、どこかの家の裏に出た。
「え?」 山の中にこんな大きなお屋敷があるなんて聞いたことがない。けれどこれで家に帰ると安心した。
 人を求めてうろうろする。裏庭のようなところでなにかしている、巫女のような姿をした女の人を見つけた。
「あの……」
「ひぃっ」
 私が声をかけると彼女は袖で顔を隠し、一目散に逃げていった。
「どーしよー」
 さらに人を探すか悩む。こんな大きなお屋敷だ、彼女ひとりだけということはないだろう。さらに奥に進もうとしたら。
「くせ者はどこだ!?」
 ドタバタと数人、神主の普段着のような格好で狐の半面を着けた男がこちらへ駆けてくる。これで助かったと思ったものの。
「たたき切ってくれる!」
 私を取り囲んだうちのひとりがスラリと刀を抜き、大きく振りかぶった。
「ひぃっ。……う、うわーん」
「……なんだ、騒々しい。ゆっくり本も読めやしない」
 殺される、そう思った瞬間。その場に似つかわしくないほど、のんびりとした声が響いてきた。白シャツに黒パンツ姿の若い男は、まるで手品のように空中から狐の半面を出して嵌め、こちらへ歩いてくる。その男の登場に、目の前の男たちも、それを遠巻きに見ていた人々も一斉に道をあけ、恭しく頭を下げた。
「人の子など百年ぶりくらいか」
 私の前に立った男は膝をつき、その長い人差し指で私の顔を上げさせた。「ん? 宜生(よしき)に泣かされたか。可哀想に」
「朔哉(さくや)様!」
 朔哉と呼ばれた男が片手で制し、怒鳴った男は口を噤んだ。
「どうした? 恐怖で声も出ないか」
 楽しそうに目を細め、朔哉はくつくつと笑っている。
「……綺麗」
「ん?」
 面の奥から私を見つめる瞳は、夜空のような群青と、満月のような金だった。それが、さらさらと揺れる黒髪と相まってとても美しく見えた。
「お兄ちゃん、凄く綺麗だね!」
「無礼だぞ!」
 思わずぐいっと身を乗り出した私を男たちは取り押さえようとしたが、朔哉にまた制されて仕方なくやめた。
「そうか、綺麗か。……気に入った。傷の手当てをしてやれ」
「しかしながら!」
 朔哉が私の頭をぽんぽんして立ち上がり、また周囲がざわめいた。
「……私の決めたことになにか異論があるのか」
 冷え冷えとした彼の声で周囲の空気が一瞬にして鋭利なものに変わる。少しでも動いたら、皮膚が切り裂かれてしまいそうなほどに。
「……ありません」
「なら、よかった」
 にっこりと朔哉が笑い、ほっとその場が緩んだ。
 あきらかに嫌々だとわかる様子で、狐の半面をつけた女性が手足にできていた傷の手当てをしてくれた。
「その……」
「……」
「あの……」
「……」
 手当てをしてくれた女性も、私を案内してくれる男性も、一言も話してくれない。ほかの部屋は和風なのに、通された部屋はお姫様が住んでいそうな洋風の部屋だった。
「腹は空いてないか」
 返事をする代わりにお腹がぐーっと鳴った。朔哉にくすくすと笑われ、恥ずかしくて顔が熱くなってくる。朔哉が合図をするとすぐに、私の前にいなり寿司とお茶が置かれた。
「食べながらでいい。名前は? どこの子だ?」
 ぱくっと食いついたいなりは、いつも祖母が作ってくれるものよりも揚げがずっとジューシーで、本当に頬が落ちそうだ。
「奈木野(なぎの)心桜だよ。夏休みにお祖母ちゃんの家に引っ越してきたの」
「奈木野の家の子か。そういえば修一(しゅういち)に嫁いできた女には少し、力があったな」
 長い足を組み、ソファーの背の向こうへ片腕を落とした朔哉は、きっと狐面がなければ絵本の王子様に見えるだろう。
「お祖母ちゃんを知ってるの?」
「まあな」
 お茶を啜る朔哉は、酷く絵になった。思わずぼーっと、見とれてしまうほどに。
「ねえねえ。なんでお面なんかで顔を隠してるの? ないほうがいいのに」
「これか?」
 彼の綺麗な右手が、面に触れる。
「……この下にはお前など、一目見ただけで気絶してしまうほど恐ろしい顔が隠されているのだ」
 くっくっくっと喉の奥で、愉しそうに朔哉が笑う。それは本当に食ってしまわれそうで魂の底から冷え、ぶるぶると身体が震えた。
「……なーんて冗談だ。私も、ここのモノたちも、ある事情があって面が必要なのだ。絶対にふざけて外そうなんて思うなよ」
「……うん」
 すっかり怯えてしまった私を、朔哉はおかしそうにくすくすと笑っている。どこまでが本気で、どこまでが嘘かわからず、とにかく面ことには触れないようにしようと誓った。

< 続く >


■ 「網代さんを怒らせたい」


 朝の出勤時。会社最寄り駅前の信号で、いつものおじさんが見えた。おじさんは目が不自由らしく、白杖を持っている。さりげなくその隣に立ち、信号が青に変わるのを待つ。少しして車が止まりだし、歩行者用信号が青になる。
「あ、変わった」
 独り言にしては少し大きな声で言い、歩きだす。隣のおじさんも一拍おいて足を踏み出した。それを視界の隅で確認し、そのままさりげなく気を配る。おじさんも信号を渡りきった時点でひとり頷いた。
 ……今日もミッション完了、と。
 そこからは足を速め会社へ急ぐ。これは私の毎日の日課のようなものだ。白杖のおじさんに気づいたのは夏が過ぎた頃。毎朝、信号が青になってもわからず、タイミングが遅れて他の人から邪魔そうにぶつかられているおじさんになにかできないかと考えた結果だ。ただの自己満足だとわかっているし、おじさんに感謝してほしいとは思っていない。ただ、私の少し大きな独り言が、人の役に立っているならそれでよかった。
「おっはよーございまーす!」
 出社したら数人が話していた。その中に一週間ぶりの顔を見つけて、嬉しくなる。
「あ、西沢(にしざわ)さん、おひさしぶりでーす! 新婚旅行、どうでした?」
「もうすっかりラブラブさせてもらっちゃった。これ、お土産」
 だらしない顔で彼は私に小さな紙袋を渡した。同じデザイン部の彼は先日、結婚したばかりだ。早速取り出した中身は、新婚旅行先のオーストラリアらしくカンガルーのボールペンだった。こういう微妙なラインを攻めてくるあたり、西沢さんらしいというか。
「そういや市松(いちまつ)、知ってる?」
 一緒にいた網代(あじろ)さんが得意げに銀縁オーバルの眼鏡を上げながら話しかけてくるが、それは華麗にスルー。ちなみに西沢さんは私服だが、網代さんはスーツだ。会社は私服通勤OKだけれど、営業となるとそうはいかないらしい。私はと言えば無難なブラウスにスカートなんて格好でいつも済ませていた。
「なあ、市松って」
 さらに私を〝市松〟と呼ぶ網代さんを抗議の目で黙って睨む。しかし彼にはまったく効いていないどころか、私の反応を愉しんでいるようでニヤニヤと笑っていた。
「ま、いいや。オーストラリアと言えば最近のカンガルーはゴミ拾いをするから、お腹の袋の中はゴミがいっぱいで子供が入れなくて困ってるらしいよ」
「ええっ、そうなんですか!?」
 驚きの事実を教えられ、無視できなくなる。そんなの、知らなかった。ゴミ拾いするなんてカンガルーって偉いんだ。見る目が変わっちゃう。
「カンガルーだってゴミ拾いするんだから、人間がその辺にポイ捨てしちゃダメですよね」
「そうだよな」
 あとでカンガルーの画像をググってみようかな、とか思っていたら、西沢さんの肩がぷるぷると小刻みに震えているのに気づいた。
「……ごめん、もう限界」
 苦しげにそれだけ呟いた途端、彼が本当にお腹を抱えて笑いだし、呆気にとられる。しかしすぐに、現状を理解した。
「……また騙したんですね、網代さん」
 強く握った拳がぶるぶると震える。
「騙される市松が悪いよな」
 しれっとそれだけ言い、網代さんは手にしていたカップを口に運んだ。
「網代さんなんて大っ嫌い!」
 子供のように怒りを爆発させ、自分の席へ行く。網代さんはいつもそうなのだ、私に嘘を教えてからかっている。素直に信じる私もバカだと思うが、わかっていても信じてしまう。それに嘘だと警戒していたら、さらに罠を仕掛けてあるからたちが悪い。
 そのうえ私を〝市松〟と呼ぶのが嫌だ。私の名前は市松ではない。しかし黒髪でぱっつん前髪におかっぱあたまが市松人形に似てなくもない。しかも〝和倉(わくら)千代子(ちよこ)〟なんて古風な名前なおかげで、小さいときのあだ名も市松だった。さすがに大きくなっていくにつれてそう呼ぶ人はいなくなったが、なぜか社会人二年目の二十三歳になってまた、そう呼ばれている。──網代さん、ただひとりに。
「千代子ちゃん」
 夏音(なつね)さんに呼ばれて顔を上げる。
「カフェの方、どう?」
「あっ、はい。クライアントと意見のすりあわせ中なんですけど、なんか伝言ゲームになってて上手くいかないんですよね……」
 ……今日、夏音さん出社してたんだ。
 隣に立った夏音さんからはいい匂いがした。香水とかじゃなく、優しいお母さんって匂い。夏音さんは天倉(あまくら)社長の奥さんで、デザイナーをしている。去年の秋に子供が生まれてそれからは在宅で仕事をしているが、ときどきこうやって出社してきた。姉御肌で面倒見がよくて、私の憧れだったりする。
「うーん、クライアントは老夫婦だっけ?」
「はい。施工主も依頼人も老夫婦の旦那さんの方なんですけど、真の依頼主はその息子さんだそうで。いまは海外にいるらしくて、連絡が取りづらいんですよね」
 老夫婦とは何度か話をしたが、「これは私たちの意見で、息子はどうしたいのかわからない」と必ず言われた。オープン予定日だけは決まっているので早く着工したいらしいが、その息子さんがいなければ話も進められない。しかも息子さんはブラジルの山奥に最高のコーヒー豆を探しにいっているらしく、いまどき海外でも携帯が繋がる時代なのに連絡は週に一度程度しかできないという。
「そっかー。息子さんが帰ってくるまではちょっと難しいかな」
「ですよね……」
 初めてひとりで任せてもらえた仕事だけに張り切っていたが、出だしから躓いて悲しい。
「まあ、帰ってきたらきっと忙しくなるんだから、いまのうちに休んでやる気を溜めようよ。期日が厳しくなってきたりしたら私にでも社長にでも相談してね」
「ありがとうございます!」
 にっこり笑った彼女は、女神に見えた。やっぱり、夏音さん優しい。仕事の評価も高いし、私もいつか彼女みたいになりたいな。
 今日は夏音さんに会えたし、最高の日だ。朝、網代さんにからかわれたのなんて忘れて仕事をしていたら、誰かが横に立った。
「市松」
 顔を上げなくったって、誰かすぐにわかる。返事をしないどころか視線すら向けない私に、その人──網代さんがはぁっとため息をつく。
「これ」
 目の前にいきなり紙袋が出現し、思わず彼を見上げていた。
「やる。じゃあ」
 キーボードの上に紙袋を落とし、網代さんはさっさと去っていった。
「なんだろう……?」
 変なものが入っているんじゃないかと警戒しつつ、袋を開ける。
「うわっ、『ピエル・アンリー』のマカロンだ!」
 袋の中身を確認して、一気に機嫌がよくなった。ピエル・アンリーはフランス人有名パティシエの名前で、お店の名にもなっている。一番の売りはマカロンだ。
 席を立ってうきうきとお茶を淹れる。戻ってきてマカロンを食べた。サクサクとした生地と、挟まれたピスタチオのガナッシュの相性はとてもいい。袋に入っていたふたつを完食し、お茶を飲んで一息ついたところではっと我に返った。私はまた網代さんにからかわれて非常に腹を立てていたのだ。なのに、ヤツからもらったお菓子でまったりしてしまうなんて。
「くっそー」
 大好きなお菓子で嫌なことをすぐに忘れてしまう自分が憎い。いや、美味しいお菓子に罪はないのだ。単純な私は次は騙されなかったらいいんだしと軽く考え、仕事を再開した。

 網代さんが私が勤めている建築デザイン会社『Sky(スカイ)End(エンド)』に入ってきたのは、年明けすぐだ。最近事業が拡大し、営業をもうひとり雇おうという話になって中途採用で入ってきた。私はデザイン部、あちらは営業部と部署が違うとはいえ、三十人ほどしかいない小さな会社、オフィスもビルのワンフロアなので顔もよくあわせるし、話もする。
 最初のうちは網代さんの方が四つ年上といってもこの職場では私の方が長いし、それに彼の前職は全然違う異業種だったので、「気軽になんでも聞いてくださいね」なんて先輩風を吹かせていた。しかし一週間くらいたったある日。
「市松」
 その名で呼ばれた途端、口端がぴくぴくと痙攣する。
「……あ、すみません。間違えました」
 口でこそあやまってみせたが、言った本人──網代さんはまったく悪いと思っている様子がない。
「市松ってなんですか!」
 もう忘れていたコンプレックスを掘り起こされ、思わず食ってかかっていた。
「市松人形みたいな見た目だから市松。あと、名前も市松人形っぽいから」
 網代さんは完全に真顔で、笑うなり逆ギレするなりされた方がまだいい。
「私は市松じゃありません!」
 私は激しく怒っているというのにやっぱり網代さんは真顔で、それ以上口をきく気になれなくてその日はそれ以降、無視をした。
 しかし翌日からも。
「市松。……あ、間違えた」
 網代さんはずっと私を市松と呼んでくる。するりと口から出てくるあたり、きっとかなり前から陰で私を市松と呼んでいたに違いない。大人げなくずっと無視を続けていたら最終、……お菓子で懐柔された。うん、自分でもチョロすぎるとは思う。でもさ、セレブ御用達『Clarte(クラルテ)』のケーキだったんだよ? 仕方ないよね。
 それから網代さんは私に対して敬語が取れ、市松と呼び続けている。そのうえ、あのようにしょっちゅう嘘を教えてからかってきた。私はと言えばそれにへそを曲げながらも毎回、美味しいお菓子で誤魔化されているというわけだ。

「市松ー」
 仕事が終わり、駅に向かっていたら後ろから網代さんが追いついてきた。無視を決め込み足を速めるが、身長と足の長さは比例しているので当然、歩幅もそれだけ違う。必死に私がちょこまかと足を動かしたところで、背の高い網代さんは余裕で着いてきた。
「なあ。明日は暇か?」
 返事すらしない私にかまわずに、網代さんが話しかけてくる。明日の休みはなにも用事がないけれど、それを彼に教える義務はない。
「だーかーらー。明日はなにか用事があるのかって聞いてるだろ?」
 さらに彼は聞いてくるが、完全無視で歩き続ける。できるなら振り切りたいが、走ったとしてもすぐに追いつかれそうだ。
「市松ってばさー」
「は!?」
 いきなり、視線が高くなり変な声が出る。気づいたら網代さんの腕に腰掛けさせられるような格好で、抱き抱えられていた。
「……下ろしてもらえます?」
 レンズの奥の細い目をじろりと睨み上げる。しかし彼は涼しい顔でまったく効いていない。
「だって市松の顔と距離が遠いから、もしかした声が聞こえてないんじゃないかなー、って」
「うっ」
 それは前例があるだけに反論できない。会社でもしょっちゅう、私が話しかけても網代さんが気づかないという事案が発生していた。なにせ三十センチ以上身長差があるものだから、降ってくる彼の声は私には聞こえるが、私の声は注意しないと彼には届かないらしい。
「携帯! 携帯で話したら大丈夫だから、とにかく下ろして」
 道行く人が私たちを見てくすくす笑っていて顔が熱くなる。
「了解」
 それで納得してくれたのか、網代さんはすぐに私を下ろしてくれた。速攻で鞄から携帯を出し、彼にかける。すぐに隣から着信音が聞こえてきた。
「これでいいですよね?」
「隣にいるのに携帯で話しているなんて間抜けじゃないか?」
 網代さんの声はダイレクトに聞こえてくるので、携帯は耳に当てずに口もとへ持っていく。間抜けって、聞こえないんだから仕方ないじゃない! なんてツッコミは心の中に留めておいた。
「で、なんの用ですか?」
 会話の手段は確立したので、また歩きだす。
「明日は暇か?」
「暇だったとしたら貴方になにか関係あるんですか?」
 私の声はどこまでも冷たいが、網代さんはまったく気にしていないようで普通に話を続けてくる。
「暇なんだな。なら明日、新池(しんいけ)駅に十一時集合」
「……は?」
 思わず足を止め、彼を見上げる。すぐに彼も立ち止まった。
「なんで休みの日に貴方と待ち合わせなんてしなきゃいけないんですか!」
 噛みつきつつ、二歩先の彼のもとへ急ぐ。私が隣まできたのを確認し、彼もまた足を動かした。
「うるさいなー。市松がこのあいだ、携帯で見ながら涎垂らしていたあのパフェ奢ってやるから黙って付き合え」
「涎とか垂らしていません!」
「そうだっけ?」
 とぼける彼にイラッとする。
「とにかくそういうことで明日、待ってるからなー」
 気がついたら駅に着いていた。そのまま私にそれ以上なにも言わせずに、さっさと網代さんは駅に入っていく。
「ちょっと……!」
 さらに抗議しようとするが、通話はすでに切ってあった。リダイヤルしようとして手が止まる。これ以上、彼と不毛な会話を続けたくない。そもそも、話す気なんてなかったのだ。なのに。……ちょっと待って。もしかして、まんまと網代さんの策略に乗せられた? きっとあそこで抱き抱えられたりしなければ、無視を続けていただろう。
「くっそー」
 毎度ながら本当にムカつく。明日、絶対に行かないと心の中で固く誓った。

 翌日。パソコンで映画を観ながら携帯の時計表示を何度も確認してしまう。もし、私が行かなかったら網代さんはどうするのだろう。嫌いだし、敵だけれど、私のせいで彼が困るのはなんか嫌だ。
「ああもう! 行けばいいんだよね、行けば!」
 迷いを振り切るように勢いよく立ち上がる。クローゼットを開けて服を選んだ。さすがに、家着のピンクのスウェットでは行けない。どうしようか悩んで、通販で届いたばかりの服にした。そうだ、今日はこの服を着るために出掛けるんだ。あと、パフェのため。
「ちょっと出掛けてくるねー」
 リビングでテレビを観ていた母に声をかける。
「あんたまた、そんな服買ったの?」
 私の格好を見て母は呆れていた。そんな服って、着物風のブラウスに袴風のスカートのどこが悪い?
「別にいいでしょ。いってきまーす」
 母のせいでちょっと気分は悪くなったのでさっさと家を出る。私の私服のほとんどは、和風や中華風の服で占められていた。コスプレとかからかう人間もいるけれど、私はこれが好きからかまわずに着ている。
 新池駅に着いたものの、どの出口かとか聞いていない。人の邪魔にならないところに避けて携帯を取り出し、NYAIN(ニヤイン)で網代さんにメッセージを送る。ちなみに NYAINとは猫のマークが可愛い、SNS連絡ツールだ。
【着きましたけど、どうしたらいいですか?】
 画面を見つめていたらすぐに既読がついた。少し待つと返信が上がってくる。
【どこにいる?】
【東改札を出たところです】
【迎えにいくから待ってろ】
 OKのスタンプを送り、そのまま待つ。さほどたたず、遠くに網代さんが見えた。背が高いからすぐにわかるんだよね。私服の彼はライトグレーのパンツにVネックの白カットソー、それに黒のスウェットジャケットを羽織っていて、お洒落ではあるけれど無難な感じだ。
「へぇ」
 私の格好を見て、彼の感想はそれだけだった。しかも真顔だからリアクションに困る。なんと返そうかと考えていたら、さりげなく背中に手を回された。
「じゃあ行こうか」
 そのまま、促してくるが。
「どこに連れていかれるんですか?」
 十一時に駅に集合とは聞いたけれど、それ以外はなにも聞かされていないので不安になる。
「いいからついてこい」
「あっ」
 私の手を掴み、強引に網代さんは歩いていく。しかし歩みはゆっくりで、私にあわせてくれていた。
 着いた先は普通のカフェでほっとした。網代さんは店員の案内を待たずにさっさと店内に入っていく。
「お待たせ」
 そう言って私を奥へと追いやって座らせた席には、向かいあって私の両親とさほど年の変わらなさそうな男女が座っていた。いったい誰だろうという私の疑問に答えるように、網代さんが紹介してくれる。
「僕の両親だ」
 状況がまったく理解できない。なぜ私はいま、網代さんの両親と対峙している? なんていう疑問もすぐに、解決した。信じられない答えだったが。
「こちら、僕が結婚しようと思っている和倉千代子さん」
「……は?」
 思わず変な声が出て、ご両親が怪訝そうな顔をする。笑って誤魔化しはしたものの、〝結婚しようと思っている〟って私たちは付き合ってすらいない。それどころか仲が悪いくらいだ。……いや、私が一方的に嫌っているだけだけれど。
 どういうことか網代さんの太ももを思いっきりつついたら、手を掴まれた。しかもそのまま指をへし折られそうな勢いで、おとなしくする。そのうえ。
「立生(たつき)に結婚を考えるような相手ができてよかった……!」
 ご両親は感激し、いまに泣きそうだ。お母さんにいたってはハンカチで目尻を拭っているし。
「これで安心だろ?」
 笑った網代さんはいかにも胡散臭いが、ご両親はふたり揃ってうんうんと頷いた。
 微妙な気分でランチを食べる。ご両親は嬉しくて仕方ないのか、にこにこしっぱなしだ。網代さんも同じく笑顔だが、完璧な営業スマイルだった。ご両親相手にそんな顔なんて……って、騙しているんだからそうなるか。私はと言えば曖昧な笑みを貼り付け、適当に相槌を打っていた。
「千代子さんとはどこで知り合ったの?」
 興味津々といった感じでお母さんが聞いてくる。

< 続く >


「お稲荷様に嫁ぎました!」1000円
「網代さんを怒らせたい」500円
は、文学イベント東京 販売予定作品です。

参加希望者(WEB作家さん・イラスト描きさん・漫画家さん)は以下でチケットを購入ください。


遊びに来たい方、作家の作品を買いたい方はこちら。


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