見出し画像

助けてあげたいとか同情ってエゴなの?

一緒に食事をする。旅行に連れて行ってあげる。プレゼントを渡す。
こういった事が親孝行だったり夫婦や恋人関係だったりと思っている人が多いかと思います。

それで相手が喜んでくれるならそれは確かに良い事なのかもしれない。
それが愛情表現。
そうかもしれない。
三次元的には。


でも、大きな視野で、「自分自身が生まれてきた意味」とか考え始めたら
たまに「ん、どっちが結局親孝行?」とかって分からなくなる時があります。


例えば「夢を追いかける子」と「田舎の実家にお世話をしに帰ってきて欲しい親」

夢を追いかけてキラキラ輝く事も親孝行だし、それを諦めて田舎に帰る事も親孝行。
体が二つあれば何も問題ないけど自分は自分一人。


難しいね


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ただ相手を思う自分がいる」
という事だけがとても大きな愛情表現なんじゃない?と感じる時があります。


会わない事でも愛は与えられる。
親子も恋人もコントロールを手放す。

僕の親は僕の将来を決めなかった。
勝手に自分で決める事が多かった。
そして「えぇ、聞いてないで」と言いながら
ただ手助けするだけ。


無理に親子らしい関係にならなくても
無理していい彼氏、彼女として振舞わなくても
無理して喜ぶか分からないプレゼントを用意しなくても

相手の思い、深く感じている使命、大事な事の邪魔をしないだけでいい。
それか必要な時に必要な分の手助けだけでいい。

自分が相手を助けてあげよう
自分が相手に理解させてあげよう
自分が相手を成長させてあげよう
自分が相手を引っ張ってあげよう

心配や同情
それはエゴなのかも

相手が喜ぶ事をしてあげたい!という時もありゃ
ただ「相手を思う自分がいる」だけでいいのかもしれない
と思う時もあります。

起業初心者の為のビジネスノートです! 起業した事がない人が、不安な気持ちよりも自分らしさを出しながら楽しんで社会で活躍していけるように。と願いを込めて投稿しております!