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オウム真理教に思うこと Part 2 - 白紙の20年後/同調圧力と自立

アラカキです。
記事を書きかけにしているうちに3月も終わり、世界がCovid-19に覆い尽くされて社会的な話題としてはそれどころじゃないし、もういいかなと、この状況でこの話題を誰が読むんだろうと思ったりもするけど、一応書き残しておくことにしました。 オウム真理教に思うこと Part 1 - 大学生と新興宗教 の続きです。オウム真理教について、ごくごく私的な視点からの記録や長年感じていたこと。

3月になると思い出すあれこれ

前記事に書いた偽装サークルの思い出など大学時代に受けた勧誘の経験から、入学式シーズン前になると「オウム真理教もあんなふうに大学生を勧誘してたんだろうな」となんとなく気にかかり昔の報道映像や記事を追った。大人になって自分から再び情報に触れるとオウムはとんでもない代物だったんだなと絶句する。しかも上祐史浩、広瀬健一、端本悟、高山勇三、杉浦実といったオウム元幹部陣はみな同窓の先輩で、時代が10年ほどずれていたら私も当事者かあるいはそれに近かった可能性もゼロではないと思った。

霞ヶ関駅で地下鉄サリン事件の追悼プレートを見て「本当にあったことだったんだ」とハッとするとか、駅のゴミ箱が透明なのはあの事件があったからだよと不意に教えてもらうとか、そういうのは故郷の沖縄にずっといたら知らなかったかもしれない。
地下鉄サリン事件については、東京で出会った少なくない人たちが「同僚が被害にあった」「いつもその時間にそこを通るけど事件当日たまたま電車に乗らなかった」などの経験を持っていた。脅威のそばにいた方など当然、この話題に触れると空気が重たくなり、言葉に出さずとも何が言いたいかわかる。『まさか軽々しく話すつもりじゃないよね?』

大学という場で知った感覚の断絶

2015年の夏、早大大隈講堂前に社会学者の宮台真司さんとAV監督の二村ヒトシさんの名前が大きく書かれた看板が立っていて、トークセッションをやっているようだった。そのお二人の組み合わせ興味ある、と思い覗いた。講堂内に入るとチラシを渡され、タイトルを見ると「早稲田の中心で性(エロ)を叫ぶ」。大隈講堂で昔催されたAIDS・HIVについての知識を啓蒙するイベントを一瞬連想したが、読むとソフト・オン・デマンドのAV企画コンペとも書いてあり、大隈講堂の許可が下りたことにびっくりした。

しかしその時間帯はトークショーではなく参加者が自前のAVプロットをプレゼンしているところだった。トークショーはこの後だろうか、どれくらいかかるだろう、待つべきか、帰るべきか?と決めかねていると、京都大学の大学院生だという青年が登壇した。
少し上気したような半笑いとともに彼がプレゼンを開始するや私は冷水を浴びたような心地になった。「オウム真理教が大好きです」。彼はオウム(本人曰く「リスペクトを込めたオマージュ」)のエロネタを次々と発表。困惑し混乱する私をよそに、会場を埋めた聴衆(ざっと見たところ年代的に大学生で私より10歳ほど下かな)は、ネタひとつひとつに一斉に爆笑、もとい大爆笑していた。

これはいろんな意味でショックであり、また、考えさせられた。

麻原彰晃を教祖とするオウム真理教は、日本や世界を震撼させ、社会に深い禍根を残したカルト教団・テロリスト集団だ。犠牲者と遺族、後遺症を抱えた被害者とその家族、葛藤を抱える元信者が大勢おり、賠償も終わっておらず、オウムからAlephなどに形を変え今も信者を増やしている。こうした多くの問題が現在進行形で、なにか再発が懸念される病気のような、そしてどこか腫れ物に触るような気持ちにさせられる、日本の近現代史におけるタブーの1つ・・・
そんな認識だった私の、「これほどの事だから、リアルタイムで知らなくとも日本人ならある程度知ってるはず、だいたい私と似たような感覚のはず」というバイアスが、無邪気な大爆笑に一刀両断された。

でも、この事態は考えてみれば当然だった。事件当時1歳だったら当時の空気など知る由もない。私が太平洋戦争中の日本社会の情勢を空気とともに「思い出す」ことができず、何か外因・とっかかりがなければ自発的に当時を深く知ろうとしなかったのと同じだ。

「いろんな意味でショック」だったのは、大学という場所を意識して見たときのコントラストが凄まじかったからというのもある。
京大大学院生だった遠藤誠一がオウム真理教でサリン生成の責任者となり後に死刑となる一方で、その20年後には(サブカル好きで〇〇マニアなんです、みたいなノリで)「オウムの世界観が好き」と言って憚らず、収集した数々のオウムグッズをスライドで嬉々として紹介しながらAV企画コンペでオウムモチーフのプレゼンを展開する京大大学院生が登場する現実。
早稲田大学理工学部応用物理学科を主席卒業した広瀬健一が地下鉄サリン事件の実行犯となり後に死刑となる一方で、20年後、大隈講堂を埋めた早大生たちがオウムネタに大爆笑しているという現実。

同じ社会に暮らしていても、ある時期を境に世代間に大きな感覚の断絶がある、という現実を突きつけられた。宮台さんがその場におられたらコメントを聴きたかったなと思いつつ、なんとも言いようのない虚脱感でぼんやりしながらそのまま会場を後にした。
地下鉄サリン事件が起こった1995年3月20日、自分が(ものごころのついた)11歳だったことに思いを馳せる。遠くからメディア越しに見ていただけとはいえ、私はあの時代の空気とセットでオウム真理教についての報道や人々の反応をリアルタイムで記憶している最後の世代にあたるのかもしれない、と思った。

知らないなら、伝えるだけ

あの日の一幕(あれからさらに5年が経った)を振り返って思うことは、「20年の時の流れがどういうものか思い知った」に尽きる。
「想像力の欠如」といってディスるのは的外れだと思っている。早稲田大学には想像力豊かで感受性の鋭い学生さんが大勢いるのをよく知っている。
20年の間にここまでリセットされてしまったことは社会の怠慢であり敗北なのかもしれない。というより、盲点、なのかもしれない。自分がよく知る、しかも社会全体で強烈に共有した体験に「必死に伝えていかなければすぐ消える」と危機意識を持つのはなかなか難しい。同調圧力が働き、シェアするのに気合いの要るトピックだから尚更だ。

しかし他方で、実態を知らずカルトに取り込まれたり、ヨガサークルなどを装って勧誘するAlephに参加してしまったりする大学生がいるのも現実だ。
オウムの初期はどうだったか。最初は(殺人やテロに発展するなど)思いもよらなかったと、そして「あのとき違う選択をしていたら」という引き返せたはずのポイントがあるかと訊かれた元幹部たちは「どうしたって無理だったと思う」と証言する。
大学生を心配しすぎだろうか。かつて大学で働いていたので気になるんだと思う。許してほしい。「Aleph、オウム真理教について最初からもっと知っていたら気軽に通わなかったです・・・」などとAlephの元信者(女子大生)がTVのインタビューに答える映像を空想しながら、オウムやカルトをどう眺めているか専門家でもなんでもない個人が素朴に書き記した何かを世界に1つ増やそうと思った。視点が増えるのは悪いことではないと思っている。前述の「大きな感覚の断絶」を感じて以来ずっと、なんとなくモヤモヤしていることを伝えたかった、というのもあるけれど。

ただ「次のオウムが出るときに備えて記憶を継承し、カルトの危険性を啓蒙すべき」みたいな着地点の考えはあまり好きではない。オウムが再現することを信じていればまたそういうのが出てくるに決まっている。オウムなど有り得なくなった世界を常に想像しながらものを考えるほうが好きだ。
実を言うと、あの日大隈講堂にいた彼らやそれ以降の世代は、そんなことしなくても、総じてもっと軽やかな、オウムなんか出てこないような今よりずっとよい社会を作っていくのではないかという気が個人的にはしている。

念のため、宗教、新興宗教を否定しているわけではない。信教の自由がある。ただ新興宗教のなかには、脱会を自由にできない、強引すぎる勧誘、その他人権侵害や犯罪行為を行なうカルト(セクト)がいる。その被害が増えないよう願っている。

トラウマと同調圧力

ところで、あれこれ書いてきたが、オウム問題のクリティカルなポイントとして「オウム真理教についてむやみにモノが言えない」ことがあると私は思っている。

ずっとオウムに関わってきた江川紹子さんと森達也さんによって、2018年「オウム事件真相究明の会」が立ち上がった頃に書かれたこの往復記事は、オウムを通して背負ったものの重さと感情をずっしりと感じる。

これらの記事を読むと、即刻この記事の下書きを全消去したくなるわけだが、ある分野ないし複数の分野から専門性をもって総括することと、自分の個人的な視点から思っていることを書き残しておくことはまた別かな、と思い直し書いている。

オウム真理教について語るのは怖いしエネルギーが要る。内容がどうあれ「オウム」という単語を口に出すのも抵抗がある。なにしろ専門性を持って慎重に考察すべきポイントが多い。フィールド外のことや誤情報を言わず、被害者の心情に配慮できていかの自問で緊張するし、それ以上に、叩かれるかも、批判されるかも、孤立するかも、そんな不安や圧を感じる。「オウム真理教についてむやみにモノが言えない」同調圧力。もし私と同じように感じる人が多ければ、それはオウムについての話題はなかなか人々の口に登らないだろうし、口に出す機会が少なければ下の世代が知る機会も少ないはずだ。

対面で話題にした時の、ある年齢から上の世代の反応、ネット上での感情的なコメントの飛び方、関連記事に滲む屈託などを見ていると、社会の中でオウム真理教の話題を口にする時、動揺や不安にも似た心の動きが人々の胸の内に巻き起こるように見える。日本社会のトラウマなのだ。人も社会も、トラウマを乗り越えるには時間を要する。

自己決定の尊重と自立

オウム真理教はテロ集団だった。しかし、悪しきテロリストを処罰して一件落着、とはいかないのがオウム真理教をめぐる現象だった、とわかっているからこそ、心穏やかでいられない。
集団内での動きは心理学的に分析されていて、人間は集団の中ではかくも非合理的な動きをする、ということを痛感する。

ではそのテロリストたちは、テロリスト以前は何だったか、どうテロリストになっていったのか、親や社会を否定した麻原の教義はどこに起因するのか、なぜオウムの世界観に共鳴しやすかったのか・・・たどっていくと、教祖や信者の個別の履歴には、誰もが大なり小なり抱えるような親子関係の問題があり、ぼんやり抱える青年期の不全感があり、または社会が見て見ぬ振りをした人権の問題があり、(ある意味では皆で無責任に盛り上げ)教団を突き進ませる触媒となった時代の空気もあり、、、
なんだか鏡のように、社会や私自身をも映し出しているように見える。

松本智津夫がいかに麻原彰晃になったのか、に視点を向けるときよくこのツイートを思い出す(長い連続ツイートなので、Twitterに飛んで全部読んでいただけると幸い)。

先月、那覇市で催された、オウム真理教元幹部で光の輪代表の上祐史浩氏が登壇するトークライブに足を運んだ。
私は、当時オウムの中枢にいた上祐氏を含む元幹部たちが洗脳や組織や個人的な総括などを振り返って語り(13名は死刑が執行されてしまい、今は何も語らないが)、それが様々な分野の視線を経て日本社会にフィードバックされるのは、カルト対策のみならずメンタルヘルスや教育その他多くの領域で重要だと考える、というスタンスなのを明記しておく。
光の輪がまだ国の観察処分対象であることも明記しておく。

上祐氏から「カルト問題は親子問題」「教祖を理想の親と錯覚」「親に傷を持っている人が麻原の教義に共鳴したのではという仮説」、また(麻原の洗脳が抜けていく段階を振り返りながら)「教団を外から見ると60年前の大日本帝国の戦争の動きとまったくシンクロする。自分たちが神の集団で、鬼畜米兵で、世の中を良くするために戦争をする、…というのは昔の日本の暗部の投影だったのではないか」、という発言があった。

親子問題を引きずり、外の概念に自分を寄せていく、自分の外に答えを探し世界観に乗っかっていく、そういったことは私も身に覚えがあるが、これは精神的「自立」の問題に深く関わっていると思う。
「自己決定の尊重」を含め人権意識が社会に浸透して成熟し、個々人がもっと精神的に自立できる世の中だったなら、麻原の教義にあれほどの人々が共鳴するような事態は起こらなかったのではないか。なぜなら、自立し自分を肯定できていれば、不全感からヨガで超人になることを夢見ることも、今あるこの世界を肯定できずに破壊することも、理想の親を求めることも必要ないと思うのだ(とはいえ青年期は心が揺れ動くから悩ましいのだが)。
これらは、教育や子育ての問題であり、結局は養育者・教育者も含め社会の構成員一人一人の話でもある。誰もが自分を尊重し自立できたら最高だなと思っている。

近年「マインドフルネス」が定着してきたが、さらに「セルフ・コンパッション」(自己への慈しみ)という概念が聞かれるようになった。出来ていること、出来ていないこと、今持っているもの、そういったものを良い悪いとジャッジせず、ありのままの自分に慈悲・自愛の心を持つということ。結局、仏教などの宗教その他でも言われていることではあるが、この概念に助けられる人は多いのではないか(私自身もこれは低い方だと思っており、着目したい概念でもある)。
根本から自分を慈しめるようになり、外に求めず、個人が自立できるようになることで今を生きてることが充実し楽しくなれば、カルトなどにはまり込む可能性も低くなるのではないか、と思うのだ。

長くなってしまった。この辺にします。

ありがとうございます!糧にさせていただきます。