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本当はカラダは動きたがっている。

頭の中を空っぽに、ポカーンとさせて

カラダの力を緩めると

基本的にカラダは勝手に動き出すのが自然。

調整したい部位、異常を感じている部位を自らが調整しようと動き出す。

それが活元運動。


活元運動を学んでいる方から運動がなかなか出ませんと相談を受けることがある。

面白いことに運動が出ないと言っていても

整体指導中に愉気を受けていて寝落ちされると

カラダは勝手に動き始める。


ってことは活元運動が出ないように邪魔をしている要因は

覚醒時の自我意識「わたし」ってことになる。

活元運動って、要は無意識運動の訓練。

無意識運動が止まっている人なんていないからね。

いのちの運営はすべて無意識運動で行われている。

消化、吸収、排泄、体液・血液の循環に至るまですべて。

死を迎えるまで、無意識運動は一瞬たりとも止まることはない。


カラダは既に勝手にやっていることなんだから

活元運動はこれから新たに何かを学ぶボディワークじゃない。

活元運動が現れる邪魔をしている「わたし」という自我意識がどいてくれればいいわけ。


「わたし」という自我意識のたずなが緩まれば

あとは自ずから活元運動が現れてくれる。

そのたずなを緩めるアプローチが大あくびになる。

大あくびをしているときは脳内から言葉がなくなる。

大脳が緩んでポカーンとできれば

自我意識のたずなが緩みだす。



だから起きているときに活元運動がまだ出ない人であっても

愉気を受けていて寝落ちして自我意識がどいてくれると

調整したい部位が動き出したり、調整して欲しい部位を示してきたりするの。


過去にメスが入っているカラダに愉気をしていると

カラダは手術した部位をどうにかして動かそうと動き出していた。

そりゃあ、やっぱり調整したいのは「そこ」だよねと納得。


逆に頭に愉気をしていたら

足首が動き出したり

大腿裏の筋肉が動き出して

カラダが調整したいのが「そこ」なんだと教えてもらうこともある。


動物であるぼくらのカラダは

いつだって動きたがっているみたいです。



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