記憶への刻み方

病気になったらしいと分かったとき
最初に主治医になった医師は自分で
とにかく物忘れが多いと話していた
忘れられないのは救えなかった患者
そんなことをよく話していたと思う

転院して今の主治医に変わってから
彼は特にどうこうは言わないけれど
わたしはわたしなりの知識から思う
おそらく医師を続けていく限り彼は
悲しい結末を迎える患者にも出会う

悲しい結末にならないようにすると
今のところわたしは自分で言うけど
こればかりは脳のバグなわけだから
絶対的なことは何も言えないわけで
ただちょっとだけ思っていることは

悲しい結末で彼の記憶に残るよりも
違う形で印象に残るほうがいいなと
例えば慶事に立ち会うとかそういう
なかなかできない経験で記憶に残る
そんな患者であったらいいなと思う

だから全然予定はなくて気配もないけど
彼が主治医の間にわたしに慶事があれば
立ち会わないか誘ってみたいと思うのだ
返事がどうであれそんな機会を差し出す
風変わりな患者がいたなというくらいの

記憶に残るならそんな刻み方がいい
悲しい結末で苦い思いをするよりも
笑えるくらいに屈託のない思い出で
悲しい結末を避けられない定めなら
ハレの日に立ち会うことがあっても
いいじゃないとちょっと強引にでも

そのときには絶対にツーショットの
写真を撮ってもらおうと思っている
苦笑いしながらちょっとノッてきて
写真に納まる姿が目に浮かぶようだ

悲しい結末を迎えないで済むように
どこか楽しい記憶として残るように
記憶に残るならそんな刻み方がいい