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安心感を得るよりも足どりの軽くなる方向を目指したい

妻の三つ子妊娠がわかったとき、ネット検索しまくった。三つ子の3番目の病気や障害がわかったとき、ネット検索しまくった。同じ境遇の人をネット上で発見して、安心したかったのだろう。


三つ子が生まれて、育休を取った。世の中、イクメンだとか男性の育児参加なんかが徐々に浸透してきた時期と重なった。(まだまだ十分とは言えないだろうけど長女の時より浸透してきている感じはある。) 職場的には、あまり長期で育休取る男性はいないので、うしろめたさや今後のキャリアとかの不安はあったけど、世の中からすると同じ境遇の人もいると思えて安心した。


たまたまではあるが、育休を取ったタイミングで世の中では新型コロナウイルス感染症が流行り、自分の職場も在宅ワークとなった。半年間の育休からの復帰のとき、みんなも在宅ワークだから自分も在宅ワークとした。というか、させてもらった。みんなも在宅ワークだから安心した。


みんなと一緒は、安心する。


では、みんなと一緒じゃなくなったとき、自分はどうやって安心感を得るのだろうか。


三つ子の3番目は、生まれつき複数の病気持ちだ。大きな病院で、先生方のサポートもあり、充分な医療を受ける事ができていると思う。(三つ子なので、病院行くだけでも大変なんだが。)


医療は、同じ症例がたくさんあって、こんな治療すれば、こんな対処療法すれば良くなったり、悪くなるのを防いだりができますよって言うイメージだ。つまり、みんな、こんな治療してるから大丈夫的な安心感が得られるのだと思う。逆に特殊な病気の場合は、症例の数か減るから充分な安心感が得られないとも言えるだろう。


三つ子の3番目は、病気からくる障害ももっている。三つ子が成長するにつれ、医療から福祉の分野へ依存度が上がって来ている。福祉は、みんなと一緒が成り立たない世界の様に感じている。障害と一言で言っても、身体的な障害、知的障害、発達障害、目に見えない機能的な障害もある。そして、まずは障害を受け入れる受け入れないから始まって、その障害を受け入れたあとも、障害に対してどんなサービスを受けたいか、どんなサービスが受けられるのか、パターンや種類がさまざま。かつ、行政の福祉サービスは、自分から申請しに行かないと先に進まない。自分の意志を持ってサービスや手当てを申請したり利用したりする必要がある。福祉は、みんなと一緒の安心感が得られにくい。


さらに医療は、病気の箇所が段々と良くなって行く様子が感じ易いかもしれないが福祉は、良くなって行く様子が感じにくい気がする。


三つ子の3番目は、発語が乏しく言葉が遅れている。そのため、会話をして、こうしてほしい、ああして欲しいを自分からすることが苦手だ。そのため、親としての「安心感」や「良くなっていく感じ」を受けにくい。どんな福祉サービスを受ければいいのか、どうやったら安心感が得られるのかモヤモヤしていた。


そうこうしていると幸いなことに、3番目は、発語がなくとも感情表現が、豊かになってきた。怒るときは地団駄を踏むし、嬉しいときはウキウキで足どりが軽い。


「みんなと一緒の安心感」は、あくまでも親側の視点で、子ども見たときに、周りと比べて得られる安心感でしかない。


子ども本人の気持ち、「ウキウキで足どりの軽くなる方向」を探していけるようになりたい。

そんな思いを胸に三つ子の3番目と接していきたい。と思っている。

けど現実はそう甘くはない。夜寝ないで悪ふざけする三つ子たち。動画ばかり見ているお姉ちゃん。堪忍袋の緒が切れて大声で怒ってしまう。

あぁ。またやってしまった。。。

ねぇねえ、みんな大声出して怒っちゃうよね。ねっ。と自分の安心感を得るためにTwitter、いやXの子育てアカウントのつぶやきに溺れる。

いやいや、いかん。
ウキウキを探さないと。

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