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いろんな人と知り合っていろんな人と付き合ってきました。

すみません。
高校時代大嫌いシリーズ。
ただね、どうして嫌いだったかをはっきりしないと前に進めない。
って、いったいいくつ?(笑)

高校が嫌いだった理由の一つになった出会いがあります。
本当に私は、今ならさっさと辞めればよかったじゃない?と思うのですが、当時の私は我慢強いというか、一度やり始めたことは終わりまでやらないと気が済まないというか・・・。

部活に入部して、同じパートのもう一人の同級生の女の子がどうしても好きになれなくて困りました。正直、今でも人生の中であれほど嫌いな人がいるだろうか?というくらい、嫌いなタイプでした。でも、なぜか誰も彼女のことを悪く言う人がいない。今でも不思議なくらい。

本当に無神経で、嫌なことをズケズケ言うし、嘘はつくし、大嫌いでした。
一緒に心斎橋に先輩に連れられてお買い物に行ったとき、待ち合わせの場所でちょっと離れた場所で本を読んでいる先輩、私たちを受け入れようとしない男子の先輩、そしてその彼女。何だか自分の気持ちの持って行きようがない。ほかのパートの子たちは、なんだか先輩方が仲良くしようとされているのに、心が通わない。
優秀な先輩お二人に、嫌な同級生。
どうして続けたのかわかりません。
楽譜屋さんで、彼女が、

これ、私のお父さん。

と言ったのは、外国語の翻訳者。それが自慢でもあったのでしょうね。

でもそんなことはどうでもよくて、私は、彼女と仲良くできませんでした。
なんでもお父様が最難関大ご出身で、お母様はそちらに編入されたとかで、ご苦労されたから娘には・・・、ということで、勉強をしなければならない圧迫を受けていたそうで、そのために私は迷惑を掛けられ通しだったし、こともあろうに、中学校の後輩が好きだからと、部活を途中で抜け出して中学校に遊びに行っているということを同級生から聞く始末。
謝るよりも、

なんでバレたんかなあ・・・?

と言っているのです。
彼女は彼女なりの大変さがあったのだと思います。
今考えても、家の方がまともだったかもしれない。
私のお弁当に夏ミカンが剥いて入れられている、と言って羨ましがってくれた友人と同様、お弁当に思いを寄せるのではなくて、酷いときには、

このご飯、糸引いてる・・・。

と言いながら大きなおにぎりを無理やり食べていました。
よくは知らないし、お母さまは私に会ったときには、

迷惑かけて・・・。

とか、ニコニコ笑顔で話しかけてくださいました。彼女がどうも私のことを悪く言ってはいないのかな?という感じ。

というより、そのお母さまの圧迫が強くて、彼女はほかでダークな部分を見せていたのかもしれません。

大学受験のために早く引退したかった先輩と、勉強のために倒れた彼女との間で、しんどい思いをした私の気持ちに気付かれることなく、いつも指揮者には相当なことを言われたり、横暴なことをされました。彼とて今から思えば弱いったらありゃしない。

ある日、もうほぼほぼストライキ状態の私が遅れて行ってみると、彼女が病気で倒れたらしく、指揮者が、そういうつもりはないにせよ、みんなの前で、まるでお前のせいやと言わんばかりに、

○○さん、病気で倒れてん・・・。

あの日の先輩のあの顔を今でも忘れることはできません。

不誠実な彼女は、その後、勉強では相当飛ばしていたとのことですが、大学受験は大失敗。
やっぱりね・・・、と別に嬉しく思ったというよりは、変に納得したという方が正しかったけど、そう思いました。

この成績やったらあと100点はあるはずなんやけど・・・。

と言われて、受験した大学は、その大学受験するのから100点低いくらいでは受験しない大学で、尚且つ不合格。
あれだけ勉強頑張ってたのになあ・・・、と不思議の感に打たれました。

なんで今頃こんなことを書いているかというと、もしかしたら、何かに嘘だったのかな?と思い始めたからです。
いえ、彼女だけではありません。結構自分の立ち位置をよくするためにはみんなまあまあウソの一つや二つ言わなければならない場面もあったのでしょう。

彼女の親御さんの職業もあったのかもしれません。
あの環境で勉強できないなんて、きっと許されなかったのかもしれません。

ということで、結構散々な思いをした頃のことを、その後に先輩と再会するたび、女性の先輩はいつも謝って下さました。
お付き合いされていたお二人が、いつも私たち下級生を放ったらかしにして2人の世界に没入してきたこと。

でも、そこまでひどくなかった私は、そしてもう一人の彼女が不在がちなのに、私ばかり下級生から突き上げを食らいました。3人のうちの一人が思い切り辛辣でした。が、その彼女も、

どうしたん?

という大学に入学しました。別にレベルの問題ではなくて、あれだけ偉そうに言っていたなら、もうちょっとがんばるでしょ?という具合。

阪急電車の中で再会したとき、高校現場の生徒のことで頭がいっぱいで、その話でもしたのでしょうか?
彼女は小さくなっていました。
そんなことで小さくなるくらいなら、初めから人の足を引っ張ったり、偉そうなことを言わなければいいと思うのですが、何気にその頃の経験は今の受験指導にしっかり役立っています。

なんでそうなるの?という人もたくさんいました。
いつも聞いている話と違う・・・。
きっと毒舌を吐いていたり、人に嫌なことを言っているから?と思っていたけれど、そもそも盛っていたのかもしれないと今ごろになって気づきました。

彼女との出会いも、どこか学問への懐疑を深めた、いえ、学問ではなくて、大学進学とは何?学歴って何?と思ってしまった理由です。

当たり前にいい大学を出たからと言ってそのままそれが素晴らしい人であることと直結しません。でも、若かった当時の私は、そこに行ったら素敵な人に出会えると信じて疑いませんでした。

彼女は、人の積み上げた努力の上の一番いいところだけを持って行くタイプ。
指揮者もそういう人だったと思っています。

ちょっと側にいた人がそういう人だったのだと思います。

かつて、当時本当にお世話になっていた人が、言ってくださいました。

あなたみたいに、いまどきまっすぐな人はもっと自信持っていいよ・・・。
実直で誠実で、最高やん・・・。

その当時、同様なことを誰かに言われても、私は意味がわかりませんでした。そもそもまっすぐしていると思ったことはなかったのです。
でも、周りの若干のあれこれを知ったり、人はこういうことをするのか?ということがわかってきたり、なにより、勉強に大変な学校に入学した生徒の、ある言葉を聞いて、

ああ、ここまで指導者に言えるのか・・・?

と思ったとき、その子なりに一生懸命自分を持ち上げるために人の値打ちを下げたような表現するんだな、と気付いて、

ああ、この表現、どこかで聞き覚えがあるな。

と思い起こしていました。
それはそうです。みんなそこそこできる人の集まりで、それは勝ちたいし、勝たなければならないのですから。
そんな場所で、何もかも正直に話していた私がバカなだけです。(笑)

バカはバカなりに、メリットもあります。
ウソをつかないから、大抵のことは信じてくれますし、信じられない場合は、わかってくれない、と思って悲しくなります。
それに、ああ、できてない、できてない、と思って生きているので、当然そのことの結果を出すころには準備ができていることが多いのです。
それも盛らずに生きている効用だと思っています。

当時出会って嫌だった人は、きっとしんどかったのでしょう。
必死に生きていたのでしょう。
泣くし、平気で自分の弱いところを見せられた私の方が我慢がなかったのかもしれません。
私が失恋した時には、周りが本当に心配してくれたようです。
真面目に落ち込んでいたのを思い出します。(笑)

本当にすみません。
今頃こんなことに気付くなんて。
もう少し、気の利いた人間になれるように努めたいと思います。
遅ればせながら。

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