2日目のカレー、10年前の映画

2日目のカレーは美味しい。

気のせいではなく、本当に美味しくなっているそうです。1日目より多くのうま味成分がカレーのルーに溶け出すため、2日目のカレーのほうがコクがあり、柔らかな口当たりになるからです。


時間が経つと深みが増す

ところで、子供の頃に読んだ本、見た映画、聴いた音楽を大人になってから再び鑑賞すると、当時より面白く感じませんか?

同じ映画を同じ人が見ているのに、当時とは全然違う感想が出てくることがありますよね。別の魅力に気づいたり、こんなシーンあったっけ、と新しい発見があることもあります。

2日目のカレーと違い、作品の内容は変わりません。ですから、変わったのはそれを鑑賞する自分です。自分の考え方が変わったということです。何を大事にしているとか、何に心惹かれるとか、そのようなコアな部分が変わったということです。



ベスト・キッドを見た

※ネタバレ注意です!

なぜ急にそんなことを思ったのかというと、「ベスト・キッド」という映画を見たからです。

主人公のドレは母の転勤でアメリカから北京に移り住んだ12歳の少年。ドレが現地の少年グループからいじめを受けていたところ、ドレの住むマンションの管理人であるハンに助けられる。実はハンはカンフーの達人で、ドレはハンにカンフーを習いはじめる、というのが簡単なあらすじ。

中学生くらいの頃に一度見た映画でした。

その時の感想は

「カンフーかっこいい!」
「いじめっこをぶったおしてやれ!!」
「私もジャケット脱いだり着たりしようかな。そしたらカンフーの達人になれるかな」

でした。カンフーのことしか覚えていません。だってカンフーかっこよかったんだもの!

ですがこの前見直したときは

「ハンさんにそんな過去があったなんて、、、」
「ドレ、今はまだ力では敵わないかもしれないけど、心では負けてないぞ。むしろ勝ってるぞ」
「ドレはカンフーを教わったけど、ハンもドレに大切なものを教わったんだな。ハンも主人公なんだな」

とこんな具合でした。内容が理解できるようになって、カンフーのかっこよさのほかにも良いところを見つけられるようになりました。映画の内容は変わらないのに、感じ方が変わったんです。

変わらないものを基準に、変化の量を知る。考えてみれば普通のことです。1メートルは変わりませんし、1キログラムも変わりません。だからものの長さや重さを正確に測れるんです。しかし人間にも同じことが当てはまるとは、思いもしませんでした。

変わらないものに触れ、自分の変化を感じる

アニメ「PSYCHO-PASS」にこんなセリフが登場します。

「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」

「調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える」

「調子が悪い時でも、スラスラと内容が入ってくる本もある。なぜそうなのか考える」

「精神的な調律、チューニングみたいなものかな。調律する際、大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」

槙島聖護(PSYCHO-PASS サイコパス)

このセリフに出会ったとき、私は正直意味がわかりませんでした。

ですが私は「ベスト・キッド」を見て、これは10年前の映画を見るみたいなことの、スケールを日常サイズにしたバージョンだと解釈しました。

紙の本を読む感覚は、変化しないものの象徴。いつどこで読んでも、紙の本を読む感覚は大きく変わりません。

対して、本の内容や自分の感覚は変化するものの象徴。どんな本を読むかによって内容は変わります。自分だって、調子がいい日もあれば、悪い日もある。

変化しないものを基準にして、変化する自分を知る。

常に新着のコンテンツであふれかえっている現代ですが、ときどき昔見た映画や、昔読んだ本を見直してみるのも面白いなと思いました。


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