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花屋の看板に

花屋の看板に

花屋の看板に、今日が母の日と知らされる。何かにせっつかれる思いで、その人に電話をする。特別なプレゼントも、心のこもった言葉も用意していない。

ただ、母の日という日に電話をする。その事実をもってすべて察しろ、という態度を彼女にとがめられず、2人、ぎこちもなく他愛もない話をする。

思い出した様子で、だけど満を持して、彼女は、兄にカノジョができた話を切り出す。「2年も黙ってるなんて」と怒って見せつつ

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夫婦を何組か集めて

夫婦を何組か集めて

夫婦を何組か集めて、夫と妻の写真を別別に撮影して、それをバラバラに並べる。「この中から夫婦の組合せを選んでください」と被験者に尋ねる。

アメリカの大学の研究によれば、若い夫婦の写真の組合せよりも熟年の夫婦の写真の組合せの方が正答率が高い、という。つまり、夫婦は、次第に似てくる。

「共有された時間がそうさせるのか、共有された環境がそうさせるのか、それとも共有された感情がそうさせるのか」と私は、不

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ウエイトライスを贈る

ウエイトライスを贈る

ウエイトライスを贈る新郎新婦の涙と、それを受け取る彼等の両親の涙。それを見守る友人たちの涙。それらに釣られて、私も暗闇に紛れ涙を拭っている。

新郎新婦の出生時の体重と同じ重さのお米に赤ん坊だった頃の写真やメッセージを添えて両親に贈る。それがウエイトライスです、と司会が説明してくれる。

初めて我が子を抱き上げた記憶と、近くから遠くからその成長を見守ってきた月日と、彼と彼女が旅立っていく寂しさと。

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オルニトミムス

オルニトミムス

オルニトミムスの学名は、「鳥(ornith)に似たもの(mimus)」という意味で、その名のとおり、鳥のような長い首、長い脚、小さな頭を持っていた。

その名のとおり、鳥のような翼もあった。でも、別名、ダチョウ恐竜とも呼ばれ、その名のとおり、彼ら・彼女らは、飛べなかった。

「飛べない翼は、翼と呼べるのか」と、君は、いう。でも、その翼には異性に求愛する機能があり、また、卵を温める機能があった。多分

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星の王子さま

星の王子さま

星の王子さまは、薔薇の美しさに心を奪われ、彼女を愛し、献身的に尽くした。水をあげ、風や寒さから守り、常に彼女のことを気に掛けていた。

でも薔薇は、その愛情を喜ぶ様子もなく、むしろいら立ち、要求をエスカレートさせて王子さまを振り回す。2人の関係は、悪循環に陥り、お互いを苦しめる。

その原因は、わがままな薔薇のせいのようにも見える。でも、薔薇の言葉の奥深くには、孤独と不安が見え隠れする。王子さまに

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白髪

白髪

白髪が増えたり、しわが深くなったり、歩みが遅くなったり。両親のそんな変化を目の当たりにする気がして、1年半振りの帰省の道では、足取りが重かった。

1年半振りの両親は、それなりに相変わらずで、内心ホッとしながら、その安堵を表現する素直さもない。食卓には、(子どもの頃の)私の好物が並んでいた。

「仕事や人間関係の悩みの1つでも打ち明けたりして見せることが親孝行というものか」と分かりながらも世間話す

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2016年の2月29日

2016年の2月29日

2016年の2月29日は、確か、月曜だった。日曜の夜、カレンダーを眺めながら、Sがいった。「なんか、4年に1度のおまけの日って、得した気分になるね」。

「そうかなぁ。休みの日だったらそうかもしれないけど、1日余計に働くって、損した気分しかないけど」。私は、TVを見ながら不満を垂れた。

「キミぃ、それは、人生への対し方という、根源的な問題だよ!」と、冗談めかしてSが笑った。「じゃあさ、明日は、2

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父母や配偶者

父母や配偶者

父母や配偶者、子や孫。そんな大切な人と自分の年齢、性別、職業と同居・別居の別を入力し、相手との日頃の接点や親密度を問う7つの設問に答えていく。

「結果を見る」を押せば、それぞれの平均余命とともに2人が向き合って過ごせる残り時間が表示される。ジブラルタ生命の「いっしょの時間」というサイト。

同じ家に住んでいても、仕事や家事に追われ、向き合う時間は、案外少ない。多くの人は、大切な人との「いっしょの

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故郷へ(2)

故郷へ(2)

故郷へ帰って行った君は、いう。「今回、家貸してくれたけん病気せんですみました!ありがとうございます!また来る時は連絡しますね♪」。

君のことで1人で不安になり、1人でイライラし、1人で疲れていた私は、君が残していったその無防備な文面に行き当たり、そのたび何度も泣きそうになる。

「病気せんで、本当によかったナァ」。他のことは打ちやって、心底そう思う。そして、君への親愛の情とスケベ心を切り分けられ

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故郷へ(1)

故郷へ(1)

故郷へ帰って行った君が残していったメッセージを、1人、読み返している。「今、電車に乗ってT駅行ってます!10日間、お世話になりました!」。

先月、「今度、しばらくそっちへ行くんです」と連絡をくれた君に、「部屋へ来ないか」と私の方から持ち掛けた。

親切心に忍び込ませたスケベ心が、確かにそこにあった。君のことを大事にしたくて、だけどそれと同じだけ私を、私のことだけを大事に思ってほしくて。

そのス

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数箇月に1度

数箇月に1度

数箇月に1度、なぜか決まって仕事中にケータイに父親から着信があった。夕方、着信履歴に気付いて、「何事か」と胸をざわめかせて折り返す。

「元気か」「まぁ、それなりに」。「仕事は忙しいか」「まぁ、それなりに」。
「たまには帰って来い」「まぁ、そのうちに」。

父親の用件は、毎度それだけで、彼以上に不器用な私も気の利いた返しをせず、2人の会話はいつも核心に至らなかった。そんな電話も、次第に減っていった

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久し振りに焼肉など

久し振りに焼肉など

久し振りに焼肉などを一緒に食べながら、君がいう。「ニンゲンは、元元、夜行性だったんですよ。

今でもほとんどの哺乳類は、夜行性で、暗闇の中で生き延びるための順応性を持っているんです」と。その方面に詳しくない私は、同意も不同意もできない。

良くて終電、そうでなければ始発でネグラへ戻って来て、そのまま布団に潜り込んでしまう君の方が、本来の、全うなニンゲンの姿なのかもしれない。

日が昇れば働き、夜行

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20時12分

20時12分

20時12分、HからのLINE。「ご都合よろしければ、明日の夜にでもお電話できますでしょうか?御礼と近況報告など、お伝えしたく思います」。

「私もHの声が聞ければ嬉しいので、明日21時過ぎとかでよければ、こちらから電話しますね。都合が悪ければ、また教えてください」。

「いえいえ、私から掛けます。ありがとうございます」。他人行儀とは、思わない。むしろHの律儀な性格が文面からにじみ出てきて、かわい

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早めに仕事を切り上げて

早めに仕事を切り上げて

早めに仕事を切り上げて、カイシャ帰りに商店街を歩いている。保育園帰りの子どもたちがパパやママとお買い物をしている横を、駅に向かって歩いている。

脈略もなく、「お手伝い券」のことを思い出した。それは、私が彼等くらいの年齢の頃、クレヨンで手作りして母親の誕生日にプレゼントした券だった。

彼女は、それをそろりと引き出しにしまい、けれどそれを使わない間に彼女は、老いてしまった。私の方も、債務を履行せず

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