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Mr.Children・桜井和寿の「Tomorrow never knows」とフジファブリック・志村正彦の「若者のすべて」

フジファブリック「若者のすべて」という曲と出会った時、キムタクなどが出演していたドラマの「若者のすべて」を思い出した。その「若者のすべて」の主題歌はミスチル「Tomorrow never knows」。「若者のすべて」を聴いた後、「Tomorrow never knows」を改めて聴き返したら、この二つの楽曲の世界は似ていることに気付いた。しかも発売日も近い。「Tomorrow never knows」は1994年11月10日「若者のすべて」は2007年11月7日。11月が誕生日の楽曲の中ではダントツ似ていると思う。

そもそもミスチルをよく知らない人でも「Tomorrow never knows」という曲は知っているというくらい、認知度の高いミスチルの代表曲と言えるし、「若者のすべて」はフジファブリックの代表曲と言える。

後にじっくり述べる歌詞の世界は似ているかもしれないけれど、曲そのものは全然違うかもしれない。「Tomorrow never knows」は間奏でサックスが使われたり、ゴージャスな感じがあり、「若者のすべて」は淡々としていてどちらかと言えば(良い意味で)地味な感じが否めないから。しかしメインメロディーの裏でずっと刻まれているリズム・トラックがよく似ている。心臓の鼓動のような、時計の秒針のような「タンタンタンタン」というあの静かに小気味よく鳴り響くあのリズム…。

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さっそく二つの楽曲の歌詞を比べながら考察していきたいが、「Tomorrow never knows」から引用する場合は〈 〉を、「若者のすべて」から引用する場合は《 》を使用する。

〈とどまる事を知らない時間の中で〉というように冒頭で、止められない時間の流れが表現されたように、《真夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた》と同じく冒頭で移ろいゆく時間の流れを感じさせる。

冒頭の続きは〈いくつもの移ろいゆく街並を眺めていた〉《それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている》と同じく「街」が登場する。

〈幼な過ぎて消えた帰らぬ夢の面影を〉〈少しぐらい はみだしたっていいさ oh oh夢を描こう〉《途切れた夢の続きをとり戻したくなって》というまだ叶うことのない「夢」に関する記述も似ている。

〈償う事さえ出来ずに今日も傷みを抱き〉〈癒える事ない傷みなら いっそ引き連れて〉《すりむいたまま 僕はそっと歩き出して》という「傷」と向き合い続ける主人公の気持ちも同じだ。

〈夢中で駆け抜けるけれども まだ明日は見えず〉〈勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく〉〈心のまま僕はゆくのさ 誰も知る事のない明日へ〉《街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ》《僕はそっと 歩き出して》は、ただひたすら明日へ向かってひたむきに自分の人生を歩み続けようとする孤独な主人公たちの心情がよく似ている。

〈そんな風にして世界は今日も回り続けている〉《世界の約束を知って それなりになって また戻って》という、どうにも抗うことのできない巨大な社会「世界」とちっぽけな存在の自分「僕」という対比構造も近いものを感じる。

〈果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう〉に関しては、手を伸ばした暗闇の先の未来で見つけたものが《最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな》という「花火」であったと捉えられる。つまり「若者のすべて」は「Tomorrow never knows」のアンサーソングとも言えるだろう。

〈再び僕らは出会うだろう この長い旅路のどこかで〉《「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて》《会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ》《最後の最後の花火が終わったら 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ》は「再会」を期待する「僕ら」が描かれている。

総括するとそれぞれの主人公「僕」は同一人物にも捉えられ、〈無邪気に人を裏切れる程 何もかもを欲しがっていた〉〈今より前に進む為には 争いを避けて通れない〉と粋がっていた幼な過ぎた「僕」が成長し、13年後、本当の愛や失うことの怖さを知った分だけ臆病になり、大切な誰かを待ち続けるやさしい大人になった「僕」が「若者のすべて」では描かれていると思った。
大人になったとは言え、相変わらず孤独を払拭できない人生で、《ないかな ないよな きっとね いないよな》と確信的なものを掴めたわけでもなく、もどかしい日々が続いているのは13年前と変わらない。

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〈人は悲しいぐらい忘れてゆく生きもの 愛される喜びも 寂しい過去も〉

「若者のすべて」でモチーフになった「花火」は〈愛される喜び〉を体現していると思う。その愛の喜びは悲しいことにあっという間に夜空に散り、忘れ去られてしまう〈寂しい過去〉となる。「花火」の刹那の煌めく愛と余韻として残り続ける虚しさが「Tomorrow never knows」の中で歌われた人生の切なさに通じる部分がある。
両曲とも、結局、人生とは基本的に孤独なもので、愛する誰かを拠り所に自分の力で暗闇の向こうに広がっているはずの見えない明日を切り拓いて突き進んでいくしかないということを歌っていると思う。希望を忘れず、明るい未来を信じて生きていくしかないと。

〈果てしない闇〉しか見えていなかった少年の「僕」が手を伸ばして掴み取ったものが何年経っても思い出してしまう「花火」や《街灯の明かり》という救いとなる「光」だったのだろう。《夕方5時のチャイム》という福音のように胸に響く「音」だったのだろう。

ミスチルの桜井さんがBank Bandで「若者のすべて」をカバーし、まるでオリジナルのように絶妙にフィットしたのはおそらく「Tomorrow never knows」と「若者のすべて」の世界に共通するものが多かったからではないだろうか。2008年9月3日に「HANABI」というまさに「花火」をモチーフにした楽曲をミスチルとしてリリースしたのも興味深い。

「若者のすべて」を作詞作曲したフジファブリックの志村正彦は自身の日記の中で「ミスチル」というバンドを意識していたような発言もちらほら残しており、意識せずとも「Tomorrow never knows」は大ヒット曲であり、志村正彦がこの曲を知らなかったとは考えにくい。むしろ多少なりとも影響を受けていて当然だと思う。

しかし、私が今回本当に述べたかったことは、「若者のすべて」が「Tomorrow never knows」に似ているかもしれないという単純な話ではなく、「若者のすべて」という曲はほとんどのヒット曲の世界観を網羅しており、どの世界にもフィットしてしまう実は物凄い力を秘めている、万能ソングではないかということだ。

音楽文にて、私は「若者のすべて」と藤井風「帰ろう」が似ているとか、「若者のすべて」とBUMP「天体観測」が似ているとか、綴り続けていた。他にも映画ドラえもん「おばあちゃんの思い出」も「若者のすべて」の歌詞の情景とリンクするとか、個人的に思っていたのだが、つまりそれってどんな世界にも「若者のすべて」という楽曲が寄り添っていると肯定的に捉えることができると気付いた。

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やさしい世界、君と僕の世界、夕暮れ時、季節の変わり目という短く儚いながらも美しい情景に「若者のすべて」はよく溶け込む。やさしく儚い時間は、真実の愛を追い求める青春時代だったり、例えば「生と死」を考える時刻であったり、「イマというほうき星」を探してしまう時間だったりする。短い夕暮れ時こそ「世界のすべて」を包括する時間になり得るのである。

どんな物語にも馴染む「夕暮れ時」という時間を選び、「花火」という人生や愛の象徴になるモチーフをチョイスし、「夏の終わり」という儚い青春にぴったりの季節感を選択した時点で、「若者のすべて」が万能ソングになるのは決定したようなものだ。

「Tomorrow never knows」は桜井さんが歌っているせいか、〈勝利も敗北もないまま〉とは言え、〈勝利〉した成功者の曲というキラキラしたイメージが強い。アレンジも含めて楽曲自体、地味ではなく派手さがあり、海外ロケの壮大なMV、つまりお金がかかっているような印象もある。

一方で「若者のすべて」は性格が控えめな志村くんが歌っているから、敗北感というか、もがきあがく、もどかしさのような印象を受けるため(※褒めています)、なかなか浮上できない私のような人間にとっては共感しやすい。MVも挿入映像以外は室内ロケで「Tomorrow never knows」と比べたらお金もかかっていないように見えて、親しみが湧く。簡単に言えば庶民寄りというか、誰でも素直に受け止めやすい楽曲だと思う。

だから「Tomorrow never knows」がミリオンセラーを達成したように、「若者のすべて」も同じくらい売れても不思議ではないのだが、リリースされた2007年時点で、そこまで大ヒットとはならなかった。まだ時代が追いついていなかったのかもしれない。その後、桜井さんを始めとする様々なアーティストにカバーされ、「若者のすべて」は一躍、有名な名曲となった。

時間が経てば経つほど、多くの人の心を掴み、おそらく何年か先には、「Tomorrow never knows」と肩を並べるほど認知度は上がっているのではないかと考えられる。実際、「若者のすべて」は来年度から使用される高校音楽の教科書に掲載されることも決定し、高校生など若者たちの間でも広く認知される楽曲になるだろう。

フジファブリック「若者のすべて」からイメージしたドラマや映画が制作されたらうれしい。「Tomorrow never knows」が主題歌になった「若者のすべて」というドラマみたいにヒットするのではないか。こうなったら逆転させて、主題歌が「若者のすべて」のドラマまたは映画のタイトルが「Tomorrow never knows」でもいいんじゃないか。〈誰も知る事のない明日〉を描いた「僕」の人生の続きを見てみたい。

「若者のすべて」がリリースされた2007年から14年が過ぎ、「Tomorrow never knows」がリリースされた1994年から27年が過ぎた。桜井さんが歌い、志村くんも歌い継いだ「僕」はまだきっと生きている。当時18歳くらいだったとして、現在45歳の「僕」がどんな人生を歩んでいるのか、想像してみたくなる。アイディアがまとまったら45歳の「僕」を主人公にした「Tomorrow never knows~若者のすべて~」という物語を書いてみたい気もする。

自分にとって「若者のすべて」ほど創作意欲を掻き立ててくれる魅力的な曲は他にない。人生に寄り添い続けてくれるこの曲と共に、〈癒える事ない傷み〉を抱えながら、もがきながら、すりむきながらも明日へ向かって歩き続ける。

27年前と《同じ空を見上げているよ》

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ちなみに27年前、何をしていたのかと言うと、当時小学6年生、12歳の私は好きだった一つ上の先輩が卒業してしまい、寂しい思いを感じつつ、まだ楽しい学生生活を送れていた時期。小学生の頃まではそれなりに充実していて、キラキラした生活を過ごせていたので…。クラスにミスチル大好きな子がいて、その子が「Tomorrow never knows」を聴かせてくれた気がする。

そして14年前は何をしていたのかと言うと、25歳。普通はそれなりに良い時期のはずだけど、あの頃の自分はすでに家庭環境が悪化していて、自暴自棄になっていたかもしれない。恋愛も。27年前と比べたら、どうしようもない時期だった。

他のアーティストにハマっていた時期で、「若者のすべて」に気付けなかったのは後悔している。リアルタイムで「若者のすべて」に出会えていたら、存命だった志村くんの歌声を聴きたいと、ライブにも行けたかもしれないのになと悔やまれる。

でも仕方ない。あの頃は他のアーティストの楽曲に励まされて生きていたから。この歳になったから、「若者のすべて」やフジファブリックの魅力に気付けたのかもしれないし、生きている間に志村くんの音楽に出会えて本当に良かった。

これからもずっと、お世話になります。

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