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「評価」と「承認」は違う。「尊厳」こそが組織づくりの第一歩。

初めて「マネージャー」や「上司」になった方の大きな悩みは「評価」ではないでしょうか。

プレイヤーとして自由に仕事し、関わる仲間ともフラットにやれていたのに、定期的にその人の「価値」を表現しなくてはならなくなる。多くの人にとって辛く、悩ましいものでしょう。

ですが、私は多くの悩めるマネージャーの方とお話をする中で、「"評価"と"承認"の区別がついているかどうか」がマネジメントの巧拙を大きく左右していると感じました。

今回は「評価と承認は何が違うのか」、そして「承認を経て得られる"尊厳”とは何か」について綴っていければと思います。

(本noteは私が私淑する宮台真司さんの書籍「14歳からの社会学」に大きく影響を受けており、一部内容の抜粋も伴いますこと、ご理解くださいませ)


人が「憂いなく仕事が出来る状態」とは

タイトルの問いを立てた時に、以下のように答える方が多いのではないでしょうか。

・人から必要とされている状態
・人から期待されている状態
・頼れる仲間がいる状態
・正しい評価が得られると確信している状態

これも間違いなく要素だとは思います。ですが、私はこれは「第二段階として必要な要素」だと思っています。

その前に、以下の条件を満たす必要があると思います。

・自分はここに存在してもいいんだ、と思えている状態
・自分はこの仕事をしていていいんだ、と思えている状態。
・自分はこの環境(組織)に受け入れられているんだ、と思えている状態。

そして、この状態のことを宮台さんは「尊厳」と表現しています。

(「14歳の社会学」Page 25を元に、筆者作成)

この「尊厳」がある状態であれば、失敗することへの恐れが無くなる、つまり行動することへの恐れが無くなります

その上で、最初の箇条書きに書いたような「期待」や「評価」をされた時に、それをよりエネルギーに変えることができ、その人の人生は豊かになり、そして成果も出るようになります。

つまり、この「尊厳」が大前提条件になるのです

本当の意味での「心理的安全」と同義

上記を読んだ方は、「これって単に心理的安全性のことを言ってるじゃん」と思われた方がいるかと思います。そうです。でも違います。

例えば、「心理的安全性」という言葉が流行るきっかけとなったGoogleの「Project Aristotle」では同語を以下のように説明しています。

心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。

Google Re:Work HPより)

ですが、言葉だけが先行してしまった結果、辞書的な「攻撃されない」「危害が及ばない」という意味合いが優越し、何やら「社員に優しい会社」「パワハラしない会社」のようなトーンになってしまっています。

これは極めて「静的」な話であり、そしてある意味当たり前の話です。そうではなく、本来的な「心理的安全性」は極めて「動的」なものである、ということを、経営者・社員関係なく理解するべきだと思っています。

なので、「心理的尊厳性」と訳した方が良かったのではないか、と思っています。

「尊厳」を失うとどうなるのか

では、この「尊厳」の無い状態に陥った社員はどのようになるのか。宮台さんは以下の3パターンが表れると言います。

①他者に承認して欲しいあまり、周りの期待に反応しすぎるタイプ。

②他者に承認して欲しいあまり、周りの期待と自分の能力の落差に直面して失敗するのが怖くなり、「試行錯誤」に踏み出せなくなるタイプ。

③他者から承認されない環境に適応してしまい、「承認?何それ?」とばかりに、他者との交流と結合した「尊厳」を投げ出すタイプ。最もリスクがある。

上部で「尊厳が大前提条件」と書きましたが、まさに①と②は「尊厳が無い状態には、"期待"が効果を生まないどころが逆効果にもなる」ことを示しています。

そして、組織として一番最悪の「③」タイプは、組織に対してエンゲージメントもクソもないので、糸の切れた凧のように自由勝手な行動をとり、組織を危険に晒したり、他者にダメージを与えたりします。

残念ながら、皆様の組織にも最低一人はいるのではないでしょうか。

私の感覚として、③に行くルートは2つあると思っています。一つは、「②→③」ルート。つまり、動けなくなってしまい、孤独になり、「もういいや」となる。

もう一つは「承認されていない状態で仕事を頑張り続け、どこかで爆発し、いきなり③に行く」ルート。こちらは予兆が無いので、極めて気が付きづらく、リスクが大きい。

つまり、「尊厳を大事にする」のは、「成果を出すため」と共に、「組織を壊さないため」「タイプ③社員を生み出さないため」でもあり、極めて重要であることがお分かりいただけたのではないでしょうか。

尊厳を生むのは「評価」ではなく「承認」

「評価」は「尊厳」を生まない (重要)

「評価」はどこまで行っても「良い/悪い」を表現するアプローチです。

そしてその性質上、「他者」「目標」「ゴール」・・・といった「何か」と比較して「良い/悪い」が定義づけられるので、「究極の絶対評価」というのはあり得ず、必ず「相対評価」になります

必ず相対評価になる、ということは「その人ただ一人を見つめていない」ということ。何か別の要素を頭に入れています。

「"目標を達成した私"が評価された」として、"目標を達成しない私"にも尊厳を感じるでしょうか。感じませんよね。寧ろ、「やっぱり目標を達成しないと認めてもらえないんだ」となり、尊厳を失うかもしれません。

つまり、どれだけ良質な「評価」をしたとしても、それが「尊厳を生む行為」にはならない。これを十分に認識してください。

そんなことを言われて・・・嬉しいんです。人は。

では、どうしたら「尊厳」を生めるのか。簡単です。

「あなたが居てくれてよかった」
「あなたのやってくれていることには、意味がある」
「その取り進めで大丈夫」
「提案してくれたことそのものが嬉しい」
「今は上手く行っていないけれど、次頑張ればいい」

こんな言葉を掛けてあげてください。これを説明すると、「そんなこと言われて嬉しいんですか?」と聞かれます。

確かに、これを言われて「やったー!!!」とはならないでしょう。つまり、「歓喜」ではありません。

ですが、心の奥の緊張が解ける感覚が生まれるはずです。まさに承認。少し言い換えると「明日への希望」

とても抽象的でふわふわした言葉ですが、是非、伝えてあげてください。その人の「尊厳」が形になります。

こんな簡単なことが、なぜ言いづらいのか

なんの準備もいらない、この言葉たち。でも、なんか言い辛い。なぜでしょうか。

それは、「自分はこう思っているから」という100%主観的な想いをさらけ出す行為だからです。

「評価」は「目標達成度」とか「前年同期比」みたいな客観指標が伴いますし、寧ろあった方がいい。

でも、「承認」はまさに「人対人」の話で、絶対的に主観。そして、人は「さらけ出す」ことに対して、本能的に恐怖を感じてしまいます。だから、言いづらいのです。

ですが、リーダーに「さらけ出し」は絶対に必要です。詳細は下の記事に譲りますが、まさにさらけ出しの第一歩としても、上記のような「ちょっと恥ずかしい一言」を掛けて

「承認」が出来ていると、「評価」の難易度が下がる

この「承認」が日頃から出来た上での「評価」はより容易になります。

つまり、「目標を達成しようがしまいが、私の存在は肯定されている」と心から思えていれば、仮に厳しい評価を受けたとしても、その評価を正面から受け止めてくれる確率が上がるはずです。

評価に「納得」してくれるとは限りません。ですが、評価者が一番悩むのは「この評価メッセージを受け止めてくれるだろうか」ということであり、そこの確度が上がることは、評価のハードルを大きく下げるはずです。

まとめ

3,000字の記事となりましたが、最もお伝えしたいことを纏めると、以下の通りとなります。

  1. 尊厳が全ての大前提

  2. 評価は尊厳を生まない。尊厳を生むのは承認。

  3. 尊厳が生まれると、評価がしやすくなる

これを下の表のナンバリングを使って言い換えると、こうなります。

  1. 尊厳が全ての大前提
    =まずは「①~③」サイクルを優先する

  2. 評価は尊厳を生まない。尊厳を生むのは承認。
    =決して「先に評価」をしない。恥ずかしくても「認める」

  3. 尊厳が生まれると、評価がしやすくなる
    =このプロセスを守ると、良い「フィードバック機構」が働く。

少しでも皆様に共感いただける内容になっていたら、嬉しいです。

ではまた、次回のnoteでお会いしましょう。


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