新聞店の怪しいニイカワさんと「世界のビールフェア」

『壊れたソニーのワープロと終わった長い片想い』で書いたけど、僕は26歳で名古屋から上京して半年ほど世田谷の新聞店で働いていた。

そこに「代配」としてやって来たのがニイカワさんだった。代配というのは、人手が足りない時などに新聞を配達する仕事で、あちこちの新聞店を渡り歩いて生活している人が多くて、僕のように真っ当な会社員をやっていた人間からすると、かなりアヤシイ人なのだ。

僕と同じアパートに住んでいた新聞配達一筋の遠藤さんが、代配は給料がいいけど、ワケアリな人ばかりだというようなことを言っていた。

実際、ニイカワさんは借金から逃げて大阪から東京に来て、もうすぐ逃げ切れるのだと、誰も訊いていないことをペラペラと嬉しそうに自白していた。

ニイカワさんはいつも早朝から元気で明るくて、誰かが名前を呼ぶと「誰がニカウさんやねん」と言っては一人で滑っていることが多くて、あまりのテンションの差がウザくて苦手なタイプだった。

新聞店の朝は早く、午前3時過ぎにはゾロゾロと従業員がやってくる。その日の朝刊が届くと、寝起きの従業員達は怠そうに無言で一部ずつにチラシの束を差し込む作業をするわけだけど、ニイカワさんだけが一人で冗談を言っては滑っているのに作業はものすごく早かった。

しかし、ウザがられながらも従業員の中に着実に溶け込んでいくニイカワさんに感心してしまった。ニイカワさんを見ているといつも丸っこい顔に笑顔を貼りつかせていて、嫌な顔を見せたことがなく、僕の記憶の中でもニイカワさんが真顔で登場することがない。

何がきっかけだったかは思い出せないのだけど、ワープロの話からお互いに物書きを目指していることがわかった。わかったけど、僕は相変わらずニイカワさんがちょっとウザくて苦手ではあった。

そんなある日の夜、ニイカワさんがお互いの作品を見せ合おうと、これまたウザいことを言ってきたのだけど、ウザいくせにどこか憎めないニイカワさんに断ることもできず、誘われるままに連れて行かれた下北沢のジャズ喫茶に入った。

今でこそSpotifyでビル・エヴァンスなどを部屋に流しているけど、当時は演歌に次いで苦手だったジャズが大音量で流れる店内は、もはや拷問部屋でしかないのだけど、そんな店のカウンターでお互いにプリントした作品を交換して読んだ。

僕がニイカワさんに渡したのは、『壊れたソニーのワープロと終わった長い片想い』で書いたソニーの「PRODUCE 200」で書き上げた『楽園日記〜たから貝のイアリング』を短編にしたバージョンで、手持ちのものはそれしかなかったのだ。

いつも通り色白の頬をピンクに染めたニイカワさんは、何やら感想らしきことを述べていたけど、批判でもなく面白いという反応でもなく、まぁようするにつまらなかったのだろう。

一方、僕は実は読んだフリをしていただけだった。なにしろ苦手なジャズが頭の中で鳴り響いて、一時的な脳死状態だったのだ。それに正直に言えば他人の作品には興味がなかった。

それで、なんとなく適当に感想を述べて、ジャズ喫茶を出たのだけど、コーヒーはニイカワさんが奢ってくれ、ウザいけどいい人ではあった。

上京した翌年の桜が咲き始める少し前、夜にニイカワさんが僕の部屋を訪ねてきた。また例のジャズ喫茶かと思ったら、今度は早めの花見だという。花見に「早め」というのがあるとは知らなかった。

僕は夜に出かけるのがあまり好きではなく、やれやれと思いつつも、ウザいけど憎めないニイカワさんが以前より苦手ではなくなっていて、二人で自転車を走らせた先は世田谷のどこかの公園だった。

公園の芝生の斜面に腰を下ろした僕は、「隣に座ってるのが山本さんだったらいいのに」と隣の丸っこいニイカワさんを見て思った。山本さんというのは、新聞配達をしながら音大に通っている女の子だ。

「世界のビールフェアだよ」
そう言ってニイカワさんがドヤ顔でレジ袋から取り出したのは、いろいろな国の輸入ビールだった。そして、つまみにと取り出した楕円形のアルミホイルの皿に載っていたのは、味噌カツだった。僕が名古屋出身だと話したことがあったので、「作った」と言ったのだけど、どう見てもどこかで買ったようなシロモノだった。あるいは冷凍食品だろう。

それでも、やっぱりニイカワさんは憎めない人で、僕はニイカワさんが主催する「世界のビールフェア」にありがたく参加した。

自称手作り味噌カツはすっかり冷え切っていたし、味噌ダレが染み込んだコロモはびっちゃりと湿っていたのに、妙にうまかったのを思い出す。実は26年間名古屋に住んでいて、味噌カツを食べたのはそれが最初で、その後も食べたことがなく、僕の中にはこの時の冷えて湿った味噌カツの記憶しかない。

時折吹くまだ冷たい夜風の中で、世界のビールを飲みつつ、ニイカワさんと話したことはさっぱり思い出せないけど、丸くて人懐っこい笑顔だけはよく覚えている。

それから、僕は新聞店で重大な失敗をやらかして辞めることになり、ニイカワさんのアパートを訪ねたものの留守で、そのままその街を去った。僕の人生は重大な失敗だらけなのだ。

時々、ニイカワさんを思い出すと、部屋のポストに手紙くらい入れとけばよかったと思うし、今の僕はニイカワさんともっとうまく付き合えるだろうから、アツアツでコロモがサクッとする味噌カツをつまみに30年越しの「世界のビールフェア」をやりたいと思ったりもするけど、もう会うことはないのだろう。

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