見出し画像

*サロショ初体験*3つのショコラダイアリー


初めてのサロン・デュ・ショコラ。

とはいえ、会場には行けずネットで注文。

スタートダッシュが遅く、有名ショコラティエ様達のチョコレートには案の定、手が届かなかった。(逆にそれが身の丈にあっている気もした)

けれど、チョコレートの祭典に出場する素晴らしいチョコレートたちの中から、3つのチョコレートを私の家へご招待。

待ちに待ったチョコレートとのご対面を果たし、発見と感動に富んだ至福のひとときを過ごした結果、3つのショコラダイアリーを綴ることにした。

①Chocography-Lemon / sachi takagi

プランツベースの材料のみで作られたチョコレートを展開するsachi takagi

"Chocography"というシリーズは、
チョコレートで表現する・記す」という意味が込められた造語。

植物界を包み込む自然界をイメージしたチョコレートは、自然とともに生きるシェフ高木幸世さんが織り成すアート作品。

チョコグラフィーシリーズの"Lemon"を食べれば、時を越え、場所を越え、雪原を駆ける少女になれた。


下から、チョコレート、メープルシュガー&アーモンド、砂糖の三層構造はいわば地層。

チョコレートの層は少し湿った土、メープルシュガーの層は、砂場のようなさらさらした土。そして、その上を覆う白い砂糖の層は地面に積もった雪だ。

一口含めば、レモン果汁の瑞々しさが舌の上で元気よく弾け出し、その一方で地層はなめらかに溶けていく。
砂糖の層が奏でる"ザクッザクッ"という音は、すねの下まで積もった雪の上を歩くときの足音だ。

鼻から抜けるレモンの爽やかさ。
それは、凍てつく寒さの中、鼻から息を吸い、ひんやりとした冷たい空気が鼻腔を伝うときの、あの清々しさと同じ。
.

山育ちの私は、足が埋もれるほど積もった雪の上を歩いた経験がほとんどない。

だから、雪の上をもっとザクザクと音を立てて歩きたくて、16等分された石畳の1つを口へ運んでは、雪の上で遊び、次の石畳へとジャンプするのだった。
.

雪と言えば、今年に入って、東京では2回雪が降った。そんな中、私は、子供の頃のように、雪をみて大喜びできない自分にどこか寂しさを感じていた。

電車は遅延し、ニュースでは雪による被害を防ぐために様々な注意を促され、
「雪のおかげで」よりも「雪のせいで」と言う。

そもそも極度の寒がりである私は、雪の日には寒くて外には出たくないし、雪遊びに誘われたらきっと、楽しいと思う反面、寒さに耐えきれずしかめっ面になり、「そろそろ中に入りたいな」と思ってしまうだろう。


けれど、そんな私でも、このチョコレートを食べれば、家の外へ飛び出して、雪の上で遊ぶことだってできるのだ。

ザクザクと音を立て、深呼吸をすれば冷たい空気が鼻道を通り、透明で澄んだ心まで取り戻せるような、あの神秘的な感覚と出会えるのだ。


この雪の上でまた遊びたい。
そう思いながら、雪が解けないようにと、そっと蓋を閉じる。

その箱に閉じ込められた雪原は、私だけの、とっておきの「冬の遊び場」なのだ。
.
.
.

②タブレット金柑 / le fleuve

チョコレートの上の宝石は金柑のコンフィ。

鹿児島県の農園の木の上で、完熟するまで置いた金柑を、工房で10日間かけてゆっくりとシロップで炊いているのだそう。敢えて種まで残してあり、それは食感も楽しむアクセント。


高木幸世さんのチョコレートが雪原ならば、このチョコレートの上で輝く金柑は、森の中の洞窟だ。そして、人生だ。

縦にも横にも深い奥行きのある味わい。
ここまでの奥行きを感じたのはいつぶりだろうか。

祖母が「今年漬けたの、味見してみて」とくれるものよりも、「去年漬けたんだけど」と、どこからか引っ張り出して持ってきてくれるものに近い。

色んな味が舌の上に訪れる度に、目を閉じ、その深さを探る。
けれど、森の洞窟に迷い込み、この先へ進めば何か大変なことが起きてしまう、という恐怖さえ感じさせるような、そんな簡単には剥がすことのできないベールに包まれていた。

木の上の熟成期間+10日間のコンフィ作り
という長い長い時間の中で、滋味深くて奥行きのある味わいに仕上がった金柑。

きっと人生も同じだ。

酸いも甘いも経験した方が、色んな味が凝縮された、深みのあるものになる。
.
.
.

③マジシャン/ Antidote


日本以外のチョコレートを食べるといつも驚く。

自分がいかに日本のチョコレートばかり食べていたのかを実感する。
ここで言う日本のチョコレートとは、日本人が日本で作るチョコレートだ。

チョコレートだけではないけれど、原材料が外国のものであっても、日本人の手によるものだったり、日本という土地で作ったものであれば、程度の差こそあれ、どこか「日本」の風土の味がする。

素人が偉そうに言えることではないけれど、そんな気がする。

シェフのレッド・タルハマーさんが手掛ける、エクアドル産の希少カカオで作られた、アメリカ合衆国ブルックリン生まれのチョコレート。
「日本」の「に」の字もない。

舐め続けていると、チョコの甘味、いちごの酸味と、色んな登場人物が姿を見せる。

ベリー系が大好きなわたしは、いちごの酸味と粒のプチプチした食感に、笑顔で「こんにちは」と挨拶をする。

そうした途端、急に未だ出会ったことのない香りと味わいが、口の中に広がった。

えっ、どちらさま??

家の玄関で知らない人が来た時の戸惑い。

パッケージの裏を見るとその方の名前は「ハイビスカス」らしかった。

名前を聞いても、「あ〜!ハイビスカスね!」とはならない。
ハイビスカスさんとは、本物の、正真正銘の、初対面みたいだ。


だけど、「ハイビスカス」という名前を私は知っている。なんなら見たことだってある。食べたことは、、?

本当に初対面?どこかで会ったことはないか?似たようなものと出会ったことはなかったか?

同窓会で人の名前が思い出せない大人たちは、きっとこういう感じなのだろう。

結局、パッケージ裏と睨めっこするのを諦めて、ただ「ん〜ー」と言って頭を抱えることしかできなかった。
.
.

日本以外のチョコレートを食べれば、改めて世界の広さを感じる。

「慣れ」には安心感や心地よさがある。
「慣れ」って凄いことだ。
けれど、「慣れ」から離れてみれば、気づかなかった発見もある。
「慣れ」ばかりではつまらないときもある。

世界には色んな味があり、同じ食べ物でも食材の産地が違えば味は変わるし、同じ産地でも作る人が変われば味も変わる。

決してどちらがいいとか悪いとかではない。「味」の否定は、場合により、食材の環境や作る人の否定になるから。

世の中は、地球は、私が想像している以上に、広くて大きい。そして、その中身はずっと細かくて、沼ばかりで、地下深くで繋がっている。
.
.
.

甘くて酸っぱくて深くて暗い、3つのショコラダイアリー。

家の中のあちこちでまだ彼らは眠っている。
ゆっくり丁寧に大切に愉しもう。

そして、来年はどんなチョコレートを家にお招きしようか。


この記事が参加している募集

至福のスイーツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?