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欠陥があることを認めることで、楽しく自由に生きる

私は以前、前職でソフトウェアをテスト・検証する仕事をしていました。

きちんと設計書・仕様書が存在するソフトから、海外製のどんな仕事に使うのかよくわからないソフトまで、様々なコンピューターソフトに触れてきました。
品質保証(QA)とも言われる世界なのですが、高校生が大学を卒業するまでの18歳から23歳の期間をその仕事に使ってきたことになりますので、自分の今の価値観を形成する上では充分すぎる期間とタイミングでした。

そんなソフトウェアテストの原理原則のひとつに、「欠陥があることは示せるが、欠陥がないことは示せない」というものがありまして、これはソフトウェアに関する内容ですが、人間が楽しく・幸せに生きていく上でとても大事な考え方ではないかと感じましたので、今回はそのお話をしたいと思います。

欠陥があることは示せるが、欠陥がないことは示せない

テストにより、欠陥があることは示せるが、欠陥がないことは証明できない。テストにより、ソフトウェアに残る未検出欠陥の数を減らせるが、欠陥が見つからないとしても、正しさの証明とはならない。

テスト技術者資格制度 Foundation Level シラバスより

ソフトウェア・テストの原則に、「テストは欠陥(バグ)があることは示せるが、欠陥がないことは示せない」という内容のことを指します。
「バグ」とは「不具合・不良」のことで、ゲームやコンピューターに対してよく「バグった!」という言葉を使うことがあるかと思いますが、その語源です。

わかりやすく人間に置き換えると、「ダメな部分があることは証明できるが、完璧なことは証明できない」ということです。
どれだけ自己検証を続けても、どれだけ研鑽を重ねても、どれだけ周りの評価を聞いても、「システムが完璧である」「自分が完璧になった」ことは絶対に証明できないのです。

これは、法律の世界などでは「悪魔の証明」とも言いますが、システムやコンピューターの世界でも同じことが言えるわけで、これを証明しようとすることは、底のない沼に身を沈めていくのと同じことなのです。

これは私が今よくご相談をいただく、農機具の修理や人材育成、もしかすると医療の世界などでも同じことが言えるかもしれませんが、誰の心にも少なからず悪魔が存在しているのかもしれません。

「欠陥がないこと」を証明する方法はないが、ひとつだけ解決方法はある

心の中にいる悪魔

では、「欠陥がないこと」を証明する方法がないのだとしたら、どうやって心の中にいる悪魔を退治すれば良いのでしょうか?

「完璧なものを提供しないのはおかしい!」
「あなたは◯◯ができないからダメだ!」
「私は◯◯なことしかできない…」…etc

今の時代、そんな言葉がSNSを通じて今すぐにでも飛んできそうな気がしますが、これらの言葉を退治する方法は残念ながら世の中にありません。あるならほしい。
なぜなら、「欠陥が存在しないことは証明できない」からです。

でも、これを解決する方法はたったひとつだけあります。
それは、「自分にバグがあるかもしれないことを、みんなが認める」ことです。つまり、世の中に完璧な人・もの・システムなど、そもそも存在しないのです。あるならほしい。

つまり、
「◯◯の部分で、△△のような検証をしております」
「君は◯◯が苦手なので、△△は僕がやるよ」
「私は◯◯ができないので教えてもらえますか?」

というように、「◯◯の部分は保証致しかねます」「マニュアルの範囲でご使用ください」という内容をはっきり宣言し、相手と認め合うことです。
ソフトウェアであれば、意図して動作している範囲をきちんと明文化することが大事なのです。その上で、意図そのものが間違っていれば都度直していけば良いという話なのです。

ただ、これはちょっとしたソフトウェアや、人間のコミュニケーションに対してのみ当てはまることで、航空機器や医療機器のような人の命や人生がかかわる部分での仕事へ安易に当てはめることは危険です。

こういった場合はまず徹底的に検証を重ね尽くした上で、「万が一バグが出てしまった場合の回避行動(緊急停止)」のフローを事前に徹底的に決めておく必要があります。

私たちはそんな努力と研鑽の時間が積み重なった社会インフラの上で生きていることを理解する必要もあります。いつもありがとうございます。

それでも、人は自分にとっての「完璧」を目指し続ける

では、バグが残ったままのシステム、できないままの人で良いのかというと、そういう話ではありません。

もちろん様々な理由で解決不可能な問題もありますが、そんな壁にぶつかったとき、多くの問題は「誰もが納得できる第三案」を出すことができる問題なのではないかという視点に立つことができるのではないでしょうか?

その第三案は、今すぐに見つからなくてもそのうち見つかるかもしれないし、一生見つからないかもしれない。でも、まずは問題を認め、受け入れた上で、みんなで探し続け、考え続けることがその第三案を見つけるための第一歩なのです。

話は少し飛びますが、古代ギリシャの哲学者、ソクラテスの言葉に「無知の知」という言葉があります。とても好きな言葉です。

「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味の言葉ですが、それと同じように、「自分にバグがあるかもしれない」と気づき認めることで、楽しく、楽に生きるための道が拓けていくのかもしれませんね。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
少しでも、読んだ方の向上に繋がればいいなと思います。

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