サグラダ・ファミリアは楽器だった!? 〜 スペイン旅日記その3
1997年夏
夕暮れ時のバルセロナ。
あの日。よく晴れた日。夕焼けが例えようもないくらい鮮やかだったのを今でも覚えている。
地平線のあたりから、中空に至るまで、まるで夕闇を描いた日本画のようなグラデーションが広がり、辺りを薄い桃色に染めていて。
この街を絶え間なく人や車が行き来する様は、まさに眠らない大都市の息吹。そんな場所でも夕暮れ時は、どこか静けさを纏ったような、そんな雰囲気があって。
そんな時間帯、この街を歩くのが大好きで。
どんなに嫌なことがあっても、歩いているうちに、そんな気持ちはどこかに溶け込んでいってしまいそうで。
そんな感覚を持って、サグラダ・ファミリアの前にたたずむと、、なんとなく、この町の魂のようなものに触れることができたような気持ちに包まれた。
1999年秋
それから少し時が過ぎ、、
21世紀を迎えようというころ。
ビートたけしさんの特番でサグラダ・ファミリアを設計したガウディが紹介されていた。
ゲストで、この教会の建築に携わっておられる外尾悦郎さんが出演。番組内で現地バルセロナの事などを紹介していた。
この番組の趣旨は、ガウディはサグラダ・ファミリアをどのような意図で作ろうとしたのか?というもの。
教会を作る意図??
大学の図書館で調べた限りでは、特に具体的にそのことについて触れたものを読んだことがなく。。
ガウディは、何を目的としてサグラダ・ファミリアを作ったのか?ということについて非常にワクワクしながら番組を見ていたのを覚えている。
サグラダファミリアは何のために作られたか?
こんな回答がなされていた。
ガウディは、サグラダ・ファミリアを楽器として制作したのだと。
そのイメージはこう。
バルセロナの街並みが、鮮やかな夕闇に沈むころ。
皆が家路を急ぎ、今日一日の平穏を神に感謝する、、そんなひととき。
この街で暮らす人々に代々歌い継がれてきて、心の中に根付いているカタルーニャ民謡、「聖母の御子」がサグラダ・ファミリアの聖堂内で演奏される。
そのメロディは一つの流れとなって、塔の突端の穴から流れ出て、しずかにこの街に染み渡っていく・・
そんな風景を、この建物に込めたのだと。
このイメージを、97年の自分の体感と重ね合わせてみると、不思議な現象が起きた。
あの時、実際体感していた匂いや空気の冷たさが記憶の底から沸き起こってきた。そしてあの街並みに「聖母の御子」が響き渡っている風景が、実体験したかのように脳内に浮かび、心が震え、体温が少し上がったように思えた。
もしかすると、ガウディが抱いていた「聖母の御子」が響き渡っているイメージや想いと、実際に街を歩いた体験がどこかでリンクしてしまったのかもしれない。
二つの想いが時空を越え、リンクしたのかもしれない。
番組の最後の方では外尾さんの奥様のピアノによる「聖母の御子」の演奏があり。
それを聞いていて、このカタルーニャ民謡はこの地域の人だけではなく、地球上に暮らす人々にとっても共通の感覚を思い起こさせるものだなと感じた。
共通の感覚とは、、、そう、どこか物悲しくも、なぜか懐かしさを記憶の奥底に見てしまうような、そんな感覚。
サグラダ・ファミリアに隠されたこんな素敵な真実。
今度、この街を訪れたとき。この音楽を聴きながら、夕暮れ時にたたずんでいたい、、、。
■聖母の御子
スペイン語名:「El Noi de la Mare」
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