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松田聖子「SQUALL」と山下達郎「RIDE ON TIME」〜1979年と1980年の境い目はどこにあったのか?

1980年に入って年越しライブを一緒に見に行ったドラマーのM野君からカシオペアから佐々木隆さんが脱退したことを聞く。新しく起用されるドラマーはベースの桜井哲夫さんの慶応大学の後輩だという。その時のお披露目ライブは芝ABC会館でのライブであり後の名盤「サンダー・ライブ」なのだが自分たちは佐々木さんの脱退について何か釈然としないものを感じていた。M野君は学年で主席の成績という頭もいい男だったのでもう受験する大学も決めて勉強に取り組み始めていた。自分も成績は悪くは無かったが、どこか将来に向けて漠然とした不安を感じており受験にあまり真面目に取り組めなかったように思う。聴く音楽もさらにマイナーな英国以外のプログレやカンタベリーロック、特にBRUFORD周辺とアラン・ホールズワースにのめりこんでいた記憶がある。

しかしながら受験勉強もろくにせずに洋楽至上主義のイキった高校生だった自分が(それには日本の音楽産業の変化という理由があったことが最近分かってきた。いずれきちんと書きたいと思う)日本の歌ものも聞いてみようかなと思ったのが前年にライブで見た山下達郎のシングル「RIDE ON TIME」のCMタイアップとそのスマッシュヒット、5月ごろだったと思う。あの時に見たロン毛のあんちゃんはやっぱりすごいひとだったんだと思い8月にアルバム「RIDE ON TIME」がリリースされたら割と速攻で買ったはずだ。

同じ頃親しくしていたクラスの友人の一人にM崎君という男がいた。彼は確か吹奏楽部に所属しトロンボーンを演奏していたと思うが控えめな男で一緒に演奏したりすることは無かったが僕やドラムのM野君がカシオペアやジャズ/フュージョンの話題をしているのを聞いて話をするようになった数少ない音楽が話せる友人だった。彼の興味はアレンジメントでボブ・ジェームズとかクインシー・ジョーンズとかビッグバンドジャズにあったと思う。そして彼がやはり夏頃に持ってきたのが松田聖子の1stアルバム「SQUALL」だ。

日本のポップス、ましてやアイドルなんて興味ないとイキり全開高校生の自分だったが実は松田聖子は気になっていた。やはり1980年の春頃に「エクボのヒィミツっ、あげたいわ〜♪」と歌うCMの歌がすごく気になっていた。CMでも耳を惹かれるその声はCMに出ていた美少女が歌っているものと思い込んでいた。そしてしばらくして次のシングル(昔は3ヶ月ごとにシングル出していたんですね!)の「青い珊瑚礁」がリリースされた時に多分テレビに出演する松田聖子を見て初めて顔と名前とあのすごい声が一致した。「ものすごく可愛い、そしてものすごく歌がうまい、歌謡曲のアイドルのなのに・・・」衝撃的な存在だった。そんなタイミングもばっちりに真面目なM崎君がアイドルのアルバムを持ってくるのも意外だったが「けっこういいよ、コレ」「ふ〜ん、一応聴いてみるよ」とカッコつけていたが、借りられてとても嬉しかったことを憶えている。

アルバムトップの「~南太平洋~サンバの香り」で最初からやられた。当時世界最高にかっこいいリズムだと思っていたスティーヴ・ガッド風16ビートフュージョンドラミングが炸裂するポップス、アイドルの歌なのにカシオペアや高中正義が展開している世界と同じノリと匂いだった。そしてLPのA面最後5曲目に収められていたのが彼女のデビュー曲「裸足の季節」だ。これがCMで聴いた「エクボの~」の曲だった。16ビートのシンコペーションとメジャー7thのテンションコードのキレのいい曲に乗っかって朗々かつ軽々と歌い上げる少女、松田聖子が自分にとって初めての16ビートを制覇した日本人シンガーだったのだ。

この「SQUALL」は現在でも名盤として評価が高いようだ。アルバム「SQUALL」についてはnoteでもたくさん記事を書かれている”音楽の杜”さんの解説記事が素晴らしい。

「RIDE ON TIME」「SQUALL」の2作は今思えば16ビートのリズムを乗り越えた、声のデカイシンガーという点で共通していた。この1980年にリリースされた2枚のアルバムと1979年末にリリースされた松原みきのやはりデビューアルバム「POCKET PARK」の3作品が日本に於ける本格的な16ビートがヒットチャートに上がる分水嶺だったことが後で分かるようになる。

「RIDE ON TIME」にも触れておこう。こちらも1曲目の「いつか(SOMEDAY)」にやられた。何にやられたかというと伊藤広規さんと青山純さんの二人が繰り出すリズムに、である。16ビートなのにカシオペアとは全く違う太いビート。そして青山純さんの打点の大きいドラム・サウンド。こういったミュートとコンプレッサーが効いたドラム・サウンドはこの頃に歌ものに多いのかなぐらいの印象だったがそれは大きな間違いだった。この青山純さんのドラムサウンドこそジャパニーズ・シティポップのキモであることが40年経ってやっと分かった。2曲目の「DAY DREAM」は当時の最新鋭だったいわゆるE,W&F風の16ビートシンコペーションを駆使したファンク曲、続く「SILENT SCREAMER」もアッパーなファンクナンバー、中間部のファズっぽいギターサウンドが少し古臭いかなと感じた。そして「RIDE ON TIME」やはりいい曲だ。少しCMで聴いていたものと違うようだ。しかしこのハイハットの♪チキチッ♪チキチキッての入っていたっけ?エンディングのアカペラもかっけええ! でB面、「夏の扉」可愛いいい曲だな。難波先生のシンセもいい音だなあ。「MY SUGER BABE」これもいい曲だな。「RAINY DAY」「雲のゆくえ」なんか地味じゃね?「おやすみ」達郎さんもしかしてプログレ好きなのかな? という訳でまだ子供の自分にはB面をあまり聴かないアルバムになってしまった。達郎さんファンの方、なんかすみません。「RIDE ON TIME」B面を理解できるにはあの時はまだ子供すぎました。

この後、ようやく受験勉強に取り組む気になり再び達郎さんの音楽にちゃんと向き合うのは1年浪人して大学入学後の1982年4月、すでにリリースされていた「FOR YOU」をちゃんと聴くまで停止してしまう。松田聖子はその間にニューミュージック系のシンガーソングライターの楽曲を取り上げ、大滝詠一とのコラボ、そしてニューミュージックの女王、ユーミンが「赤いスイートピー」を楽曲提供するようなビッグな歌手に上り詰めていた。カシオペアも新ドラマー神保彰さんが大活躍して全国をホールツアーするような人気バンドになっていた。浦島太郎のように1年半ほどの間に何もかも変わっていたような気がしていた。日本だけじゃなく英米のポップス市場も変わっていたのが分かるのは大学入学後しばらく経ってからだった。

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!