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中国山地で和牛が盛んに飼育されていたことの意味

中国山地と和牛。かつて和牛は、中国山地に暮らすの農家の多くで飼育され、人々の暮らしにおいて欠かせない存在だったのは間違いありません。
 
奥出雲のような放牧に適した山間部では、和牛が多数飼育され、農家の経験に基づいて盛んに和牛の改良がおこなわれて、優良な牛を生み出してきましたし、それを象徴するかのように、たぶん奥出雲で最も交通量が多い交差点には、牛の銅像が置かれています。
 
一方で、重要な役割を果たしていた割には、史料的な制約や、特に横田町誌を編纂した時代は、牛を飼う慣行が一般的にみられて、まだ「歴史」になっていなかったせいか、町誌などでは畜産に対して割かれているページ数は少なく、全容がつかみにくいという難点があります。
 
中国山地の和牛の歴史について体系的に書いた本は、とても少ないのですが、島根大学の板垣先生のこの著書は、中国山地において和牛が果たしてきた役割を知るうえで最適だと思います。
 
先人たちも、今を生きる私たちと同じように、今日を生き、明日の暮らしを一歩でも改善しようとしてきた。その手段の一つとして、和牛預託慣行は機能してきたと言えるのかもしれません。