『ホリミヤ』と、人生の充実について

※注意※この記事には、アニメ『ホリミヤ』のネタバレが含まれます。















ホリミヤを見ました。

ラブコメはなんとなく敬遠していたのですが、ホリミヤとても面白かったです。お盆休みを利用して一気見してしまいました。

1期の最終話に素敵なセリフが登場したので、今回はその話を。


あってもなくてもいいような、高校生活だったな。

もしも堀に出会っていなかったら、と想像した宮村の独白。内山昂輝さんの演技も相まってとても冷たく感じました。

あってもなくてもいいような一日が積み重なって、あってもなくてもいいような一年になり、あってもなくてもいいような高校生活になり、あってもなくてもいいような人生になる。この独白は、高校生活を後悔しているというよりも、希望を失って人生を諦めているように聞こえます。いままでもそうだったし、今後もきっとそうだろうと、自分の人生に期待していないように。

これは自分のことかもしれないと思いました。

私は自分の人生が終わるときに「あってもなくてもいいような人生だったな」というのかもしれない。

そう思うと寒気がしました。

人生が終わる瞬間に「あってもなくてもいいような人生だったな」と思わないように生きるには、どうすればいいでしょうか。


偶然への感謝、自分の望み

堀に「今私たちが付き合っているのは、運命みたいなものもあるかもしれないわね」と言われた宮村。これに宮村は「そうかも」と返し、心の中でこう付け加えました。

もし君の言うところの運命なんていうものがなかったとしても、世界は自分の望んだ方向へ、きっと少しずつ進んでくれるんだと思う。

このセリフの「運命なんてなかったとしても」の部分、私には、堀との出会いはあってもなくてもよかったと言っているように聞こえました。しかし、先ほどのセリフとは正反対の、ポジティブな意味で。あってもなくてもいいなら、あってよかったなと。堀との偶然の出会いに感謝しているように感じます。

後半の部分は、宮村が偶然を掴んだことについて。もしあのとき、道で創太を無視していたら、もし弟を家まで送り届けたときにその場ですぐ帰っていたら、宮村の人生は全く違ったでしょう。宮村が偶然を掴んだのは、彼が交友を望んでいたからだと思います。今の宮村の姿を見たIF世界線の自分に「楽しそうだね」と言われていましたから、ずっと望んでいたのかも。宮村は内向的ですが、人付き合いを拒絶していたわけではありません。

偶然への感謝と自分の望みが、かけがえのない普通な日々を宮村にもたらしたのでしょう。

人生なんて「あってもなくてもいいようなもの」なのかもしれません。それでも「あったほうがいい」と思えるような人生を過ごすには、宮村のように望むこと、欲しいものだけ決めておいて、あとは偶然の成り行きに任せるというのもアリなのではないか、と思いました。



途中から何書いてるかわからくなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?