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当たり前という幻想(自然と日常の間に何があるのか?)

当たり前とは何だろう?
そんな事を考える人は多分ごく少数派だろう。
そもそも何でこんな事を考えるようになったのか?
そんな事を少し整理してみたいと思う。

私は普段、ガイドをしている。所謂、ネイチャーガイドのようなものだ。
自然の中に入っていると、皆さんが感じている当たり前が当たり前ではなくなる事が多々ある。

自然の中に入り、不自由さを感じるかもしれないが、とても美味しい。

例えば、トレッキングなどの山歩き。
山は自然なもので、食料も水も全て、自分で運ぶしかない。これは当たり前だ。
例えば自宅などで過ごしていると、蛇口をひねれば当然、水は出るし、温かいお湯だって出すことができる。
冷蔵庫では食料を自由に保存でき、欲しい時に欲しい量だけ取り出す事も可能だ。
また、それらを調理するにもガス電気などの調理家電を使い、自由に料理することができる。さらに、ボタンひとつで部屋の中を明るくする事もできるし、雨風を防ぎ、快適な環境で休む事もできる。
これらは住環境においては当たり前の機能ではある。
逆にこれらの一つでも欠けると実に不便で直ぐに文句を言ってしまう。
では、自然の中ではどうだろうか?
答えは簡単で、自分で用意する、または、自然の中でそれらを調達するしかなく、実に不便だ。水や食料はある程度は運ぶ事ができるが、その量はしれている。調理する為のガスなども多少は持込める、最悪、自分たちで火を起こす。

洞窟の中は陽の光が届かない真の暗闇

さらに極め付けは、洞窟の中を探検している時。
夜の暗さとは比べ物にならない、日の光や星明かりが一切届かない、真の暗闇の世界。当然、コンセントは存在しないので、明かりを確保する為に、ライトを持込む。しかし、ライトが当たっている範囲以外は全く何も見えない。
そして、ひとしきり探検した後、地上に出て太陽の光を浴びる。
暑いだの何だのという感情はなく、明るくて温かい、この環境がとても有難い!その一言に尽きる。
私たちは普段当たり前と思っている事は実は当たり前ではない事に"ここ"でようやく気付く。
エネルギーや食料自給率などの問題も叫ばれる中、私たちは日々、当然のようにそれらの恩恵を受けていて、いつまでも「当たり前」のように利用できると思っているのではないだろうか?
日々の時間の多くを自然の中で過ごしてるとそんな事を考えるのだが、中々、そんな時間が取れる人は多くはない。
自然に入る事を単なる癒しや楽しさだけを求める行為ではいつまでもその思考にはいきつかないだろう。自然がいつまでも当たり前のように存在し、私たちがその恩恵を受け続ける為には、その当たり前が間違っていた事を理解しないと次世代には残していく事が出来ないだろう。
これからは、"自分事"として捉え、「きちんと考える自然経験」が必要なのではないかと思う。
アウトドアアクテビティに楽しさや癒しを求める事が悪いわけではないが、もっと大きな可能性を秘めていると思っている。そんな、自然体験を提供する事が私たちの理想で、新たなビジネスチャンスとなるではないかと思う。

自分たちの身近にある自然に触れてもらいたい

自然と日常についての考えはまた、後日整理して、書いてみようと思う。
こんな事を考える私たちは、アウトドアガイド業界でもアウトサイダーなのだと思う。

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