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2年間過ごした和歌山を旅立つ日

和歌山に来たのは2年前。
今日その和歌山を離れる。

この和歌山に来る前は、福岡にいて、
新卒で就職した会社で約2年間働いた。
学生から社会人になったばかりの
いつもあたふたしていた自分を暖かく
育ててくれたそんな会社の人たちだった。
いつも助けられてばかりで、
いつも何かをしてもらっていた。

僕は与えられる側の人間だった。

そんな居場所を離れるときに
こんなことを口にしていた。

誰かに何かを与えられる人になってきます!

そう意気込んで出てきたこの和歌山で
僕はやっぱりここでもたくさんのものを
もらってばかりだったような気がする。 

クラブが始動してまだ2年。
芝生のグラウンドでトレーニングができて、
週末には必ず試合ができる。
当たり前のようで当たり前ではなかった
そんな環境があった。

職場にはいつも僕のことを
気にかけてくれる人たちがいて、
練習後には「お疲れ様」
試合に勝った後には「おめでとう!」
そうやっていつも声をかけてもらった。
それだけでなく、
僕の実家のある長崎のことまで、
気にかけてくれるそんな人たち。

試合に行けば、
横断幕を掲げて、太鼓を叩き、旗を振る。
声を出して手を叩いて応援してくれる
サポーターそしてファンの皆さんがいた。
試合後には勝利をともに喜び、
敗北には一緒に向き合い、悔しがってくれた。
試合から帰るときには、
荷物がいっぱいになるほどの差し入れを
いつもいただいた。

この2年間。
僕は和歌山にサッカーをするために来た。

そんな僕はこの街で
たくさんの人と出逢うことができた。
こんなにたくさんの人と繋がりを持つことが
できるなんて想像もしてなかったし、
そうなれたことは当たり前のことではない。
どれだけ感謝しても足りないくらい。

本当にお世話になりました。
そしてありがとうございました!!

和歌山を離れることが決まり、
この街で出逢ったいろんな人と話をした。
そこで思ったことがある。

古賀洋之という人間は、
こんなにもたくさんの人に
受け入れてもらって、認めてもらって、
応援してもらって、支えてもらっている。
それはここで出逢った人たちも
さらにはここに来るまでに出逢ってきた人たちからもそうだ。

それがどれだけ凄いことで
何よりも価値があるものなんだと。
人との繋がりをそのありがたさを感じた
この和歌山で書く最後のnote。

おかげで少しだけ自分のことを
自分で認めてあげられるようになったと思う。

和歌山県の南紀。
僕が26年生きてきたなかで考えると
そのうちの2年間しかいなかったけれど、
この街が第2の故郷、
いや自分の故郷である長崎と同じくらい
大切な居場所、帰りたいと思う場所になった。


誰かに何かを与えられる人になってきます!

和歌山に来る前に口にした言葉は
まったく実現できてはいない。

でもいつか僕が出逢った人たちに
それまで与えてもらったことを
今度は自分が
誰かに与えられる人になっていけたらいい。

あの日の言葉は
そのための言葉だったんだと今は思う。


いつか自分もそちら側へ
           そんな人になりたい。


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