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アカシックレコードが新しくなった!(気がする!)

 今朝、ベッドの中でアカシックリーディングをしていて、ひとつの質問に繰り返し取り組んでいた。しかし、何度やっても眠ってしまう。何度やっても気づけば他の思考に巻き込まれている。これは眠たいからダメなんだと思い、また目をさましてからやってみようと考えていた。わたしはほとんど夢の中にいたのかもしれない。とにかくいつものアカシックリーディングができずにいた。

 途中まで進んでも「エラーです。」と弾かれる感覚。そしてふと、「アカシックレコードがリニューアルされました」という感じが全身に広がっていった。なるほどなるほどと思いながらリーディングをつづけていると、検索の仕方や読み方やメッセージの受け取り方がすべてがらりと変わっていることに気がついた。世界が新しくなっているのだから、図書館も新しくなるのは、よく考えてみれば当然のことだ。わたしは最近「変化」について考えている。昔の人たちは変化が当たり前だった。今の人間は、まるで昨日の自分と今日の自分が全く変わらないという感じで生きている。

 変化する実態の「わたし」で世界を見ることは、彩でいっぱいの世界を感知することである。地球と宇宙のデータが蓄積されたアカシックレコードはある意味で止まった世界の情報だ。そのデータを変わり続ける実態のわたしが読み取ること、そして、世界を新しく創造するわたしがアカシックレコードに関わるとき、その関わり方も変化して当然だろう。これはもしかしたら、スピリチュアルに関わっている人やアカシックリーダーのみなさんの盲点かもしれない。アカシックレコードは絶対ではない。むしろそこに縛られることで、同じ「わたし」を繰り返す。世界を創造するという視点でもう一度アカシックについて考えてみる必要がありそうだ。

 今、このトピックについてラジオを収録してみた。

 そこで話しながら分かったことはこれが「二極化」ではないかな?ということだった。データ・情報として自分の意識として止まった世界で生き続ける人と、動き続ける実態のわたしで未来を創造して生きる人。わたしは今まで「二極化」という言葉がよくわからなかった。しかし、この説明なら納得ができる。わたしたちはこれから、未来を創造しなくてはいけない。世界を創造しなくてはいけない。それは変化し続ける実態のわたしの仕事だ。そしてそれは、機械にはできないことなのだと思う。実態のわたしには感覚がある。違いを感じ取ることができる。そういう繊細な感じを大切にしながら生きていることが「人間らしい」ということかもしれない。わざわざ人間らしく生きなくても、わたしたちには人間である。「意識」とか「情報」に寄りすぎたバランスを体の方に戻してくるだけでそれがわかる。

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