力を抜くより、まずは自愛を。
今まで患者さんに対して「力を抜きなさい」って指導をしてきたのに
整体指導を受けたら
ぼくから力が入りすぎ、頑張り過ぎと指摘されてしまった医師の方がいた。
最初は受け入れがたかったけど遂に認めざるえなくなりましたと告白された。
その医師の方は「ふれる」を用いず、「薬」を用いていたから
硬張っていても職業として成り立っていたわけ。
整体指導者だったら、修業の初心の時点でダメ出しをされてしまう。
人間は自分より硬張っている人間に触れられると不快に感じる。
それどころか更に緊張度が増してしまう。
力が入っていたり、緊張していたら、愉気にならない。
「愉」とは、こころが晴れ晴れとして、楽しいことなのだから。
硬張っている人って必ず
自分のいのち=自発的要求<○○○
自分のいのちより大切な〇〇〇をいっぱい抱えている。
〇〇〇に入るのは、家族のため、仕事のため、患者のため。
自分のいのちよりも優先順位が高いものを数多く抱えているなんて
自発的要求を押し殺さなきゃ出来ない芸当。
それって自分の内なる声を弾圧している。
自分の内なる声を自分が無視して大切に扱っていないんだから
他人からも「わたし」が大切に扱われることはない。
そういう現実が創造され続ける。
もし慢性的に緊張している自分
硬張っている自分を見つけてしまったのなら
自分のいのち=自発的要求<○○○
○○○を抱えている。
いのちを大切にする=自発的な要求を大切にする
だから硬張っている人に対して言葉を掛けてあげるのなら
力を抜きなさいって声掛けじゃなくって
自分を大切にする
自発的な要求を大切にするよう
自愛を促してあげるほうがいい。
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