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誰にも壊せない幸せ

カズオ・イシグロさんの『私を離さないで』をAudibleで聴いたので、その感想を書こうと思います。

まず、カズオ・イシグロさんについてですが、長崎県出身で両親とも日本人ですが5歳で家族で渡英して、その後イギリス国籍を取得しています。実は日本語は話せないそうです。

2017年にはノーベル文学賞を受賞されたことは、日本でも大きなニュースになっていましたね。

この『わたしを離さないで』は『日の名残り』と並んで、カズオ・イシグロさんの代表作です。

私は『日の名残り』は以前読んだことがあったのですが、『私を離さないで』はそのうち読もうと思いながら、長い時間が過ぎてしまいました。 

最近になって、今人気の漫画『約束のネバーランド』がこの小説をモチーフにしているということを聞いて再び気になり、そしてちょうど今 Audible にはまっていて、ラインナップにこの作品があったので聞いてみることにしました。

以下、『約束のネバーランド』と『私を離さないで』については、「あらすじ」レベルで内容について触れますが、内容を1ミリも知りたくないという方は、読まないでおいてください。 

先に、『約束のネバーランド』のあらすじです。このマンガはジャンプで過去に連載されていて、今アニメや実写版の映画も公開されています。

物語の舞台となる、外の世界から隔離された孤児院では6歳から12歳までの子どもが一見幸せそうに生活をしているのですが、その孤児たちは最終的に、外界にはびこる鬼への食肉として出荷されることになっているのです。(鬼以外の人間が安全に暮らすための生贄のようなものですね。)そうとは知らずに暮らす孤児たちの中で、最も優秀な3人が施設の実態に気づき、全員の脱走を計画するところから始まります。

そして『わたしを離さないで』は、イギリスが舞台になっています。

外の世界と隔離された全寮制の学校では、15歳までの子どもが生活しています。ここに暮らす生徒たちは、将来臓器提供をするために存在しており、かつ、その事実を教育されていて、生徒自ら自分たちの将来をなんとなく自覚しているという設定です。 

外界で暮らす多くの人間の生活のために、一部の人間を隔離して利用するという点から着想を得て、『約束のネバーランド』が造られたのかなと考えました。

(ちなみに今になっていろいろ検索してみたのですが、「パクリ疑惑」「いや、全く違う作品だ!」みたいな論争になっているんですね。私は単純に「モチーフ」でいいんじゃないかと思ったのですが、実際のところはよく分かりません。とりあえず私にとっては『わたしを離さないで』を読む(聴く)きっかけになったので、設定が似ているということを知られてよかったなと思っています。)

私がこの小説を全体を通して一番強く感じたことは、子どもの心理描写が本当に細いということです。

子どもが相手の表情をどう読み取るか、 子どもなりに相手をどうやって気遣うか、口に出さない意地悪な気持ちや嫉妬の気持ちをどう処理したり、言葉の端々にみせてしまうか、子ども特有の暗黙の了解、この件は無かった事にしよう、触れないようにしようとお互いが通じ合う感じ....自分も忘れていた何十年も前の記憶が呼び起こされて、よくこんな表現ができるなと思いました。

そしてこういった子どもの気持ちや、集団の中での過ごし方って、(おそらくカズオ・イシグロさんはイギリス人の子どもを想定して書いていると思うのですが)日本でもイギリスでも全然変わらないんだなというところも新鮮でした。 

物語の中では、日本で言えば小学校低学年くらいから成人になって、それ以降...という長い間の人間の成長が描かれているので、同じ人間が年齢や環境によって変化していく部分と、その間同じ友人とずっと過ごしていく上での変わらない部分の描き方と心理描写が、本当に深いのです。(翻訳による印象もあると思いますが。 )

ちょっと別の話になりますが、人間の不愉快な心理描写を細かく描いて、読み手に突きつけてくるような小説って結構あるなと私は思っているんですね。(2000年代くらいから、やたらそういう表現をする人って多いなと思っていて、「おもしろいけどなんかむかつく」とよく感じていました。)

そういう小説って、読んでいて苦しかったり嫌な気持ちになりつつ、そのリアリティがすごいな、だから売れるのかなって思っていたんですけど、この『わたしを離さないで』って、人間の不愉快さのリアリティも強くありつつ、私は読んでいて全然嫌な気持ちにならないんですよね。

海外の作品で翻訳がされているからというところもあると思うのですが、テクニックとして「読み手をいらつかせよう」みたいな手法じゃなく、人間の生死や人権や運命や倫理観など、深いテーマがいくつも重なる上で、そこに生きる登場人物それぞれの人間という割り切れなさの描き方に、なんかひれ伏したくなります。カズオ・イシグロ、天才すぎる。

まずそういった筆の運び方がずっとベースにあって、重いテーマなのですが物語を心地よく楽しんだり、落ち着いて一つ一つの問題を反芻しながら考えることができます。

この小説に登場する生徒たちは、将来自分が外界の人間のために臓器提供することを当然と捉えています。その理解度は、年令によってグラデーションがあるのですが、成長するに従って、そして実際に提供が始まる年令になってからも、自分が生きる環境に順応していきます。

それが教育によるものだと考えると、教育とはある種非常に恐ろしく強いものだと思います。そして、現実世界でも同じような事は起きています。

第二次世界大戦中の教育などは特に強烈ですが、今でも大なり小なり、人権を侵害するような教育は行われていると感じます。自分が子どもの頃に受けた教育も、今振り返ればだいぶ間違っていたのではないかと、反論したくなるようなこともたくさんあります。 

当時は、 そのことについて気づくことができませんでした。

また、会社という組織に入っても、そこでなされる指導が全て正しいと思ってしまうことは往々にしてよくあります。学校と同様に、一旦離れてみると、 あの時なぜそう思い込んでいたんだろうと思うことも多くあります。

このように、集団の中でなされる教育が人間の成長にどんな影響を与えるのかということが、一つの問題提起であるのかと思います。一方で、こういった状況を、その集団の外から捉えるとどうなるでしょうか。

長くなったので、明日に続きます。

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