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【何の変哲もない生き事を想うエッセイ】やさしいひかりをもとめて


当たり前に思うことですが、朝と昼には太陽のひかりがあります。
当たり前に思うことですが、夜には星と月のひかりがあります。

あの頃、天災で停電になった時、本当に不安でした。特に夜の時間帯は。
その時、屋根の下では、100均で買い置きしていた数本のライトに助けられました。信号機も曲がって壊れて光らない夜、街灯もつかない夜。どうしても外に行かなくてはならない時の月のひかりは、とてもありがたかったひかりです。

停電が復旧して、ある程度心も落ち着いた日に気づきました。
私たちの生活に太陽と星と月があってよかったな。
100均ライトの買い置きがあってよかったな。
そして改めて、電灯や信号、そのほか、当たり前のようにあった、暮らしに必要なひかりのありがたみを噛み締めました。

にんげんは、たきびのひかりや電気のひかりを発見しました。そして、生活に広げてゆきました。そして今や、ひかりは観て楽しむアートの世界にまで発展しました。大自然の太陽や月には及びませんが、これはにんげんの大発見のひかりだと。

にんげんの手でつくられたひかりは、にんげんの手で守られています。天災の停電の日の懸命な復旧作業により灯されたひかりの、あのかがやき、あの安心感。この先も忘れることはないでしょう。

いいことばかりではなく、ギラギラと着飾られた電飾の光るビル街の一室、偉くなったと勘違いを起こして、違法だったり、人の道を離れた行為をする人もいます。また、あまりにも明るすぎる街のひかりで、感じたくない孤独を押し付けられたような、そんな気持ちにさらされる人もいます。

太陽のひかり、月のひかり。そしてにんげんの発明したひかり。それは、どれも大切な私たちのひかりです。

真昼の太陽のひかりはパワフルで、元気をたくさんもらえると思いますが、季節の変わり目に心の不調を訴える、私の知っている人は、自分はカーテンを閉めて入ってくるくらいのひかりが丁度いいのだと言いました。

物思いにふける日、静かな夜の窓からの満月の光は、とても落ち着くからいいと思ったりもしますが、人によっては、明るめのルームランプが必要だったりします。

生きていく上で、水と同じく、いのちにひかりは欠かせません。

にんげんにも心があります。そのつど、そのつど、もとめるひかりも変わるのだと思います。なので、常識だといわれることの押し売り。知らない間に土足で相手の心に入ってしまっていないか。そう考えることも大切だなと思いました。

華やかに照らされるひかりの中、にんげんは大きな間違いを起こしまうこともありますが、その時間、その場所で、一番輝いているものや、一番大きなものから発するひかりがこの世で一番上等なものだと、太陽や月が思っているとは、私には思えません。むしろ、あなたがたが作り上げたひかりを見守っていますよと輝いているように思えるのです。

にんげんには、更にもう一つ、みえないけれど、あたたかいひかりがあります。寂しいとき、何も言わずによりそってくれる人の肩先のぬくみ。いつでも聴きたいときに聴くことのできるラジオのような、遠くから、近くから、そっと、誰かを思いやる言葉。寂しい気持ちにつながった瞬間、ぽっと、胸の中にやさしいひかりが灯るのです。

生き辛い世の中、結局、にんげんが一番もとめているものは、心の中を照らしてくれるやさしいひかりなのだと思います。

朝を知らせてくれる朝のひかり。日中の生活に寄り添ってくれる昼のひかり。そして、闇を照らしてくれる夜のひかり。見守ってくれているように光ります。みんな、とどかない高い空の上にあります。

たくさんの人の手を渡って、それぞれの暮らしにとどけられたひかり。一日のおわり、一軒一軒の一室で、誰かのゆびで灯されたひかりは、夜道を行く誰かの不安をやわらげているかもしれません。

人間の生活のひかりの空も、人のあたたかい気持ちを強く感じた日には、高い空や、その空に暮らしている人たちと、どこかでつながっている、そんな気持ちにもなります。

町中に灯された生活のひかりは、見渡すと大空のようです。








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