現代思想入門を読んで日本を良くしたい①デリダ編
最近youtubeを見ていると、東浩紀や斎藤幸平などの哲学者を目にします。
東浩紀氏はデリダというフランスの哲学者を研究した著作が有名です。
斎藤幸平氏はマルクス主義研究者であり、その研究をもとにした多くの著作は現代社会に影響を与えています。
自分自身小説とかは読んできましたが、思想書哲学書はあまり読んでこなかったと思います。
しかし、文学や文化の裏には哲学が常にあります。
今回は、デリダやドゥルーズなどの現代フランスの哲学者について、千葉雅也著「現代思想入門」を読んで学んでいく試みです。
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構造主義ってそもそもなんだ、脱構築とは
現代思想入門では、構造主義の代表としてレヴィストロースが紹介されました。
構造主義とは簡単に言うと、様々な物事からパターンを見つけて、パターンによって分類して理解しようということです。
そのレヴィストロースは文化人類学を研究した結果、様々な神話や民話をパターン化して分類したそうです。
しかし、パターン化して分類しただけで分かった気になっていると、パターンから逸脱したものやもっとダイナミックなものを取りこぼしてしまいます。
ポストとは「後の」という意味ですが、ポスト構造主義の代表であるデリダは、構造主義のような固定化された考えから脱することで逸脱する他者を認められるようになると主張したのです。
デリダは二元論の考えを否定して、白黒つけたり、二択のどちらかのみが正解だと考えることをやめるべきだと提唱しました。
どっちかがプラスでどっちかがマイナスという固定概念にとらわれるのではなく、プラスも悪いところがあるよ、プラスかマイナスかって曖昧なところもあるよね、と二元論のグレーゾーンを見せていくのです。そのグレーゾーンにこそリアリティがあるのです。
何でも脱構築できるケド、結局どうすればええの
デリダは、話し言葉と書き言葉という二元論を使います。
話し言葉は書き言葉のように誤解されたり、解釈を間違えられることが少ないです。
話し言葉はその場限りの言葉なので、自然とその場にふさわしい話し合いになりますよね。
だからこそ、話し言葉は真実に近い言葉なのです。
対して書き言葉は、前述したように誤解を招き、解釈も人それぞれだったりします。
この二元対立をデリダは重要視しました。
日本を代表するデリダ研究者である東浩紀はXのポストで、
と言ってるいます。抽象的と具体的という二元論を行き来して考えようとすることが脱構築なのでしょう。
日本社会を脱構築するということは?
筆者の千葉さんは、最近の日本社会は同一性を進め、他の差異を持った考えに向き合っていないと指摘します。
規律を求める同一性と、差異を持った他者を受入れる考えという二元論を脱構築するとどうなるでしょう。
社会維持のために同一性を持ちつつ、差異を持った他者を受け入れてある程度の自由を確保することができます。
この脱構築は、同一性の否定ではなく、二元論を行き来して理想的なグレーゾーンを形成しようということです。
さいごに、もっとグレーゾーンを生きよう日本人
最近の人々は自分自身をふくめて、他者に支配される受動的な自分を嫌がります。
自分が能動的に動いている時こそが良いみたいな。
簡単に言うと、自分で考えて都会で大金を稼ぐ。
都会は人間によって支配されたフィールドなので能動的に生きられます。
しかし、ずっとそれを目指しても苦しい。
だからこそ、あえて何をしでかすかわからない猫や犬と戯れたり、海や山という人間の支配が及ばない何が起こるか分からない所へ。つまり、人間が受動的になるところへ癒しを求めます。
そう、人間は受動的になりたくなるんです。
人間は能動的環境と受動的環境を行き来してこそ生きられるのです。
その2つの中間のグレーゾーンこそが良いんだと思います。だから、たまには他者に身を任せて、受動的になるのもいい。
受動的になるから楽しいこともある。それこそ恋愛や結婚だよ!と筆者は言っています。
ケツメイシはデリダとは関係ないかもしれないけど、恋愛が受動的だから良いっていうのは素敵。
意外とデリダと自分が考えてた根本は同じだったかもしれない。
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