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カラダの力を発揮して生きていく覚悟。

ついついカラダの居心地が良くなってきて

心地よさを感じていて過ごすことが多くなってくると忘れがちになっちゃうことがある。

カラダが健やかってことは異常があれば元に回復していこうとするホメオスタシスが働けていること。

それこそが免疫が機能している自然治癒力が機能しているカラダ。

だからカラダの心地よさを手に入れるって事は

免疫がちゃんと働いてくれている時に感じる不快も受け入れる覚悟が必要。


この事は机上の空論じゃない。

異常や疲労があればカラダは弛緩反応→過敏反応→排泄反応の過程を通って弾力を回復させていく。

回復の過程には、痛みを発したり、発熱したり、排泄したりという反応が生じる。


活元運動をしたり、整体指導を受けるようになって

発熱したり、頭痛がするという一見風邪と同じようなカラダが全力を発揮する反応の経験は何度もしてきた。

今年は初めて整体指導を受けた後に自分で脾臓に愉気をしたら

鼠蹊部の皮膚が破れてきて盛大に排泄反応が生じた。

それから5ヶ月。

痒くて朝まで眠れないなんて事は無くなってきたが

まだ痒みは続いている。

正直めちゃくちゃ大変ではあるけれど

カラダのチカラを発揮させて生きていくって

こういったネガティヴに受け止めやすいことを受け入れて生きるってことなんだよね。


この仕組みってネガティヴな感情や思考を否定することで

心の中に変な観念を育てたり、自己否定を強化させて

脳内の言葉を騒がしくしてしまうのと似ている。

ネガティヴな感情や思考を否定せずにそのまま味わっていけば成仏してしまうのに。


こころでも

カラダでも扱い方は同じ。


そもそも免疫には先天的にカラダに備わっている自然免疫と、

生きていくうちに病原体と接することで後天的に育っていく獲得免疫がある。

無病で大人になってしまったら

獲得免疫がないというとてつもなく脆いカラダになる。

後天的な免疫が育ってなければこの世界で健康的に生きていくなんて無理。

苦しかったり、痛かったりという病原体との遭遇を体験していくことで

カラダは獲得免疫を育てていけるのだから。


長きに渡って心身の不調を抱えているのであれば

こころもカラダも異常になって滞っている。

カラダの自力が動き出して回復に向かえば

必ず弛緩反応、過敏反応、排泄反応という過程をたどる。


だから治ったと言っても自力が動き出していないカラダであれば

ただ息をしているだけで心地いいって状態にはならない。

自力が発動せずに薬などで症状を経過させたカラダの背骨は

以前となんら変わらず硬張ったままなのだから。


整体指導を受けて自力が働きだして発熱や痛みなどが生じると不安になる人がいる。

そんなときには一度、息を吐いて心を鎮めて

改めて自分のカラダをじっくり観察してみるといい。

長いあいだの不調のときには決して感じられなかった

カラダが動き出している感覚が感じられるはず。

こころの状態だって以前とは変化していることが発見できるはず。

心身がフリーズしてしまっていた時には感じることができなかった感覚。

その変化こそが回復へと導いてくれる。



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