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【電車で思った】批判され傷ついたとしても、その主張は正しい。

金曜の夜、満員の山手線。

降りたい人がいても、なかなか降りれない。

人ごみの中にできた1本の道を、1人ずつ順番に降りていく。

周りにいる人たちは、まだ降りたくなんてない。

そのまま電車に乗っていたいから、流れに逆らうように必死に抵抗する。

『はやく降りなきゃ!』と焦りながらも、ゆっくりと順番を待ちながらついていく。


東京に引っ越してきた時は、この光景に違和感を感じてた。

なのに、いつのまにか”日常”になってしまった。

焦ることもなく、ただ順番を待っている。


「降りたい人を先に降ろしてあげましょう!」と子供の頃に教わった”常識”が、ここでは常識ではないんだなと思った。

『おかしいな』とか『降りたい人たちが降りれるように、先に通してあげればいいのにな』と思うけれど、私には何もできない。声をあげる勇気なんてない。

何もできないから、何も言わない。

それに私には、それを言う資格なんてないと思う。


※※※

まだ会社員だった頃、ストレスと睡眠不足で、何も考えることができなかった時期もあった。

仕事中は、お客様と一緒にいることが楽しくて、お客様のために頑張る。

仕事が終わって、会社を出た瞬間、電池が切れる。改札を通ってからの記憶なんてない。


毎日のように寝過ごして、終電まで家に辿り着かない。

家に着くころには、家族もみんな寝ていて。私はベットに倒れ込む。

気付けば朝がやってきて『寝坊した!』と焦りながらシャワーを浴び、20分で家を出る。

電車に間に合うとホッとして、壁に寄りかかって、ボーっとする。

目を閉じる。…1秒でも長く休みたい。体が重たくて、動くことができなかった。

会社に近づくと、ハッと目が覚める。


『今日も頑張ろう!』と気合を入れて、元気に挨拶をする。

笑っているはずなのに、うまく笑えていない自分に違和感を感じ。元気に挨拶したはずなのに、声が出ていない自分に気づく。

でも、気づかないふりをする。なかったことにする。


たくさんのお客様に会えて、大好きなことをして、楽しいはず・・・なのに、ストレスだらけで何も考えることもできなかった日々。

あの頃の私は、仕事中以外に、誰かのことを気にかける余裕なんてなかった。

笑って挨拶することも、席をゆずることも、誰かに道を譲ることも。そんな余裕すらなくて、自分がどこで何をしてるのかさえも判らなくなってた。

あの頃の私は、電車の中で『降りにくいだろうな』と感じても、どいてあげることなんてできなかった。

『動きたくない』という自分の気持ちを優先する事しかできなかった。


だから私は、電車の中で動けない人に対して、何かを言う資格なんてないのだと思う。


※※※

満員電車に乗っていて、『降りたい人が、降りやすいように・・・』と一時的に電車を降りる。

そのまま電車に乗れなくなって、次の電車を待つ。

次の電車も満員で・・・もう一本だけ、電車を待つ。

『あぁ、もう乗れないんだな』と諦めて、無理やり電車に乗りこむ。

周囲の視線が恐いから、気づかないふりをして、外を眺める。『早く着かないかな~』と思いながら電車に乗る。


そんな時もあるから、簡単に『1度、降りてください!』とも言えないと思う。

1度降りたことで電車に乗れなくなって終電を逃しても、私には責任が取れないから。


※※※

満員電車で降りれないことに違和感を感じている人は、たくさんいると思う。

『この駅で降りれなかったら、どうしよう』と不安を感じてる人もいるかもしれない。

だけど、誰も声をあげない。


金曜の夜、1人の男性が声をあげた。

「降りたい人がたくさんいるんだから、入り口付近の人はどいて~」と。


彼の言葉は間違っていないと思う。

『よく言ってくれた!』と思った人もたくさんいると思う。私もその一人だ。


彼が入り口付近を通る時、若い男性が「なんだこいつ!調子乗ってんじゃねーぞ!」と言って、彼を突き飛ばした。

その後どうなったのかはわからない。

そのまま人は流れていたし、電車を降りたところに誰もいなかったから、突き飛ばされた人も無事だったと思う。

だけど、私は目撃していたのに、何も言えなかった。私は、突き飛ばした男性に意見を言えるほど、強くはないのだ。


※※※

「降りたい人がたくさんいるんだから、入り口付近の人はどいて~」と言ったのを聞いて、私は『かっこいいな』と思った。

『もっと、いい言い方もあっただろうな』と思わないと言えば、嘘になる。

それでも彼は、間違ったことを言っていないと思うし、自分の意見を主張できることは、かっこいいと思う。


彼は、若い男性に文句を言われて、突き落とされた。

もしも突き落とされた男性の立場なら、恐かったと思う。だから、自分の意見を主張することが恐くなってしまうかもしれない。自分が悪いことをしたような気分になってしまうかもしれない。

嫌な感情をぶつけられたり、文句を言われたり、暴力を振るわれたり・・・。そういうのって、自分の意見をふさぎこむには、充分すぎる理由になると思う。


実際に私は、自分の意見を主張することで、陰口を言われたり、いじめの対象になったことがある。

そんな体験をしているうちに、『自分の意見を主張するのは、悪いこと』みたいな認識が強くなって、何も言えなくなってしまう。


だけど本当は、その意見に対して陰口を言ったり、暴力をふるってくる人なんて、ほんの一部だけなんだ。

もちろん、自分が間違ったことを主張してるのなら、それを改めなきゃいけない。

誰かを傷つけているのなら、それに気づかなきゃいけないと思う。


だけど、私が、声を発した男性に『よく言ってくれた』『かっこいいな』と思ったのと同じように、同意してくれる人もたくさんいるんだと思う。

だから、ごく一部の批判する人に声ではなく、賛同する人の声を大切にしてほしいなと思った。


だけどやっぱり、言い方は悪かったと思う。

そんなに偉そうに言ったら、イラっとする人がいるのも仕方がない。それが正論か否かではない。

いくら正しいことを言われたとしても、注意の仕方によって、素直に受け取れることもあれば、そうでないこともある。

せっかく正しいことを主張しているのなら、注意の仕方に気を付けたら、もっといいだろうなと思った。


※※※

子供の頃から、私はそうだった。

自分を否定する一部の人の声を聞いて、自分を抑え込んでいた。自分が間違っていたと思い込んだ。

もちろん、私が間違ったことをしたこともあるし、誰かを傷つけたこともある。

それでも、私の意見や感覚が間違っている訳じゃなくて、相手の受け取り方の問題だったこともたくさんある。

私自身が、自分の意見をもっと大切にすれば良かったと思う。

自分を批判・否定する人ではなく、信じ、賛同してくれる人の声をもっともっと大切にすれば良かったと思う。


私は電車を降りてから、『自分の意見を主張できるのはいいことだな』と改めて考えた。





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