見出し画像

良いものづくりをしっかりすること

ストーリーに疲れた、的な話をする方々をちょくちょく目にするように感じている。



私的には、正直自分が好きなでピンとくるものじゃないと興味が湧かないから、いきなりあれこれ説明されてもドン引きしてしまう。
セールスとかの感じに近い。

そういう感覚が、ストーリー疲れなのかもしれない。

なんて前書きだけを朝に書いてから、コピーライターの日下慶太さんの講演会的なのに参加してきんだけど。(昼間に陸前高田でやったイベント)

ストーリーが疲れる原因ってこれだな?って思った言葉が。

"広告はいきなり自慢をしている"。 

広告は商品をよく見せたい心理からめっちゃ良いことを並べる。
その物自体に元々興味を持っていない人からすると、"それ、自慢じゃない?"とか"うっとおしさ"みたいなものを感じたりする。

よくストーリーが疲れるっていうのは、別に聞いてないし、めっちゃ良いことが並びすぎてる言葉が自分の中にストンと入ってこないからなのかもなあ、なんて腑に落ちたよね。

やっぱり興味ない物のあれこれは、ドン引きになってしまうんだね。

「ストーリーが自慢話になっちゃうなら、じゃあどうすればいいの?」ってなるような気がするけど、私的にはこのイケウチオーガニックのnoteがドンピシャに納得の最適解だった。


"最近、「モノを売るより、ストーリーを売れ」というようなことが、ビジネスやマーケティングの本によく掲載されています。ただ、こういった表現を目にするたびに、なんだかモヤモヤとしたものを感じるのです。 ストーリーを売ることがダメと言いたいわけではないのですが、とにかく、僕らは「違う」と言いたい。 やっぱり、僕たちにとって一番大切なのは、「モノをしっかりつくる」ことです。そして、つくったモノ自体や、モノづくりに向き合う姿勢、モノを届けていく姿が、結果的に「ストーリー」になっていくのだと思います。" 

ものづくりをしている人にとって1番なのは、"良いものづくりをする"こと。
1番大事なここの部分が抜けていたら、綺麗なストーリーたちは嘘になってしまう。

私は牡蠣を育てて出荷するお仕事をしてるんけど、最終的には手間ひまをかけて良い牡蠣にすることが1番やるべきこと。

この前もこのnoteに書いた、友達たちの「いままで食べた牡蠣の中で、1番おいしい!」という言葉に見合うように、手を抜いてはいけないと思う。


そういう手間を惜しまない姿勢を貫いてくれば、綺麗な言葉よりも絶対にその物についての独自のストーリーはくっついてくる。

ストーリーが先なんじゃなくて、良いものづくりをすることが先。というより根本をきちんと大事にすること。

それができて、自分がつくった物たちの伝えたい部分の本質が見えてくるし、生きてくる。

自分が携わっている牡蠣ちゃんがただの自慢話で終わらないように、パッて「めっちゃいい!」ってしっかりと選んでもらえるように、明日からも牡蠣と向き合っていこうと思います。

そういう話で、今日は終わり。
おやすみなさい。

私のnote、読んでくださってありがとうございます。 もしも「いいな」と思っていただけたら、感想と一緒にRTやシェアしていただけるとうれしかったりします。。