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文学の森殺人事件 第三話

「ご静粛にお願いします」二階堂ゆみの担当編集者の三木剛は言った。「先生は国内だけに留まらず世界各国で人気があります。先生は常々ひとり、ひとりが国際的に通用する力を持って、日本のミステリー、いや、日本の作家の底上げをしなければならないと仰っています」そして彼は続けた。「まさか文学の森に気分を害する人間がいると思わなかったので、信じられません」
 三木はそう言うと、身に付けていた黒のスーツからハンカチを出し、汗を拭っていた。 彼は汗をかきやすい体質だった。記者からのインタビューにも、どこか居心地の悪い表情を浮かべていた。彼はまるで強欲で好色な成り上がり地主のフョードル・カラマーゾフのみたいに絵に描いたような悪漢に思えた。とはいえ、個人が主催するワークショップに殺伐とした雰囲気が漂っていたら気を悪くするのは無理もないだろう。彼女の横に座っていた三木には、人を不愉快にさせるオーラが十分に漂っていた。

「担当の三木さんはご存じですか?」と私は西園寺一に訊ねた。
「いや、はじめて知りました。彼女と二人三脚で頑張っているのでしょうね。しかし彼にはどこかくさいところがある」
「くさい?」
「私は人の悪口は好みませんが、もしかしたら彼は今の地位に慢心して、二階堂先生を商品として扱っている風にも思えませんかね?」
「いや、それはないでしょう」
「どうして?」
「三木さんは優秀な方ですから。仮にそうだとしても作家は売れてしまうと商品にならざるを得ないと思いますからね。今の日本の作家で芸術家と呼べる作家なんて数えるほどしかいませんよ」
「ほう。そうですか」西園寺一は言った。「しかし、芸術家が完璧だとは思えません」
「確かにそうですね」
「とにかく、私は雑音が苦手なので取材陣は早々にお引き取り願いたい」
 
 西園寺は一番前の席に座っている二階堂ゆみを凝視して、ぶしつけに挨拶をした。
「初めまして、探偵の西園寺一というものです」
 彼女はきょとんとした瞳で私たちを見ていた。
「こちらは、相棒のスコット・ジェファーソン。アメリカ生まれ、埼玉育ちのハーフです」
「まあ。本物の探偵さんがどうしてこちらに」
「西園寺さん、私はネブラスカ州スコッツブラフ生まれ、オマハ育ちです。埼玉では育っていないし、ハーフでも何でもありません。実は趣味で小説を書いていて、是非、二階堂先生に小説のノウハウを教えて頂けたらと、西園寺さんと一緒に講座に来たのです」
「なるほど。小説が好きなのですね。アメリカの方ならやはり英語で書かれるのですか?」
「いえ、日本語で書きます」
「スコット君は日本語が上手で、手紙も日本語でスラスラ書けるんですよ」
「これからも頑張ってくださいね」
 結局、先ほどの暴言が誰なのか分からないまま、時間だけが過ぎていった。取材陣は彼女の周りに陣取って、写真を撮っていた。「はい。こちらを向いて、笑顔で」そう言うと、笑顔で新刊の〈殺人者Xの正体〉を手に持つ彼女の姿があった。彼女の周りには黒山の人だかりができていて、サインや写真をねだる人たちで溢れていた。
 
 人には、状況に応じて柔軟に対応するしなやかさが欠かせない。新たなことを知れば、考えが変わるので、価値観は絶対的ではない。だが、優秀な人材にはそれ相応の対応が求められる。特に有名人は良い対応をするのも必要なのかもしれない。
 取材陣が引き上げると、ワークショップが始まった。彼女は一番前の椅子に座って、ホワイトボードに登場人物の動かし方を書いていた。受講生は抽選で選ばれた人が占めていたのだが、欠員が出た為に私も参加することになっていた。

 昼の二時に『文学の森』講座が始まった。二階堂ゆみは受講者たちに笑顔で挨拶をした。「二階堂ゆみです。これから『文学の森』講座を始めます。さきほど、担当の三木氏が仕事で帰られました。そのため、これからは私一人で授業を始めます」
「三木さんは帰られたのですね」
「そうみたいですね」
 二階堂ゆみは噂通り美しい顔をしていた。目は大きく、輪郭もシャープで化粧もケバケバしくなく好感が持てた。背丈は小柄な方で、髪はポニーテールで両耳に黒いイヤリングをしていた。歳は四十代半ばぐらいで、人懐っこい笑顔は文章で何十人も人を殺してきた人間とは思えない。
「ミステリーを書くために必要なことを教えてください」と受講生の一人は言った。
「そうですね」と二階堂ゆみは相槌を打った。「ミステリーを書くには、文章の情景が浮かぶように、丁寧に人物を描写することが必要になります。人物の描写とは、柔軟性をもって登場人物を生き生きと動かすことです。自分のポリシーを持って誠心誠意、文章を紡いでいくのは、書く人に必要になります。小説の講評をするのは、骨の折れることかもしれません。しかし、書き手にとって何を伝えたいか、あるいは多くの人の共感を得るにはなにが必要なのか知るために、まずは読んで、書いて、多くの感想を聞いた方が良いでしょう」
「先生は二十代でデビューして以降、ヒット作を連発していますが、どうしたら売れる小説を書けるのですか?」
「私がデビューしたのは一九八〇年代でした。明治大学在学中にコラムを任されました。私はそのコラムを担当する一方でミステリー研究部に所属して、推理小説を書いていました。私の夢は大学在学中にプロデビューすることでした。幸運なことにデビュー作『校庭の裏庭で』をミステリー文学賞に応募して、見事入選して、デビューできました。プロになってはじめて知ったのは『小手先だけの小説は通用しない』と言うことです」二階堂ゆみは言った。「そもそも売れる小説ではなくて、面白い小説を書きたい、と思っていた方がいいのかもしれませんね」
「ありがとうございます」
「質問は他にありますか?」と二階堂ゆみは訊ねた。
「自分の小説が国内外で評価される要因を教えてください」
「私は小説というのは国内と海外を繋げるための橋渡しだと思っています。本当にいい作品は国内だけでなく海外でも評価されるからです。それが世界です。海外で評価された一番の要因は海外作家を手本として、自分の物にしたからです。ミステリーというジャンルにはまだまだ可能性が残されています。私は一作家としてまだ到達していない領域までいきたいと思っています。それが推理作家『二階堂ゆみ』の大きな夢です」
「ありがとうございました」
 西園寺一は言った。「スコット君、二階堂ゆみという作家には大きな野心がありますね。彼女のストイックな性格には真摯に物事を取り組む姿勢が感じられて、好感が持てます」
「またまたご冗談を」

 西園寺一が彼女の弁舌に気を取られていると、彼の意見に物言いがある一人の青年が口を挟んできた。私たちは部屋の真ん中で拝聴していたのだが、その青年は一つ後ろの席に腰かけていた。
 声の主は長田春彦だった。彼は二階堂ゆみの態度――あるいは彼女の作品に対して恨みがあるのか辛辣な言葉を口に出した。
「もし尊敬する作家の人生を奪ってしまったのなら、一作家としてそれ相当の責任を負わなければならない」

「どういう意味ですか?」西園寺一は長田に訊ねた。
「本当に何も知らないんだな」長田は言った。「二階堂ゆみは」
「おっと! それ以上は言わない約束だろ?」
 その声は長田と同席の倉田修二だった。
 倉田修二が長田春彦に警告をした。倉田は長田とは違い論理的な性格をしていた。感情的な長田とは真逆だった。
 長田春彦はその声に尻込みして、言葉を出すのを止めた。あるいは二階堂ゆみには人に知られたくない”何か"が隠されているのかもしれない。もちろん頭のおかしいアンチは富と名声を手にした人間に逆恨みするパターンがある。しかし、先ほど大声で叫んでいた人物が長田で間違いなければ、彼はここにいたらまずいはずだ。

「長田さん、二階堂ゆみが気に食わないのですか?」
 長田は黙っていた。
「彼女は人に知られたらまずい秘密があるのですか?」
 私は思わず言った。「西園寺さん、私は二階堂ゆみ先生に小説を教えて貰うためにここに来たのですよ。仕事と趣味を同じにするのは止めてください。成功者に嫉妬する者はどの世界にもいますからね」
 二階堂ゆみは『文学の森』講座にて、細かな文法の使い方、物語の作り方などを説明して、登場人物を自然に動かすために文章がひとつに繋がっていないといけないと熱弁した。「毎日、文章を書いていないとズレが生じる可能性があるので毎日書くことが大切なのです」とも言った。

 そのあと、最大四回ある文学の森講座に、さまざまなゲストを呼んで(恐らく編集部や文学関係者だろう)最終的にはお互いの書いた小説を講評し合って、作家として必要な知識を教える、と言い、サインや写真撮影などに時間を追われる以外は特に何も起こらずに終わった。
しかし、西園寺一は何かしら怨念を持っている長田とその友人である倉田と言う青年が気になっていた。
 純朴で人を疑うことを知らない大島徹とは違い、彼らの存在は一方では危険かもしれない。
 西園寺一はこう言い残した。
「これからも『文学の森』講座を受講していいですか?」
「もちろんです。ただし深入りはしないでください」
 しかし、私の淡い期待が見事に裏切られたのに気付いたのは次の受講日だった。

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