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脳の「楽」をえらばず、体の「快」を選べ。

 気がつけば、去年までのだるさと重さが消えている。去年は目が覚めた時からだるくて、体が動かなくて、早く眠りたいと思っていた。エナジードリンク(といっても自然のやつ)を飲んで体を持ち上げる。効き目が切れるとまた泥のように眠る。起きていて、活動していても、ずっとずっと眠たい。それが当たり前になっていて、生きていても死んでいてもあんまり変わらないなとか思いながら、でも、なんとなく楽観的で、そんなもんだろうと思うようにしていた。

 最近そのだる重さが消えて、ちゃんと起きて、ちゃんと考えて、ちゃんと生きていることができるようになった。それに気がついた今日、また創作がしたくなった。まずはずっとやりたかったオラクルカードを、簡単に手書きでいいから作ってみることにした。この創作モード、何年ぶりだ。創作欲は生きる力だ。体の真ん中があたたかく燃えて、エネルギーが回る。創作がしたくなった。よかった。これがわたしが一番安心する状態だ。詩をかけていれば安心。読むだけでなくさまざまな文章を書くことができれば、わたしは安全だ。

 体に穴が空いてそこから空気が漏れている感覚があった。入れても入れても抜けていく。巡っているのではなく、通り抜けてしまう。自分を不在にしているとわかっていてもやめられなかった。ここ最近、その穴はふさがり呼吸が楽になってきた。ちょうどいいバランスを見つけるのがむずかしい。田舎で暮らせば息はできるけれど、退屈に襲われるのと似ているのかもしれない。どちらもいいんだけど、どちらもでいるのがむずかしい。どちらかになってしまうとまた苦しくなる。思考の仕方が大きい。体は元気でも何かにとらわれていてはしんどいままだ。前頭葉しかつかわず、繰り返し思うことでループする。その流れから抜け出すために新しい視点を得たり、体を動かしたりする。自分が凝り固まった考え方を握りしめている時、なかなかそれに気づきづらい。ただ、気分の悪さとか不快感とか、必ずサインがあるはずだ。

 苦しみから逃れようとしなくていい。むしろ苦しみに飛び込んでいくくらいの姿勢でいるのがいいかもしれない。考えまいとすることは、意識することと同じだ。まったくちがうことを取り入れて、改めて同じ場所に戻ってみる。

 自分の思い込みや思考を変えるのって、めんどくさくて、大変で、つかれる。脳は変わるまいとして眠たくなったり、嫌になったりする。自分で自分と向き合うことをやめて、外側のせいにしたり、他人に頼ったりしたくなる。そんなの全部やめてしまって、全然ちがうことをしたくなる。そんな風に、自分と向き合うのはだるくてしんどい。そしてわたしの場合は、頭痛がする。ショック療法というけれど、体や脳への衝撃が変わるきっかけになるような気がする。だって限界を超えて、知らない視点を獲得しなければいけないから。必要なのは情報でも正論でもない。たったひとつ、そこに飛び込む勇気だけだ。自分が信じていたものを手放す勇気。なぜそう思いたいのか?その根本的な原因や出来事はなにか?思い出す。脳の「楽」をえらばず、体の「快」を選べ。そんな言葉が浮かんでくる。

 今日から南方熊楠の本を読み始めた。彼は自己と対象が統一された場所と現実世界の間の場所を「中間」と呼び、夢はその中間に位置するものだ。と言っている。この世とあの世の中間に夢がある。もう、面白そうすぎる・・・。

noteでとても興味深い記事を書かれているeklaさんという方が紹介していた本です♡わたしの記事が好きな方はきっと好きだと思うので、ぜひ訪ねてみてください。

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