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【Review】#2 山口周『知的戦闘力を高める 独学の技法』

今回は、この本についてレビューしていきます。

▼前回のレビュー記事

なぜこの本を読もうと思ったか

この本は、会社の同期に紹介してもらったことがきっかけで読むことにしました。最近、お互いに自分が読んでいる本を紹介しあったのですが、その中の1冊として教えてもらったものです。

以前、「入社からもうすぐ1年経つ今、思うこと」というnoteでも書きましたが、インプットの量を増やしていかねばと最近強く思うようになり、まずは気になった本をいろいろと読むことを始めました。しかし、ややインプット過多になっていたこともあり、なにか学ぶにしてもアウトプットもセットで進めなければと感じていました。

とはいいつつ、具体的にどのようにインプットとアウトプットを実行するか、どのようなフローを組めばいいのか悩んでいたところだったので、この本は今の自分に必要な本であると思い読むことにしました。

気づき/学び

この本を読んで印象に残った点、学びになった点をご紹介します。今回はちょっと多めで6つあります。

1.独学を効果的に行う4つのモジュール

同書では、独学を4つのモジュールから構成される「システム」として捉える必要があると唱えられています。4つのモジュールとは、戦略インプット抽象化・構造化ストックの4つです(図1参照)。システムとして捉えることで、独学において「覚えること」を目指さないという考え方を取ることができます。

図1. 独学システムの4つのモジュール(本書中の図を筆者にて再作成)

「知的戦闘力が高い」とは、膨大な知識量=知的ストックがあるということではありません。インプットした情報を、抽象化・構造化して外部のデジタル情報にストックしておき、いつでも引き出せるようにするとともに、それらを掛け合わせることで新たな価値を生み出すことです。

個人的にこの「システムとして捉える」ということに親近感を抱きました。自分がシステムズエンジニアリングを専門としていることが大きいですが、そもそも人が何らかの目的を持って実行することやその対象は須らくシステムとして捉えることができます。単に機械的なシステムだけでなく、都市開発や政治、経済などもシステムです。その意味で、独学という行為もシステムとして捉えることは可能であると理解しました。

なお、上述のように、独学のシステムを戦略〜ストックまでの4つのモジュールに分解しているわけですが、その前提に立ってみると世の中の独学術は「インプット」しか扱っていないものばかりです。インプットしかしない場合は、単なる「物知り」になれるだけであり、状況に応じて過去の事例を適用するような柔軟な知識の運用はできません。

この指摘は厳しいようでその通りだと思いました。今の自分のようにインプットしてから瞬時にアウトプットするわけではないのなら、ストックしていつでも引き出せるようにしておくことが必要です。それも単に溜めておくのではなく、抽象化・構造化して状況に応じて自在に引き出せるようにストックしておくことが重要です。

これらのことを踏まえて、まずは自分の読書リストを知識のストックとして使えるよう改善することとしました。まだ使い始めてから日が浅く、運用方法が固まっていませんが、うまく回せるようになってきたらどこかで公開しようと思います。

2. 独学の戦略は「テーマが主、ジャンルが従」

独学というシステムは4つのモジュールから成り立っているということでしたが、そのなかでも今の自分に一番必要だと感じたことは戦略の設定です。正直なところ、新規事業開発に活かす、将来自分で事業を創出するときの力になるように、というぐらいのアバウトさでしか本を選ぶことができておらず、戦略を立てろという指摘は身につまされるものがありました。

この戦略を考えるうえで重要なことが、「テーマが主、ジャンルが従」であるべきということです。大抵の場合、歴史や哲学のように、どのジャンルを学ぶかという論点で考えてしまいがちですが、そうではなく自分が追求したいテーマに沿うインプットが何かを考えることが必要です。それが山口さんにとっては、「イノベーションが起こる組織とはどのようなものか」ということになります。

インプットする内容をジャンルで決めてしまうと、先人が体系化した知識の枠組みに沿って勉強することになるため、自分自身の洞察や示唆を得ることが難しくなってしまいます。他の人にはない視点で、自分にとって必要な視点で洞察してこそ、インプットする価値があるのです。

ここは自分にとっての反省点でした。正直なところ、ジャンルでしかインプットする内容を選べていなかったと思います。本屋にいっても、その本屋の店員さんが示唆に富んだ陳列してくれているのならともかく、一般的なところであればジャンルでカテゴライズされています。それをその通りに受け取ってしまうのは、ある意味思考停止してしまっているとも言えるということです。学びたいテーマ(論点)を決めて、そのために必要なインプットは何かを考えるということが非常に重要であり、実施すべきだと気づきました。

そのうえで戦略を立てる際には、テーマとジャンルをクロスオーバーさせることがポイントです。クロスオーバーとは、領域を越境するということです。テーマとジャンルを一対で設定してしまうと、ユニークな視点が生まれにくく、独自の示唆や洞察につながりにくくなってしまいます。いわゆる教科書的な内容しか身につけることができないからです。

逆にテーマとジャンルをクロスオーバーさせると、さまざまなジャンルの知識を組み合わせることができ、独自の示唆を導くことができます(図2参照)。

図2. テーマとジャンルのクロスオーバーについて(本書中の図を筆者にて再作成)

この指摘も自分にとってはハッとさせられるものでした。自分の出身大学院である慶應SDMは、システムズエンジニアリングという、領域横断でさまざまな専門分野を組み合わせることによって、大規模かつ複雑な問題を解く学問を専門としています。山口さんの指摘は自分の専門とまさに同じことを言っているのですが、正直なところ、日々の学び(=読書)においてそこに考えが至っていなかったと思います。

SDMでの教え、学びは研究テーマや専門的な話だけに適用されるものではなく、日常的に自分が何を新たに吸収したいのか、何について理解を深めたいのかということについてももちろん当てはまることです。それを改めて意識するべきと感じました。

ただ、テーマとジャンルをクロスオーバーさせるといっても、どのような視点でジャンルを選べばいいのかということが疑問として湧いてきます。これに対する1つの考え方としては「自分がどのようなポジションに立ちたいのか、他の人にはない組み合わせで選ぶ」ということがあります。

「アップルはリベラルアーツとテクノロジーの交差点に立っている会社である」とジョブズが言ったように、他と差別化できるユニークな組み合わせを設定することが重要なのです。ただし、それぞれのジャンルのトップクラスでなくてもよいということがポイントです。この点はホリエモンも指摘していましたが、1つのスキルやノウハウでずば抜けていなくても、60点や70点ぐらいのスキルを複数掛け合わせられれば、1つが100点の人よりも強くなれるということです。

もう1つの考え方が、自分の持っている本性や興味を主軸に置くべきということです。他人の「持っているもの」のなかで自分が「欲しいもの」を主軸にはすべきではありません。それでは自分の個性は失われてしまいますし、他人の土俵で戦っても勝つことは難しいです。何より、自分が好きなことでなければ続けられないということが大きい。他の人にはない、「自分だけの強み」が何かを追求していくことが重要です。

3. 人生にはひたすらインプットし続ける時期が必要

これは当然といえば当然なのですが、仕事でアウトプットを出し続けることが求められるようになるとインプットする時間はなくなっていきます。そこで時間をコントロールしてインプットするタイミングを作ることが重要ではあるのですが、相対的にインプットの時間は減ってしまいます。

だから、インプットできるときにしておくことが必要なのです。世間でよく言われる「勉強法」では、いずれ必要になったらそのときに必要な勉強をすれば良いと言われますが、実際のところそれでは足りないということです。

これは以前のnoteで書いたことにも関連しますが、自分としてもインプットは必要になったらすれば良いだけのものではないなと感じています。自分はまだアウトプットし続けなければいけない立場ではないですが、だからこそインプットは必要以上にしておくことが重要だと考えています。

山口さんも、人生において、他人からアウトプットが求められていない=インプットの「機会費用」の小さい若いときこそ、大量かつ無節操なインプットを行って、継続的な知的生産力の向上に努めるべきと述べています。

4. 知識を使える武器に変えるアクション

戦略を立て、インプットした知識はそのままにしておくのではなく、いろいろなシーンで使えるよう加工しておくことが求められます。そのためには抽象化と構造化が重要であり、知識を「公理系」にまで高めることが必要となってきます。この「公理系」とは、アインシュタインの思考モデルとして有名な図にて示されているものです(図3参照)。

図3. アインシュタインが友人ソロビーヌ宛の手紙に書いた「自分の思考プロセスの概念図」
『NHKアインシュタイン・ロマン2 考える+翔ぶ! 「相対性理論」創造のプロセス』
NHKアインシュタイン・プロジェクト編(日本放送出版協会)

日常的に体験するさまざまなことの蓄積である「経験の束」から、私たちは直感的に”ある仮説”を構築します。これが公理系であり、これを演繹することでさまざまな命題が導かれます。この命題と、過去の「経験の束」を照らし合わせることで確からしさが認められ、実際の結果が経験的事実と符号することで、公理系が意味のあるものとして確立されることになります。

非常に抽象度の高い議論ですが、これを独学のシステムに対応させてみると、感覚経験とはインプットして得た「知識」のことであり、そこから他のシーンでも適用できる普遍性のある命題=公理系を導く行為が「抽象化」、その公理系からさまざまな命題を演繹する行為が「構造化」となります。

つまり、独学で行うべきことはこの図に集約されていると見ることができます。ちなみに、感覚経験の束から公理系を導く知的推論のプロセスは、仮説形成=アブダクション(Abduction)と呼ばれます。アメリカの哲学者バースが提唱した方法で、演繹=ディダクション(Deduction)、帰納=インダクション(Induction)に続く、第三の推論法です。

知的戦闘力を上げるということは、すなわち「意思決定の質を上げる」ことです。この意思決定の質を上げるためには、有意義な示唆や洞察をそれまでに得た知識から引き出せるようになることが必要です。そのため、学んだ知識を抽象化し、元々の文脈から切り離し、他のシーンにも適用できるようにする「公理系」を作り上げていくことが重要になってくるということです。

5. 知的ストックを厚くすることで常識を相対化する

ここまで、戦略、インプット、抽象化・構造化と「独学」システムの3つのモジュールに触れてきたわけですが、最後の1つに「ストック」があります。

どれだけ良い情報を多くインプットすることができたとしても、それらを知的生産活動のなかでシーンに合わせて自由に活用できなければ、独学という行為に意味がなくなってしまいます。そのため、インプットした情報をストックし、自由自在に引き出せるようにすることが不可欠です。

しかし、脳のメモリには限りがあるので、全てをストックすることは当然できません。全部溜め込むスタイルでは、インプットできる情報は限られてしまいますし、溜め込めた情報もどのように引き出せば良いかわからず埋もれていってしまいます。そこで、情報を別にストックできる場所を作り、自分の脳においておくべきこととそうでないことの切り分けが必要となってきます。

山口さんは、情報をストックできる場所をデジタル上にもっておき、自分の脳にはそれらの情報にアクセスするためのキーワードやコンセプトを置いておくべきと述べています。実際、自分もNotionを使って、インプットして得た情報をストックできる場所を作っており、必要以上に脳に留めないようにしています。

では、知的ストックを厚くすることで何ができるのかというと、絶対的で動かしがたい「常識」を相対化できるということになります。人はみな、目の前のことしか知らないから勘違いや錯誤が起きてしまうのです。知識の時間軸と空間軸を広げることで、目の前にある常識が「いま、ここ」だけのものでしかないと相対化することができます。

常識を相対化できるということは、イノベーションにつながります。今まで当然そうだとされてきたものが実はそうではないと言えるので、新たな価値を生み出すことができるというわけです。『イノベーションのDNA』の著者であるクレイトン・クリステンセン教授は、イノベーターに共通する特徴に、誰もが当たり前だと思っていることに「Why?」と問いかけられるということをあげています。

ただ、なんでもかんでも常識を疑えばいいわけではありません。「常識を捨てろ」とか「常識を疑え」という指摘は、なぜ世の中に常識が生まれ、それが動かしがたいものになっているのかという論点についての洞察が欠けていると、山口さんは指摘しています。常識を疑う態度を身につけるというより、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極めることが重要なのです。

そのためには、厚い「知的ストック」が必要です。それだけの知的ストックがあることで、それと目の前の世界を見比べてみて、普遍性がより低い常識=「いま、ここだけの常識」を浮かび上がらせることができます。常識を相対化するためには、しっかりとした知的ストックを持てるよう独学を進めることが必要ということです。

6. リベラルアーツを学ぶ意味

以上が、独学のシステムの全体像ということになるのですが、知的戦闘力を高めるという目的に照らし合わせると、リベラルアーツと呼ばれる学問領域でくくられるジャンルを学ぶことが重要になってくると指摘されています。その理由は以下の5つです。

  1. イノベーションを起こす武器となる

  2. キャリアを学ぶ武器となる

  3. コミュニケーションの武器となる

  4. 領域横断の武器となる

  5. 世界を変える武器となる

全てそうだと思いつつ、2.と5.は特にその通りであり重要な理由だと感じました。

コミュニケーションの武器となるということについてですが、異なるバックグラウンドや価値観を持つ人と正確かつ効率的にコミュニケーションを図るためには、英語、論理、リベラルアーツの3つが必要だと山口さんは指摘しています。リベラルアーツの1つである文学においては、欧米ならリア王、日本なら忠臣蔵などは当然知っているものとして会話の中で使われます。これらを例えとして出せば、人間関係を一発で表現できるので、コミュニケーション効率を一気に高めることが可能なので使われるのです。

逆に言えば、知らないとなると、どれだけ立派な経歴を持っていても、人として大丈夫かと疑われてしまいます。同じプロトコルを持たないとして、相手の土俵に上がれないことすらありえます。そのような機会損失を招かないためにリベラルアーツを身につけておくことは必要です。

世界を変える武器となるということについては、ハイデガーの「世界劇場」という概念を用いて語られています。すべての人は、世界劇場のなかで、それぞれの役柄を演じるために世界に投げ出されます。その役柄を演じることに耽落していくことで、自分の本質を見失ってしまうとハイデガーは指摘しています。いつの間にか、役柄=自分の現存在=本質となっていってしまうのです。

しかし、世界劇場のなかで良い役柄をもらえる人はごく少数しかいません。多くの人はショボい端役を与えられた大根役者として世界劇場の舞台に立たされています。世界が健全で理想的とは言い難い現在の状況においては、この世界劇場の脚本は書き換えられなければいけません。

ただ、この社会に適応している人、すなわち花形役者として活躍している人、そしてこの社会を作り上げる立場、すなわち世界劇場の脚本を書いている人には、それを改変する必要がありません。今の社会に適応できていない人、端役を押し付けられている大根役者こそが変革者となり得ます。

この言葉にぐさっと刺されるものがあったのですが、「大根役者が、大根役者である自分に失望せず、この世界に居残りながら決して耽落もせず、いかに内部から世界をよりよい世界に変えていけるか…」ということが最大の課題です。そして現在の脚本を離れ、新たな世界の脚本を書くのに必要な技術がまさにリベラルアーツなのです。

なぜなら、現在の脚本が歪んでいるのなら、それを前提として書かれた良い役柄を生きる技術、つまり経営学やキャリア論ではなく、より本質的で普遍的なものに目を向ける必要があるからであり、それこそがリベラルアーツだからです。

この本の学びをどのように活かしていくか

この本の内容は、これから独学をさらに深く広く進めていくにあたって、学びになることばかりでした。特に独学をシステムとして捉えること、そしてその構成要素の1つである戦略の重要性についてはとても共感できるものがありました。

幸いなことに今はまだインプットし続けることができる立場にいるので、気になったものは須らくインプットしていきつつ、しっかり戦略立てて学ぶことも実行に移していきたいと思います。他の2つのモジュールについても、まだまだできていないので、ただ単にインプット過多にならないよう満遍なく進めていければと考えています。

これだけのボリュームのレビューを今後も続けていくかは分かりませんが、知的戦闘力を高めるための活動の1つとして形を変えつつも続けていく予定です。


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