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地下鉄と壁とサバンナ

①地下鉄

本来そのデザイン任されて「最高の地下鉄駅!」と世界中を唸らせてたかもしれないと個人的に思える人たちが、大阪の地下鉄駅のデザイン案をひでぇひでぇって、晒してる。

それって結局そういすごいひとたちの今までの数々の素晴らしい功績をもってしても、「国民の美的感性を根本的に教育しちゃう」(音楽でいう小室哲哉的に)までには至らなかったってことじゃないの?という感じで、モヤる。

"あれをいいと思ってるやつ信じらんない"までいくとかなり思考回路がいじめっ子モードだよなぁ。

青山の児相に反対する人は最低だ、と言う一方で、「ダサいデザインはこっち来ないでくれる?」って言ってる感じ、なんだろうか。モヤる。

②壁

いまからその地下鉄プロジェクトに乗り込んでデザインしなおせるわけじゃないのは承知なんだけど、なんか洗練デザインマシンにテプラが貼られちゃうような、「作り手界の洗練志向」と「庶民の大衆性」の壁を感じる。

政治家がカップラーメンの値段わかんなくて責められるみたいなことが、ものづくり界隈でもきっとあるし、"責めてる善の庶民側だと思ってたら自分がいつのまにか「カップラーメンなんかもう食わねぇし」とか言う政治家側にいるってのは、経験を積んで腕を磨くほど陥りそうな罠"に思える。

実は壁なんかもうとっくに壊れてるんだろうし、むしろ壁をつくろうとしてるのは「洗練志向」側で、しかも壁際の店だ。必死でつくった壁の向こうから、個人商店が押し寄せてくる。"中途半端に高い料理を食うくらいなら友達がつくったホットドッグを食べるわ"、というお客さんたちを引き連れて。

まぁこの投稿自体が「外野から文句言う」という点で冒頭の批判とだいぶ相似形だし、ブーメランなのが苦しいとこですね。
「自分の美学にこだわることと、他人の感性を否定することは違う」と言おうとしましたが、そう言うとこの登校はまさにブーメラン。まさに相似形。

③サバンナ

相似形ついでに言うとなんとなく根本には、「落ちこぼれでも死ななくていい」ように発展してきた人類が、新しい「落ちこぼれは食われて当然」的なサバンナを再構築しているようで、ちょっと怖いというか。

でもこういうことを僕がnoteで言っちゃうのって、「自分は最先端でありたいのに最先端にいれてないから最先端を批判してポジショニング」というコンプレックスも大いにあると思います。

そもそも自分が生き残れるサバンナなら不満は浮かばないはずなので…。

なんか焦ってんだな、自分。無我夢中になんかやってればこんな人様の態度にあーだこーだ言う記事は書かない。

相手の背中に変な紙貼ってぷぷぷ、と笑ったりするには相手より後ろにいないとダメだし、前だけ見て走ってる人は背中の紙とか気にしないっすからね。

とにもかくにも…精進します。

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また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。