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辛い過去も、解釈をリサイクルすれば壁を越える道具になる 第2話【エッセイ】

1、小学校低学年

「白崎くん、この問題の答えは?」

ある日の授業参観。
親たちが教室の後ろに参列している中、先生は私を指しました。

「えっと……」

立ち上がってみたものの、答えられず、他の生徒が答えて、私は無言のまま席に着く。帰宅後、恥ずかしかったと言われ、さらに落ち込む。

私は勉強がまったくできず、唯一の取り柄と言えば、足が少し速かったぐらい。得意教科もなく、2年生になっても3年生になっても勉強ができるようになることはなく、スポーツもダメでした。絵を描くことは好きでしたが、親は、そんなことより勉強を……という考えだったので、苦しい日々が続きました。

小学校3年の頃は、イジメまではいかないまでも、同じ小学校で近所に住んでいた同級生にからかわれたりしていました。それでもなんとか負けずに頑張っていたと思いますが、ある時その同級生の一人に、どういう流れでそうなったのか覚えていませんが、腹を殴られ、言ってみれば喧嘩に負けたのです。

元々強い子供ではなかったので、表面的には大きな変化はなかったものの、さらに臆病になり、内に籠もるようになりました。

その頃から、漠然とですが、

(みんな俺のことをバカだと思っている。情けなくて弱いと思ってる)

という思い込みを持ち始めたと思います。

だから、友達と積極的に遊ぶよりも、家でゲームをして過ごすことが多く、そのゲームも、やり過ぎだと親に叱られ、かといって勉強もできず、正直なところ、楽しかった思い出はほとんどありません。そんな状態なので、いい人間関係ができるはずもなく、コミュニケーションの経験値も上がらないまま、小学生の半分が過ぎていきました。

2、小学校高学年

どういうわけか、小学校4年のときの記憶はあまりありません。担任の先生の顔と名前は覚えていますが、何があったとかはなく、トラウマとなることもなかったので、本当に何もなかったのだと思います。

やがて5年生になったとき、いつ頃からだったか、イジメられるようになりました。このイジメは、何がきっかけだったのか思い出すことはできませんが、何をされたかは覚えています。

「人間タオル~」

そう言われて、手を洗った後に服で手を拭かれたり、勉強ができないことを馬鹿にされたり、自分ではどうしようもない、家の経済的なことを馬鹿にされたり、侮辱的なあだ名をつけられたりと、殴られるなどの暴力はありませんでしたが、精神攻撃を日常的に受け続けました。

クラス全員からとかではなく、一部からだったので、まだ救いはあったと言えるかもしれませんが、それでも当時は辛く、イジメっ子に遊ぼうと誘われれば嫌でも断れず、自己否定的になるようなことが続いていました。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

イジメっ子に声をかけられれば、何も悪いことはしていないのに謝ったり、今思うと、不登校にならなかったのが不思議です。学校が嫌で休んだことはあったものの、完全に行かなくなってしまうことはありませんでした。

どんなに嫌でも、怖くてやり返すこともできず、その結果、

(自分は弱くてダメな人間なんだ……だからイジメられてもしょうがないんだ……)

そんな思い込みが蓄積されていったのです。
この思い込みは、学校だけではなく、私の兄二人と、世代の近い親戚が比較的勉強ができる子が多かったため、私だけが取り残されている感じたこと、親にも、勉強の出来だけで他人と比較されたことも影響しています。

当時の自分が強いストレスを感じていただろうことを表す出来事として、こんなことがありました。

授業中、足がムズムズして、動かしたくて抑えられず、文房具のコンパスの針で、腿のあたりをチクチクして、ムズムズを抑える……想像すると痛いですね(笑)

なぜそんな状態になったのか分かりませんが、おそらく強いストレスを感じて、そこから逃げ出したい気持ちが、体に反応として出たのだと思います。

そして、心の問題は一切解消されないどころか、自己否定的なスキーマが確立されて小学校を卒業し、中学に入学することになるのです。

フィクションなら、そろそろ一度、一時的であっても主人公の状況が良くなるイベントでも起きるころだと思いますが、ノンフィクションは作者の意図通りに進められません。主人公に厳しい展開はまだまだ続きます。

3、小学校の6年間で出来上がった思い込み

小学校6年間を一言でいうなら、「自己否定の基礎パターンが出来上がった期間」になると思います。

自分は何をやってもダメ、誰からも認めてもらえない、無能、イジメられてもしかたない……イジメにあうと、自分が悪いと思ってしまうのは、よくあります。

そんな思い込みが、私の中で日々強固になっていき、アイデンティティと一体化していきました。家族、親戚、学校、それぞれでの人間関係によって、その後何十年も続く強烈な自己否定の土台が形成された時期、ということができます。

当時はまだ、今のように心理学を用いた心の扱い方のような本もなかった……あったとしても少なかったと思いますし、両親も兄弟もそういった分野には興味なし、私自身も、今でこそ毎日本を読みますが、当時はまったく読まなかったので、状況を適切に打破する方法を知る術がありませんでした。

他人との比較、イジメ、自分が興味をもったことは認めてもらえないなど、メンタルがやられる要素が満載……そんな私が、本を出すまでになったのですから、人生は分からないものです。

だからこそ、誰だって人生は変えられる。
今はそう思えます。

とはいえ、指を鳴らして魔法にように変化させることはできないわけで、10代だった私の苦悩は、まだ続きます。次回は、中学時代からのお話です。

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