私の芸術運動33「思い出す」

思えば昔から私は自分の人生を誰よりも一番そばで見てきました

まだ30年生きてきた若造ですが思い返すと本当にたくさんのことがありました、その内容の濃さに我ながら感心いたしますがそれは誰もが一緒なのでしょう。

それに私自身が忘れてしまった空白の期間も含めて人生はここまで続いてきたのです、思い返せば楽しいことばかりでは無いですが、それでも楽しかったと私は思っていますし、これからもそうなると確信しています。

しかし出会った人の中には、自分の辛かった体験だけを覚えて生きている様な人がいます、何年も前の事をつい昨日のことの様に憤りながら話し始めたりするのです

私はその人の体験はさぞ辛かったものだろうと察しますが、その事で今でもなお当事者に新鮮な怒りを抱けるのは大変疲れるだろうなと思うのです、私は人間のタイプとして案外思い出としてすぐ昇華される人間ですから過去の事で怒りを新規で生み出す事はありません、もしあるとすれば、それは自分がその過去の事から卒業出来ていない証と私は思います

人間はトラウマという心的要因をいくつも抱え生きていると思いますから、他人の私が無下にしてはならないと感じます、しかし私が本当にそういう人に大変だなと思うのはその過去のことに囚われているということではなく

その過去の事に囚われ、今を過去色に染めて生きていて、なおかつ周りにその感情を発散し共感として自分の過去に感情移入させるという事をしているという事です

何もそんな難しい話では無いというかもしれませんが、大なり小なり私からすればそれは、今を放棄している!そういう瞬間に映るのです

(私が単に馬鹿で、心に残る経験を何もしてこなかっただけなのかもしれません)

過去から学び、それを乗り越えることは大事と私は思いますが過去に生きる事とは話が別でしょう、その逆に未来への不安で今の自分を放棄してしまうこともまた同義に思います。

過去の問題の解決方法は、未来の問題の解決方法と奇しくも同じだと私は考えます。

その解決方法とは

今を全力で生きる事です。

過去の自分には乗り越えられなかったことも今の自分には乗り越えられるかもしれない

もし無理でもこれから未来にかけて自分が今を頑張って生きてゆけば乗り越えられる、その時まで頑張ろう。

ただこれだけです!笑

今を頑張る事!!が、過去と未来を乗り越えるための全てです。

映画の冒頭のシーンが、映画のラストシーンを見た時にふと思い出され、心を熱くするのと似ています、全てはいい思い出となって心にエネルギーをくれます。

私のこの人生観は、そっくりそのまま私の芸術観です

過去と現在と未来の相互作用で今この瞬間に合致したものが私の芸術作品へと昇華されてゆきます

私の絵からは、聴こえる人には聴こえる声で確かに何か話しています

私は画家になる前、美術館で絵を見あさっていた時にそういう声を頼りに自分なりの絵画の見方を確立しています、というよりも、絵に呼び止められ耳を澄ませただけなのです

それは画家になった今もそのまま制作に欠かせない感覚となっています。

私はこの自分の感覚をまだ言葉にも出来ませんし、うまく絵で表現できているとも言えません

歩いているとふと呼び止められたりするのです

多分今の私は映画の冒頭シーンのようなもので、私の人生の後半から見れば胸を熱くさせる何かの答えが明確になり、不思議な感動を生むのだろうと思っています、私は完成された絵画を、つまり、私の集大成を今描いているのではなく、そういう絵が描ける様になるまで全力で今を生きて描いて行こうと思っているのです。

私の映画のラストシーンはどの様なものになるのか、私が一番楽しみにしています。

私は私自身の持つこの感覚が""何か?""を知りたいだけなのです。

だから

辞めるとか、続けるとかそういう基準で画家をやっていません、多分生まれた時からすでに画家なのです、物心ついついて、自分が画家だと自覚して、絵を描き始める、ごくごく普通の当たり前のことをただやっているだけです。

これは誰にも言える事です、今の自分が、まさに自分自身です、自分で決める必要も、他人に決められる必要もありませんよ。

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