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ゲイの僕は障害者を差別していた #45

僕はゲイで、LGBTQの当事者です。
今年の6月にLGBT理解増進法が施行されました。

こういう法案が施行されるということは、僕たちゲイはまだまだ世間に理解されづらい存在なんだというふうに感じます。

でも僕は、分かりたくない人たちや知りたくない人たちに無理して理解を乞う必要はないんじゃないかなと思ってしまいます。
分かりたくないなら分からなくてもいいし、知りたくないなら知らなくてもいい。

ただ、受け入れられないからといってそれらを排除してしまうような考え方は悲しく感じます。
僕たちの価値観が理解できなくて気持ちが悪いと思うことも、嫌悪感を感じてしまう気持ちも分かります。

だけど僕たちは、変われません。
どんなに否定されても、受け入れてもらえなくても僕たちは僕たち自身のことを受け入れて生きていくしかありません。

そのどうしようもない僕たちの価値観を否定されてしまうのはとても悲しく感じます。
だからといってその価値観を正しいと肯定されたいわけでもありません。

ただ「そういう人もいるんだ」と、そんなふうに自然と思えるような
否定もしないけど、肯定もしないようなそんな雰囲気だと僕たちは少しだけ肩の力を抜いて生きていけるような気がします。

僕たちLGBTQだけに限った話じゃなくて、みんなにとって優しい思想の社会であってほしいと思っています。





前書きが長くなりましたがかくいう僕も、以前は差別や偏見的な価値観を強く持っていました。



僕は障がいを持っている人を見かけると「怖い」と思っていました。
具体的になにか危害を加えられたわけではないです。迷惑なことをされたわけでもありません。
ただ漠然とした「怖さ」という感情がありました。
怖さだけでなく、漠然とした嫌悪感もあったかもしれません。

外出先で障がい者を見かけたときには
僕はその人を避けて通ったり、意識的に目を合わせないようにしたり
自然と身体がそういうふうに動いてしまっていたと思います。

しかし、それは僕の中でごく普通の感情で
それがおかしい価値観だとは思っていなかったですし、自分以外の周囲の人たちも、僕と同じような感情を抱いているのだと疑ってもみませんでした。




差別や偏見的な視点があった僕でしたが、そんな僕を変えるきっかけをくれた人がいました。

それは高校3年生のときの担任の先生でした。
本当に素敵な先生でした。僕にとって先生は憧れでもあり、尊敬の対象でもあり、そして感謝という二文字では表しきれないほどに僕にたくさんの素敵な価値を与えてくれた存在でした。
僕は彼女のことをとても信頼していたし、慕っていました。


高校3年生の卒業の日。
最後に彼女は教壇に立って、自分の家族の話しをしました。



「私の息子は、障害者です。自閉症という障害です。」


「息子の障害は目に見えません。親の愛が足りないとも言われました。」


「息子と一緒に外を歩くと、公園にいくと、スーパーに買い物に行くと視線を感じて外に出ることが怖くなったこともありました。」



僕の知っている強い先生は、ポロポロと涙を流していました。
そして最後にこう締めくくりました。



「私は、この子を産んで幸せです。産まなくてよかったなんて一回も思ったことはないし、不幸だなんて思ったこともありません。誰に何を言われたってかまいません。私は息子のお母さんで幸せです。」




僕は、このときに初めて自分自身の中にある差別や偏見の存在に気づきました。


そして、それと同時に僕は
僕自身の持っているこの差別や偏見が僕の大好きな、僕の人生の道標をくれた大切な人を知らず知らずのうちに傷つけていたことに気づかされました。

自分の愚かさに腹が立ちました。
自分の偏った価値観が大事な人を知らないうちに傷つけていた事実が悲しかったし
これからもこの偏った価値観で、大事な誰かを傷つけてしまうかもしれないと思うと怖くなりました。

彼女に対する申し訳無さや自分の愚かさ
彼女の強さや、その堅い決意への感銘


様々な感情でぐじゃぐじゃになり涙が止まりませんでした。


僕は、彼女のカミングアウトに心を動かされました。


そして僕は僕の中にある差別や偏見をなくしたいと
そう思いました。



僕はこの出来事をきっかけに大学生になってからボランティア活動をはじめました。
発達障害を持つ子どもたちと関わるボランティアスタッフとして定期的に活動に参加しました。

ボランティア活動はとても楽しかったです。
障害の有無に関わらず、子どもたちは純粋で無垢でとてもかわいかったです。

ボランティア活動を行う日々はたのしく、とても充実感がありました。
でも漠然としたモヤモヤがありました。



僕は、本当にこれでいいのか。
これが僕がしたかったことなのか。
確かに発達障害を持つ子どもたちについてはなんとなく理解ができた。
でもこれで、僕は僕がなりたかった僕になれたのかと思うとそうじゃない気がしました。


そう考えながらも、具体的に何をすればいいか分からずに悶々とした日々を過ごしていた中で
ふと大学内の掲示板の情報が目に入りました。


学生アルバイトの募集。
訪問介護の求人でした。


その内容は障害者の人の家にいき身の回りのお手伝いをするといった内容でした。

僕の中にある差別や偏見を取り除くためには、その当事者のことを知ることが一番の近道だと思っていました。
このアルバイトは、障害を持つ当事者の人の生活の場に行くことができて、その人たちと密に関わることができる。
そうすれば僕が果たしたかったことがきっとできるかもしれないと漠然と考えました。

僕の中に迷いはなく、すぐに求人に応募しました。

求人に応募して間もなく、担当者から連絡があり面接の日程が決まりました。
僕は何の先入観もなく面接に臨みました。

面接を担当してくださったのは、健常者の職員1名と障害者の職員1名。
障害者の職員さんは30代前半くらいの男性でした。
その職員さんは大きい電動車椅子に乗っていました。
身体は少し傾いていてやや前傾姿勢、前後・左右に常に揺れていました。
その職員さんの言葉は言葉を発するのにかなりの時間を要していました。
一言ずつではなく、一文字ずつを言葉にするために数秒かかっていたし、うまく発音ができていなくて僕には言葉を聞き取ることが難しく感じました。
時々、とても大きい声になったり表情がキツくなったように見えて、一見怒っているようにも見えました。


正直、その光景を見て驚きました。どうしていいのか分からなかったです。
僕自身障害について何の知識もありませんでした。
その職員さんに対して、どう接したらいいのか。普通に話していいのか。
ゆっくり話したほうがいいのか、簡単な言葉を選んで話せばいいのか。
何もかもがわかりませんでした。

健常者の職員さんからひとしきり形式的な質問がいくつかあったあとに
最後に障害者の職員さんから1つ質問がありました。


「僕のことを見て、どう思った?気持ちが悪いって思った?」


という質問でした。

少し迷いましたが思ったことを素直に伝えました。
僕の人生でこんなに重たい障害を持った人と話すことが初めてで、何もかもがわからないこと。
どうやって接したらいいのか分からないと思ったこと。
気持ち悪いとは思っていないが、分からないことばかりで
話している様子を見て、辛そうに話しているように見えて心配になったし
急に口調や表情がきつくなって怒ってしまったのかとも思ったし
とにかく分からないことだらけだと

そんなふうに答えました。


障害者の職員さんは僕の返答に対して
重たい身体障害はあるが、知的な発達の障害はないから普通に接してくれていいことを教えてくれました。
あとはアルバイトをしながら少しずついろんなことを分かっていってほしいと話してくれました。


そして僕はその場で採用になり
その後、2日間の重度訪問介護従業者養成研修というカリキュラムを受講し訪問介護を行う資格を取得しました。


僕のシフトは毎週金曜日の18時〜22時までの4時間
訪問先は固定で、僕は僕のことを面接してくれた障害者の職員さんの家の訪問担当になりました。


仕事内容は、掃除・洗濯・調理・食事介助・入浴介助・排泄の介助・更衣の介助・車椅子からベッドへの移乗介助・買い物
といった生活全般でした。

障害者の自立生活を支援することが目的だったため基本的には訪問先の利用者さんの手となり足となり動くことが僕の仕事でした。
料理の際も、隣に利用者さんがいて野菜の切り方や調味料の量、調理方法など細かく指示がありその指示通りに僕は動く。

これだけ聞くと簡単そうに聞こえますが実際はとても大変でした。
利用者さんの障害は重度で、ほとんど自分で身体を動かすことができません。
唯一、右手の人差し指が少し動かせるのでその動く指を使って電動車椅子の操作は利用者さん自身で行っていました。
車椅子での移動以外の生活動作のほとんどには介助が必要でした。

介護の経験も知識もない僕にとって、排泄の介助や入浴介助はとても苦痛でした。
食事の介助も最初はとても抵抗がありました。
全部が辛く感じましたがその中でも僕が一番辛く感じたことは、利用者さんとうまくコミュニケーションがとれなかったことです。
利用者さんの要望を聞こうと思っても、何を言っているのかうまく聞き取れないことが多かったです。

何回も聞き返しても、聞き取れなくて気まずく感じる瞬間も多々ありました。
そして勤務時間は4時間でしたが4時間の間ずっと仕事をしているわけではありません。
ひとしきり家事が終わると、何もすることがなくてぼーっとしている時間が大半でした。
訪問先の家の間取りは1Kで、何もしていない時間も利用者さんと同じ空間に居続けなければいけませんでした。
ただただ無言の数時間が続くことがとてもしんどかったです。


バイトに行くのが辛すぎて最初の方は家で泣いていました。
辞めたいと何度も思いました。

でもこれは自分で決めたことだから、とりあえず三ヶ月は頑張ってみよう。
そんな気持ちで利用者さんの家に行っていました。

僕には目的がありました。
障害を持った当事者のことを知りたい。わかりたい。
僕の中にある、差別や偏見をなくしたい。

そのために僕はこのアルバイトに応募しました。
今のままではその目的は果たせないし、このままだと障害者と関わった経験がただただ嫌だったという経験で終わってしまうかもしれない。
僕が抱いている負の感情は、隠そうとしてもきっと利用者さんに伝わってしまうだろうし
僕のせいでその利用者さんが悲しい気持ちになってしまったり、不利益を被ってしまうことも嫌でした。

かといってどうしたらいいのか
どうやったら自分のこの負の気持ちを消せるのかがわかりませんでした。

出口のない迷路に迷い込んだよなそんな葛藤の日々が二ヶ月ほど続いたときに、僕の気持ちが動くできごとがありました。




利用者さんの夕食の介助を行っていたときのことでした。
テレビ番組に当時人気大絶頂だったアイドルグループのAKB48が出演していました。



(あ、AKBだ)



僕はぼんやりとテレビの画面を横目に
利用者さんのペースに合わせて食事の介助を行っていました。



「AKBすき?」



僕が音楽番組を横目で見ていることを知ってか利用者さんは僕にそう聞いてくれました。
予想外な質問に一瞬拍子抜けしました。



「え、あ、はい、大好きですよ!」

「Aさん(利用者さんの名前)もAKB好きなんですか…?」



この会話をきっかけに僕とAさんの心の距離はぎゅっと縮まったような感じがしました。


僕は柏木由紀さん推しで、Aさんは大島優子さん推しでした。
推しの話しは尽きることなくその後もしばらくAKBの話しで盛り上がっていました。




僕はこのとき、Aさんがちゃんと笑っているところをはじめて見ました。

Aさんの笑顔をみて、僕の心の中に絡まっていた糸がやんわりと解けていったようなそんな感覚がありました。
本当に嬉しかったです。




そして僕は思いました。
Aさんは、僕が思っているよりずっと普通だ。
僕は心のどこかで、Aさんは障がい者だから自分とは違うと線引きをして関わっていたことに気がつきました。

Aさんは僕と同じでアイドルが好き。
僕と同じで思いがあって、考えがある。
身体の不自由さ、障がいの影響で外見が健常者と異なる部分があるけど
それだけのことで、僕らと同じ社会で生きている同じ人なんだと。
僕の中で腑に落ちたようなそんな感覚がありました。



AKB好き?



たったこれだけの言葉だったけど
Aさんが僕に関心を向けて、僕に寄り添った質問をしてくれたことがとても嬉しかったです。
僕のことを知りたいと思ってくれたことが純粋に嬉しく感じました。


それと同時に、僕もそんなAさんのことをちゃんと知りたいと思いました。



この日を堺に僕とAさんの仲は深まっていきました。
これまでは家の中で過ごすことが多かったのですが、外出する機会が増えました。
一緒に古着屋やCDショップに行って買い物をしたりCDやDVDの貸し借りもするようになりました。

そしてお互いの話しをするようになりました。
僕の家族のこと、大学のこと、将来の夢。

Aさんも色々な話しをしてくれました。
自身の障がいのこと、家族のこと、恋人のこと、仕事のこと。
Aさんは脳性麻痺と先天性脊髄損傷といった疾患を抱えて生まれてきました。
障がいがあることをできない理由にしたくない。
普通に生活が送りたいと、そう話していました。




Aさんといつも通りに外出をしていたときに
僕はふと気になったことを何気なく聞きました。



「Aさん、いつもなんで遠回りするんですが?大通りを通った方が近いですよ」



Aさんは外出するときに決まって大通りを避けて、道が十分に整備されていないような裏路地を通っていました。

はじめのころは、近道を使っているのかとも思っていましたが
明らかに遠回りだし、道が悪く車椅子も揺れるため移動にも時間を要していました。

僕は素朴に、どうしてわざわざ不便な方を選択しているのかが気になりました。






「大通りだと、人とたくさんすれ違うでしょ。人に見られるのが嫌なんだ」






僕は、はっとしました。





そしてAさんは言葉を続けました。



「僕のことを見て、何度も振り返る人もいるし笑う人もいる」

「キモイって言われたこともあるんだよ」

「僕が通るとみんな僕を避けて通るんだ。大きい車椅子だし邪魔になるでしょ。だから誰にも会わないようにこの道を通ってるんだ」



僕はその言葉を聞いて、悲しそうに語るAさんをみて
高校時代の恩師のことを思い出しました。


差別や偏見。
何も知らなかった高校生の僕は、知らないうちに障がいを持った人たちに対して後ろ指をさすような振る舞いをしていたかもしれません。
きっと自分の知らないことや分からないことって漠然と怖かったり、なんとなくタブーなものだと捉えてしまいがちだと思います。
知らないことを肯定したり受け入れるのって難しいけど、断片的な少ない情報から批判するのって簡単で
当時の僕は分からない価値観を否定して自分の中から排除することで、自分自身の持っている領域や価値観の正しさを本能的に守ろうとしていたのかもしれません。


でも今は違います。
僕は高校3年生のときに大好きだった恩師の言葉に心を動かされました。
僕の中にある差別や偏見をなくしたい。僕の中にあるこの差別的な感情で誰かを傷つけたくない。
僕は変わりたい。そう思うことができました。
そして僕はAさんと出会って、Aさんのことを知って、Aさんの言葉を聞いて
僕はAさんのことが大好きになりました。

障がいがあるとか、障がいがないとか
人間関係において、それって実はほんの些細なことだったんだと僕は気づかされました。

障がいの有無に関係なく、僕はAさんという人間の人柄が好きでした。
何事にも一生懸命に取り組む
いつでも気さくで明るくて
面倒見が良くて優しい性格で

洗濯物のたたみ方や掃除に関してはとても几帳面で
細かすぎると感じることも多々あったけど
でもそれがAさんの色んなことに対する誠実さや丁寧さに繋がっているんだとも分かりました。

僕はそんなAさんの人間性が好きでした。





それから月日はあっという間に流れ、僕は大学卒業と同時にこのアルバイト辞めました。
Aさんを含めて、アルバイト先の職員さんや他の利用者さんたちで僕の送別会を開いてくれました。




Aさんは最後に



「ひろトくんが、うちに来てくれて嬉しかったよ。優しい君ならどこでもうまくやれるよ」



と言ってくれました。




Aさんと出会ってからの2年間で僕はどれだけ変われただろうか。
僕自身、そんなに変わったような感覚はありませんでした。


ただ一つ変わったことがあるとすれば、僕は障がいを持った人を日常の中で見かけてもなんとも思わなくなりました。
きっとそれって、僕の中でそれが“普通”のことに変わったからなんだと思います。

健常者が社会生活を送っているように、障がい者だってあたり前に社会生活を送っている。
それだけのこと。

障がいがあるから特別なわけでもない。健常者が特別なわけでもない。
みんなが“普通”で、みんながみんなの思う“普通”を生きている。
たったそれだけのことなんじゃないかなと漠然とそう考えるようになりました。


僕は僕の中にある差別や偏見をなくしたい。


そんな気持ちで悩み葛藤して行動した大学4年間でした。
きっと僕の中には、様々なことに関してまだまだ差別や偏見ってあると思います。
それを0にすることってたぶん困難で、自分と違う価値観をすべて受け入れようとすることって
ある意味自分の我をすべて捨てることに近いことなのかなって思います。

だからこそ、自分自身の“普通”を
自分自身の価値観をみんなが大切にするべきだと思うし
自分自身の“普通”を信じて自信を持って生きるべきだと思います。

ただ、他人の生き方を否定したり
他の誰かの大事にしている価値観を排除してしまう思想が強くあると
僕たちはきっと自信を持って、自分の信じる“普通”を生きていけないと思います。




みんなちがって、みんないい。




僕の大好きな言葉です。
違いがあるからこそ、素敵だと
そんなふうにみんなが思える優しい社会であってほしい。

誰に対しても、やさしい僕でいたいなと
そう強く思うのです。

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