うつと闘わないシングルファーザーのメンタル術

ひさしぶりに買い物に出かける。なにを買おうとしていたのかは覚えていない。休日の街は人が多い。うつむきながら歩く。通りすぎる人々の声がノイズとなって耳に入ってくる。言葉としては認識できない。一瞬だけ顔を上げる。まわりの動きがスローモーションのように感じる。何人かこちらを見ている気がする。この中に他人の心を読む能力者がいる。心を閉ざしふたたび顔をふせて歩きだす。立ち止まろうとする足を無理やり前に出し続ける。はやくここから離れたい。

当時の僕にとって心が落ち着く場所など存在しなかった。自分の部屋もしかり。この部屋のどこかに盗聴器が仕掛けられている。落ち着いてはいられない。声にならない声が出てあわてて口をふさぐ。ぜんぶ聴かれている。頭から毛布をかぶって息をひそめる。ついた病名は統合失調症。ちょうど精神分裂病から統合失調症に名前が変わったころだったと記憶している。その後、服薬の効果なのか定かではないが、これらの症状はしだいになくなっていった。一方で併発したうつ症状とは長く付き合うことになる。

精神科にはもう10年以上は通っているだろうか。途中で勝手に通院しなくなった時期が何度かあったのだけど。ずっと飲み続けている毎食後の精神安定剤。もう必要ない気もするのだけど急にやめると離脱症状がひどい。医師の指示にしたがって量を調整している。就寝前の睡眠導入剤は必須だ。飲まなければ眠れないまま朝を迎えることになる。気分の波はシングルファーザーになってからは落ち着いている。ときどき落ちることはあるのだけど、概ねうまく付き合っていけていると言えると思う。

最後に来た大波はやはり離婚前後の時期だった。当時はベンチャー企業で自社製品の開発と販売をしていて、実績の出ない苦しさというのがあった。それだけなら問題はなかったのだけど、壊れていく家庭をなんとかしながらというのは難しい。仕事が手につかない時期。逆に現実逃避して仕事に打ち込む時期。そして離婚。仕事をしながら家事育児をすべてひとりでこなさなければならなくなった。いきなり心が折れかけた。

ベタな表現ではあるけれど、とにかく嵐のような日々が続いた。どれくらいで乗り越えたのだろうか。はっきりとは覚えていない。けれども嵐の向こう側には平穏な日々が待っていた。いや、状況は変わっていないのだからまだ嵐の中にいるのだろう。嵐の中でも安定して航海するすべを身につけたというところだろうか。多少のことでは動じない。これだけ大変なのにいつも飄々としているね。と精神科医も驚く。縁もゆかりもない土地への移住も飄々と乗り越え、帰ってきたら今度は起業だ。メンタル面のレベルがかなり上がっているのを感じる。どうやってレベルが上がったのか。それにはいくつかの考え方のシフトがあった。

子ども3人を育てるシングルファーザーとして、これまで通りの生き方ではいけないことを悟った。生きる目標自体を変えなければならない。死ぬまで生きる。それが人生の目標になる。日々の生活はサバイバルになった。生き残ること。それが目標。生き残ることが目標であれば、それ以上のことはしなくていい。夢や希望は必要ない。もちろん夢や希望はすばらしいものなのだけど、それに固執して苦しむ必要はない。まずは生き残ること。夢や希望はその土台の上に存在する。余裕ができたらそれらを追えばいいのだと思う。

強くなりたい。ずっとそう思っていた。強くなれば苦しまなくてすむ。けれども現実は違った。強ければ折れる。ひとりで子どもを育てるとうことは、絶対に折れてはいけないということを意味する。僕が折れてしまっては子どもたちは生きてはいけない。必要なのはしなやかさだ。強ければ折れる。しなやかであれば曲がるけれども折れない。しなやかであるということは、常識や思い込みにとらわれずに柔らかく考えるということだ。子どもが常識はずれのことをする。自分自身も常識通りには動けない。でも、それはいったい誰の常識だろうか。「〜でなければならない」「〜しなければならない」とうのは思い込みにすぎない。そういった固定観念をしなやかにやりすごす。

折れないためには、自分自身によけいな負担をかけないほうがいい。多少洗濯物がたまっていてもいいし、部屋が散らかっていてもいい。ときには料理を手抜きしてもいい。完璧にやろうとすると負担がかかる。子どもを聖人に育てようなんて、不可能だと思っている。子どもはコントロールできない。コントロールできない対象をコントロールしようとするのは負担が大きすぎる。ありのままの子どもたちを受け入れる。最低限のルールだけ決めておいて、それだけを守ってもらう。わが家では他人に嫌な思いをさせるのはルール違反だ。僕はこれまでたくさんの人たちに助けられて生きてきた。他人とよい関係が築けていれば生き残れる可能性は高まるはずだ。そういったルール違反をしない限りはたいていのことは大目にみる。子どもを叱る、腹をたてるという行為もまた自分に負担をかけることになるからだ。

一病息災という言葉がある。昔は無病息災と言っていたのだけど、長生きするようになって誰もが病を抱えて生きるようになった。そして無病よりも病気を持っている人の方が体に気をつけるのでかえって健康でいられるという。それが一病息災だ。同じことがメンタル面でも言えると考えている。うつと付き合っているからこそ、自分のメンタルに気をつける。メンタルの強い人がある日突然ドン底に落ちるケースもある。人それぞれなので一概には言えないけれど、気をつけておけばドン底まで落ちずにすむことも多いのではないだろうか。

気をつけるとは具体的にどうするのか。まずは自分の精神状態をただ観察する。イラッとしたときに自分がイラッとしていることに気がつけば、その感情は対処することができる。気がついただけで治ることも多い。同じように精神的に調子が悪いときに、それに気がつくことが大切なのだと思う。ふだんから自分の精神状態を観察していれば異常に早く気がつくことができる。早く気がつけば対処は可能だと思う。

調子が悪いことに気がついたら、そこから無理をしない。やるべきことを減らす。家事であれば、火を通すだけで食べられる食料を買い込んでおく。仕事は複雑に頭を使うタスクを避けて淡々と進められるタスクを用意しておく。それから、調子を崩すことに罪悪感を感じないようにしたい。脳の化学物質の問題だ。身体の疲れと同じ現象だ。歩き疲れたら休むのと同じように、心の調子が悪ければ休む。休めば回復する。それには早ければ早いほどいい。

飄々と生きているとはいえ、シングルファーザー生活は気づかないうちにストレスがたまっていく。調子の悪い時期はかならず訪れる。けれども早期発見できればどうにでもなる。調子の悪さを調節して休日に底を持ってくるという技まで身につけてしまった。そして不調のときには無理やり元気を出そうとしないのも肝心だ。身体が疲れているときに無理して動いても疲労が回復しないのと同じだ。回復したように感じても実際には疲れはとれていない。僕の場合はその時々で対処方法は違うのだけど、畳の上に転がっていることが多いかもしれない。

調子の悪さに気がつかなかったり放置していると、そのうちに対処不能に陥ってしまう。逃げ出すべきなのに逃げられなくなってしまう。ブラック企業から逃げられない精神状態と同じかもしれない。シングルマザーとその貧困に関する書籍や記事をよく読むのだけど、うつ状態のために働くことができずにうつと貧困のスパイラルにはまってしまっている人が少なくないようだ。そこまでいくと僕が言うような考え方のシフトという話では到底どうにもならない。第三者の援助がなければ自力で抜け出すことは不可能だと思う。

10年以上うつと付き合ってきて、さらにひとり親で多子世帯。一歩間違えば転落してしまう状況にいると自覚している。それでも不思議と不安はない。先のことは考えないことにしているし、たいていのことでは心が折れない自信もついた。子どもたちの笑顔は、いまの生活が間違っていないと教えてくれいるような気がする。それに、ひねくれ者だからいいことは書きたくないのだけど、まわりの人たちに恵まれている。なにかあったときに手を差し伸べてくれる人、励ましてくれる人、ふだんから応援してくれる人たちがたくさんいる。子どもたちを育てることはもちろん、まわりの人たちへの恩返しもしたい。そう簡単に折れるわけにはいかない。という気負いもふだんは意識の隅に追いやって、今日も飄々と生きていく。

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