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鶴見済さんの「不適応者のオンライン居場所」に参加しました。

ライターの鶴見済さんが主催する『不適応者の居場所』は毎月1回都内の公園などで開催されているのですが、今回はコロナ禍ということもあってオンライン。山梨在住の私も自宅からZoomで参加することができました。

普段はたしか特にテーマもなく、ただ集まって話したり時に散歩したりする会という感じだったと思うのですが、今回はオンラインということで「無差別殺傷事件について語る、ゆる哲学カフェ」というようなテーマがありました。

特にここ数ヶ月似たような事件が頻発していますが、自分がもともと犯罪者心理に非常に興味があったり、鶴見さんの最近のブログ記事にも共感したりというところがあって、今回参加することを楽しみにしていました。

ところで私は、世の中で何か事件が起きるたびに、加害者側は今どんな境遇に置かれていてどんな心理だったんだろうということを、まず考えてしまうんですね。時に、加害者側に同情的な気持ちになることもあり、この点で意見が分かれる人も多いなということは今までよく思ってきました。

そして今回のオンライン居場所ではわりと近い意見を持つ参加者の方も多い印象を受けました。

今回の参加者は15人弱ほど。無差別殺人を計画してしまう人の心理や環境、社会の受け止め方や報道のされ方、自分のさまざまな経験についてなど、たくさんの自由な意見を聞くことができました。

他の方の意見をどこまで書いてよいかわからないので、約2時間の会を通して私が感じたことをまとめたいと思います。

ここ最近特に頻発している無差別殺人やそれに近い事件について、なぜ「自殺したかった」や「死刑になりたかった」などの飛躍した論理が当たり前に報道されてしまうのか。

犯人が一言目にそう述べたとしても、そういった言葉の取り扱いは慎重にすべきではないのか、無差別殺人犯の常套句のように社会に定着させてしまっていいのかという疑問は私も思っていました。

犯人がその時点で死にたいほど辛い境遇にあるというのは、恐らくそうなんだろうと思います。一方で、というか、だからこそかもしれませんが、大それた事ができると証明したいといった思いもあるのかもしれません。良いことで有名になるのは難しいですが、大きな犯罪は瞬時に注目されるので、目立ちたいということかもしれません。(昔からある指摘ですが。)

そこで、「目立ちたかった・有名になりたかった」と言うよりは「自殺したかった・死刑になりたかった」と言ったほうが格好良いというか、加害者が自分のギリギリのプライドを守っているような感じがするなあというのが私の印象です。

そしてマスコミは、自分のメディアを観たり読んだりしてもらうために、「怒り」という反応を視聴者からより引き出したいという意図も一部あるんじゃないかと思うんですね。それを受け取る側も呼応していて、何かに怒りたい・やりこめてもいい人間を見つけたいという心理もあるのではないかと思います。

総じて、社会の多くの人間が疲労しているとも思います。

もちろんさまざまな事件において、ひとつずつ個別にちゃんと検証していく必要もあると思いますが。

私が普段、朝・昼・夜の食事時に観るニュースの中では、こういった事件のこともかなり短く簡潔に伝えられていますが、昼~夕方にかけて放送されている情報番組の中ではもっと深く、もしかしたら犯人側に寄り添う視点でも放送しているかもしれません。(観ていないのでわかりませんが。)

今はテレビに限らずネット上の動画配信サービスなどもいろいろありますが、こういった社会にとって大きな事件について、その1件を長い時間をとって丁寧に深くかつタイムリーに特集している点で私が信頼しているのがTBSラジオのSessionという番組です。ラジオだからこそ可能な部分(時間の使い方など)もいろいろあるのかなと思っています。

今回の居場所を通じて自分が改めて感じたことは、こうすれば世の中は大きく変わるという方法は結局ない、ということです。

そういった方法がないということと共に、自分がこういった世の中に対してできることは無限にある、ということです。必ずある、ということです。

人は誰かと話すだけで救われることが大いにあります。こういった「居場所」を提供してくださっている鶴見さんの存在もほんとうにありがたいし、そして自分も全く同じようなことができないとしても、たまに身近な誰かひとりの助けになることもできるかもしれません。

これまで何かの事件の加害者になった人が、もし事件のずっと前にこういうような居場所に出会っていたら、そこから生活を見直すきっかけが何かあったりしたら、もしかしたら犯罪には至らなかったかもなんてことを思ったりするんですよね。

世の中で、誰かの傾聴が誰かの未来を救っていることがたくさんあるはずだと思っています。社会では起きたことしか報道されないので(当たり前ですが)、起きなかったことは分からないのですが。

私は人に頼りすぎていろいろな人の負担になってしまったなあという自覚があるので、そういったことを申し訳なく思うと同時に、身近な人に対して、自分にもできることをやっていきたいなということを思っています。

これは社会の問題なのか?教育の問題なのか?といった点や、自分の加害性についてなど自分とは違う意見も聞くことができましたが、それもとても貴重な体験でした。コロナ禍でも人と接する機会を、これからもどうにか作っていきたいなと思いました。


>近況
去年の夏頃からデザインの勉強をしたいなと思いつつ、年末までは1人でそんなに頑張れませんでした。でも12/22に「みんチャレ」というアプリで「週30時間勉強」というチームに参加してから40日間。総学習時間195時間、1日4.8時間勉強(というか作業)できました。年末年始休日が多かったのもありますが、これからも日々5時間を目標にしたいです。そしてIllustratorを主に頑張っていたのですが、ここ一週間くらいiPadで絵を描くアプリのProcreateにものすごくはまって、今毎日4~5時間くらい絵を描いています。それで、自分が一番やりたいのはこのnoteの記事みたいなものを絵や写真を交えてデザインしたいっていうことだなと思いました。っていうのは、実は結構前から思っていたのですが、ぼんやり思っていてもそんなに頑張れず。つい最近までiPadとApple Pencilもう売ろうかなとすら思っていたのですが、突然やる気になりました。noteもまた書きたいです。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。