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オウム真理教に思うこと Part 1 - 大学生と新興宗教

アラカキです。
突然だけど、地下鉄サリン事件が起こった1995年の3月に11歳だった私の世代は、オウム真理教に揺さぶられる日本社会をリアルタイムで(物心がついているという意味で)記憶する最後の世代なのではないかと思う。

先日、地下鉄サリン事件から25年の節目の日が巡ってきたが、個人的にその一週間ほど前にはオウム元幹部の上祐史浩氏のトークライブを聴く機会があった。そんな流れもあり、このところ改めてオウム真理教について自分なりの記憶を思い返していたのだけど、この機に長年モヤモヤと感じていたことや記録を、自分の視点から書き留めておこうと思う。長くなりそうなので何回かに分けて。

新興宗教の勧誘にあう

2005年の春、私は早稲田大学に入学した。
入学式前々日の3月30日、南門前通り商店街で謎の仏教系サークルにしつこい勧誘を受け、よくあるあの「5分だけでいいから話を聴いてほしい」という懇願に乗ったところ、商店街沿いの建物の2階か3階にある和室に連れていかれ、会話の誘導でまんまと3000円の1か月体験入会を果たした経験がある。入る気はさらさらなかったんだけど、どんどん喋ってくるので「はい、はい、」と相槌をうっていたら、「じゃあ体験入会ということで」「はい、・・・あれ?」みたいな実に間抜けな流れ。あの頃の自分に呑気すぎるだろとツッコミを入れたい。

その時の領収証を何年か前に発見した。
これ逆に出す意味ある?という雑さだ。相手はサークル名ではなく個人名しか書いていない。勧誘してきた人たちの顔もサークル名も忘れてしまった。個人名なので一部隠しておきます、須田〇〇さん。
ちなみに勧誘で私に向かって喋りまくっていた人と領収証を書いた須田某は違う人物である。この用紙はNo.2とあるので、私の前にもすでに3000円払ってしまったカモが一羽いたっぽい。

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この記事に書かれている勧誘方法、場所、シチュエーションが自分の体験とほぼ一致するので、もしかすると浄土真宗親鸞会の偽装サークルだったのかもしれない。
手際良く畳み掛けるように事を進める感じが怪しく、というか話しかけられた時から怪しいのは気づいていたし、なんで畳に正座して話に付き合った挙句お金払ってるんだろう、とちょっと苦笑さえしていた当時の私に、お前ちょっとさすがに牧歌的すぎだろ、と思うのはその時「どんな手法で取り込もうとするのかな。逆に実態を見てみよう」と好奇心が湧いて1回活動を覗いてみたことだ。これは、ほんとは絶対やってはいけない行為。とはいえ、何処かの誰かの参考になるかもしれないので当時のことを書いておく。

仏教サークルの新歓イベントへ行く

ある日の夜、足を運んだその新入生歓迎セミナー的なイベントは、徒歩圏内とはいえ本部キャンパスからちょっと離れたところのビルの一室で(ビルの一室を借りられるだけのお金は、お布施から出ているのかも)20人ほどの新入生らしき男女がパイプ椅子に座らされ、「大人として成功したサークルの大先輩がはるか下の後輩のために来ました」といった様子の4、50代ぐらいのスーツの男性がみんなの前でホワイトボードを使いながら講義を始めた。

「皆さんは親元を離れたりして、新しい環境での大学新生活に不安な人も多いと思います」と、共感を提示。「実際不安な人」と挙手を求めると、なぜかかなり手が上がる。ほんとかよ。まわりに同調してるのでは?私は黙って講師を眺めていた。彼は続けた。「しかし、それをそのままなあなあにして、内面の大切な部分に目を向けず、日々の課題やバイトに忙殺され貴重な4年間をドブに捨てる人が非常に多い」「なぜ生きるのか、という大切なことに目を向けるべき」「ここに来てくれたあなたたちには、是非自分の大学生活を、人生を、有意義で豊かなものにしてほしい」こんなふうに、不安と焦燥感を煽り「ムチ」のあと「アメ」を出すような感じだった。
時折発生する挙手タイムには個人的にことごとく共感できず、手を一度も挙げずに講師を凝視していたのが反抗的に映ったのかもしれない。講師は私に目を合わせなくなった。
彼は「仏教は実は、宗教ではありません。哲学です。アメリカでは哲学書のコーナーに並んでいます」と怪しい「宗教サークル」ではないことを強調した。哲学か、なるほど。でもそんなことより、同調圧力がかかりまくったこの状況(集団催眠でも始まりそう)の方がクリティカルではないのか。すごい違和感だった。

愛のものさし、カレー

会場ではカレーが振舞われ、「ありがとうございます」と受け取ったら有料だという(300円だったかな)。食べてみたら水っぽくて、正直人生で3本の指に入るぐらいの美味しくなさだった。
最終的に、おそらく2年生であろう優しそうな女の子が「不安だよね、私もすごく不安だったけどさ、ここのサークルの人たちみんな優しくて」と語りかけながら帰り道を送ってくれて、私が相談に乗って送ってあげるほうがしっくりきそうなほど隙だらけで逆に心配になった。

とにかくカレーにひどく幻滅し(仮に私が幹事長で新歓するなら、振る舞い酒よろしく配った小さな器1杯のカレーで新入生にお金請求しないかな。新歓だし。百歩譲ってお金とったとしても、あんな不味い状態のを出そうと思えない。つまり「愛がないなぁ!」と思ったんですよね。力説しちゃう)、違和感ゴリゴリの空間にも疲れ、その仏教サークルには興味が失せてしまった。その後2年生女子からたびたび電話がかかってきたけど、以来二度と行くことはなかった。

さっきも書いたが、そして私が言うのもなんだが、カルトかも、新興宗教かも、あるいは怪しいと思っているのに「一回覗いてみよう」というのは悪い例中の悪い例。私の場合は特にそれ以上何もなかっただけであって、親鸞会にも被害者団体はある。
信教の自由はある。ただカルトには、そもそも囲い込まれて自由な意思が持てなくなる構造的な問題がある。それに、多額のお金を払わされるサイクルに入ってしまい気がついたら抜けられず新興宗教の会員しか友達がいない大学生活とか、もったいなさすぎると思うのだ。母体がオウム真理教(Aleph)みたいな潜在的なテロ集団であるリスクもある。
仏教を学びたかったら勧誘なんかしてこない普通のお寺に行けばいい(と、私は考える)。

体験入会の2日後、入学式のガイダンスでカルト宗教の勧誘などには気をつけるよう言われた(遅い)。なるほど、だから入学式前に勧誘していたわけだ。大学では心理学を専攻したのだけど、講義でマルチまがい商法(現在はマルチ商法)の手法について説明を受けたとき、あのサークルの講義を連想した。
気の弱そうな2年生女子はその後どうなったのか、少し気になる。

思想宗教系団体という大学生の隣人

在京12年間、私はずっと早大本部キャンパス付近に住んでいた。学生街は基本そうだと思うが、早稲田の街はなにかと社会思想系の団体、宗教団体に触れる機会が多い。前述の偽装サークルのようなもの以外にも、革マルだとか、ゴスペルコンサートに執拗に誘ってくるあれとか、CARP(統一教会)だとか、とにかく思想・宗教系の人たちがひしめき合っていて勧誘も多い。そういえば、夜の道端でゴスペル宗教勧誘女子の問答に付き合ったこともあった(「あなたの説く話以前に、まず強引な勧誘が相手の意思や選択を尊重してなくてリスペクトに欠けてませんか」的な趣旨を伝えてみたんだけど、最終的に分かり合えなかった)。
ただ、大学時代というのは心理的モラトリアム真っ只中、自分探しの迷宮で虚無感を抱いている人も多いはずなので、宗教のニーズがあるのは当然だ。私が仮にその宗教の人でも大学生をターゲットにすると思う。

東京時代のそんな勧誘の記憶や、前述の偽装サークルの思い出などもあいまって、3月のこの時期が巡ってくるとよく「オウム真理教もあんなふうに早大生の勧誘をしてたんだろうな」と考えてしまうのだ。

長くなってきたので今回はこの辺で。

To Be Continued...


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