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東京マラソン「僕が注目するランナー 永井 秀篤」

いよいよ明日3/3(日)東京マラソンが開催されます。年々盛り上がりをみせるこのレースには、数多くの有名ランナーが出場します。
そのなかに僕のよく知っているランナーが出場します。(勝手にそう思っているだけかも…)
そのランナーの名前は

永井 秀篤(ながい ひでのり)
横浜DeNA ランニングクラブ所属
 です。

(横浜DeNA ランニングクラブHP から引用)


彼は僕が以前所属していた横浜DeNA ランニングクラブのチームメイトであり、中央大学時代のチームメイトでもあり、同郷の先輩後輩(勝手にそう思っている)でもあります。

そんな永井選手について今回は書きたいと思います。

彼と初めて出会ったのは僕が中学2年の時、もう13年前になります。同じ富山県南砺市が地元で、県大会の地区予選レースで初めて顔を合わせました。
初めの印象はなにやら速い1年生がいるなという程度のものでしたが、こんなに長い付き合いになるとは当時思っていませんでした。人生なにが起こるかわかりませんね。(人生を知った口を聞いてすみません…)

ひとつ学年が下の永井選手ですが、その実力は上級生だろうと関係なしに打ち負かす強いランナーでした。それは今も変わっていないと思います。


【永井選手の主な中学校時代の経歴】
1年時:1年1500mの部で北信越大会優勝
2年時:全国Jr.オリンピック1500m入賞
3年時:全国中学校選手権3000m4位

また彼は中学校のとき、クロスカントリースキーにも冬季シーズン取り組んでおり、3年時には全国中学校選手権で優勝しています
(ちょっとすごすぎる…漫画みたい…)

(可愛い顔してるなあ)


中学生のとき、
そんな華々しい活躍の永井選手に僕は

「負けてなるものか」
「上級生の意地をみせてやる」

といった気持ちでレースに臨んでいました。
なんだか妹のときと似ていますね笑


実際、妹にライバル意識を燃やしていましたが、永井選手にもそれと同じくらい、むしろそれ以上のライバル意識を燃やしていました。

「次のレース、どうやったら彼に勝てるのか」

いつもそんなことを考えて、中学校の頃は練習に取り組んでいました。勿論、妹はすぐそばで一緒に練習に取り組んでいましたので、

「妹にも絶対負けない」

と敵意むき出しで、刃を納めることを知らない時代があったなと懐かしい思いに浸っている今日この頃です。

永井選手とはレースになればラストスパートまで決着がもつれる、最後の最後まで気が抜けないレースをいつもしていました。


そのため、レース前になると、

「また今日もきついレース、いやだなあ…」
「でも、負けたくない」


という選手としてはどうなのかと思うようなことを考えつつも、負けたくないという意地で走っていたことを覚えています。でも、そんな彼とのレースが僕を成長させてくれていたのは言うまでもありません。勝ったり負けたりの繰り返しで、当時の僕は現状に満足せず競技に取り組めていたと思います。

そんな彼とのマッチレースは中学を卒業して、高校まで続きました。富山県という環境だったので、レースはいつも二人の競り合いになっていました。
高校生のときは高校に入学したばかりの永井選手に負けて、試合後練習量が増えました。監督に

「一年坊主に負けるなんて情けない」
「はい、その分プラスして走りなさい」


と言われ、あのときは正直彼を恨みました…
でも、それと同時に悔しい気持ちのほうが大きかったので、こんな思いはもうしたくないと思って歯をくいしばって練習したことを覚えています。
ちなみに妹はそのとき、同じく開催されたレースでやすやすと優勝していたので、

「今にみとれよ」
「絶対に兄の意地をみせてやるからな」

という兄のプライドと、ライバルへの対抗意識に燃える忙しい高校時代を送っていました。

(今をときめく方々がいっぱいいる……)

時が経ち、大学に入学すると、
今までライバルだった永井選手が1年後に同じ中央大学に入学して、今度はチームメイトになりました。
今までは近いところにいましたが、同じチームではなかったですし、初めてチームメイトになり共に競技に取り組むことができるのを嬉しく思っていました。(そう思っていたのは僕だけ…?)

永井選手は入学後に怪我の影響もあり、本来の走りができない状態が続きましたが、それを一気に払拭したのが、大学2年時の「幻の区間賞」を獲得したときだと思います。この時の活躍はご存知の方も多いのではないかと思います。
僕が彼のことを本当にすごいなと思ったのはこの時です。

(すごく若くみえる…お互い歳をとったね…)


中央大学はそのとき、28年連続でシードを獲得していましたが、往路で途中棄権に終わり、復路は参考記録扱いでした。


いくら速く走っても、記録に残らない。
「記録には残らないが、記憶に残る走りをした」ということが言われますが、仲間とつなぐ襷の記録が残らないことは選手のモチベーションに大きく関わると思います。

そんな中でも永井選手は
懸命に前だけを見据えて走り、往路で棄権したことなど微塵も感じさせない圧巻の走りをしました。
参考記録扱いですが、そのとき8区を走ったどの選手よりも速い素晴らしい走りをしてくれたことに感動を覚えている自分がいました。
しかし、一番心に残っているのはレース後に彼と話をしたときです。


「あんな記録が残らない状況でよく気持ちが切れなかったね」
「自分だったらモチベーションが下がってしまうと思う」

という話をしていたと思うのですが、
そのとき永井選手は

「そういうときだからこそ、最後まで気持ちを持って走るんです」
「そこで妥協したらいずれその弱さがほかのレースできっと出る」
「だから自分は最後まで気を抜くことなく走りきったのだと」

そんな答えを返してくれました(多分そうだったはず…)

このことを聞いたときに永井秀篤という選手の本当の強さを垣間見た気がしました。
言うのは容易いですが、それを実際にできる選手がどのくらいいるのか。改めて彼のことを尊敬する自分がいました。(普段は恥ずかしいから言いませんが)

また永井選手は元々8区を走る予定ではなく、本来は控えの選手だったのですが、当時主将の新庄選手が怪我で出場できなくなり、代わりに彼がエントリーされました。
与えられたチャンスをしっかり掴みとること。普段、地道な積み重ねをしていなければできることではありません。そういう意味でも本当に尊敬できる選手だと思います。


また月日は流れ、次は社会人でも同じチームになりました。
永井選手本人からしてみると
行った先にいつもたまたま僕がいただけで、
なんだこいつ、またいるよと思っているだけかもしれませんが、僕は嬉しかったです。
(鬱陶しい先輩でごめんね笑)

実際、実業団駅伝では3度襷をつなげたことは今も心に残っていますし、実際襷を受けとるときは嬉しくて少し泣きそうでした。(とても恥ずかしい)
僕の次の走者が彼であるときは安心していましたし、彼なら絶対走ってくれると信頼していました。間近で彼の取り組みをみてきた自分だから、心からそう思えていました。
中学のときから切磋琢磨してきたライバルと社会人になっても同じ舞台で駅伝に出場できていたことは僕の財産だと思っていますし、なにより嬉しかったです。
今は別々のチームになってしまいましたが、離れていても日々刺激をもらっています。

(SNS から引用させて頂きました(_ _))


中学のときに彼と出会って、今に至るまで、様々な学びを彼から得ました。本当に自分を成長させてくれた存在だと思います。そして、それはこれからも変わらないと思います。
時にはどちらが先輩かわからないくらい注意されることもありますが、自分が尊敬している選手から言われることは、聞かないといけないなと思って聞くようにしています。
(だいたい永井選手の言うことが的を得ていて正しいので…
 だらしない先輩でごめんなさい…)

彼から得てばかりでなく、僕もなにかしら彼に良い刺激を与えられる存在でいたいなと思っています。


「常に前を向いて、地道な積み重ねを日々行うこと」
「当たり前のことを当たり前にやる大切さとその難しさ」

を教えてくれた彼に負けないよう、今後僕も競技に取り組んでいきたいと思います。

明日行われる東京マラソンでは彼らしい走りがみれることを期待しています。現地では

「頑張れ、秀篤!」

と沿道の声援に負けない、自分らしからぬ大声を出して応援したいと思います。また3/4は彼の誕生日でもあるので、皆さんもぜひお祝いしてあげてください笑
後輩への想いがいきすぎて、長文になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました✨
皆さんからも永井選手に温かいご声援を頂けたら嬉しいです✨宜しくお願いします(_ _)

(あやかりました、すみません…
明日はこれを持って応援しに行きます!)

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