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振り返るなそこには夢は無い ~ 荒井由実 「あの日にかえりたい」 ~ 寺山修司 「さらばハイセイコー」


振り向くな 振り向くな 後ろには夢がない

(寺山修司「さらばハイセイコー」より)

ハイセイコーという名馬の引退に際して劇作家の寺山修司さんが綴った一文で、今でも名言として語られております。

ハイセイコーがいなくなっても全てのレースが終わるわけじゃない。人生という名の競馬場には次のレースを待ち構えている百万頭の名もないハイセイコーの群れが朝焼けの中で追い切りをしている地響きが聞こえてくる

(寺山修司「さらばハイセイコー」より)

なんというか物凄く前向きで、ポジティブでこの言葉に勇気付けられた方も多いのかもしれません。

でも僕が好きなのは、最後の段落。

だが忘れようとしても目を閉じるとあのレースが見えてくる 耳を塞ぐとあの日の喝采の音が聞こえてくるのだ

(寺山修司「さらばハイセイコー」より)

忘れようとしてもどうしても、見えてしまうし聞こえてしまうのですよ。これが本当だと思います。でもその事実を認識した上で先に進めば良いんだと思います。なにも全てを超越して、過去から一気に逃れなければならないなんてこともないし。こういったいわゆる人間のもつ弱さにも言及しているあたりさすがだなあとおもうわけです。

人生も不惑を迎える頃になるとそりゃあいろいろな出来事を経験しているわけです。良い思い出もあるし、そうでないものも。叶うことならば、

あの日に帰ってやり直したい

、、なんていうものは誰にでもあるのではないでしょうか?

でもそんなことはできるわけがなく、叶わぬ願い。だからこそ、忘れることができず

目を閉じるとあのレースが見えてくる 耳を塞ぐとあの日の喝采の音が聞こえてくる

(寺山修司「さらばハイセイコー」より)

なんて心が覚えてしまっている感覚=青春の後ろ姿があるが故に、時として叶わぬ夢を追い求めてしまうのかもしれません。

青春の後ろ姿を、人はみな忘れてしまう
あの頃の私に戻って
あなたに会いたい

荒井由実「あの日にかえりたい」より

ただ、この曲の主人公は最後のフレーズでとある行動に出ます。昔の思いを捨てきれず、涙で滲んだ自分の居場所を昔の恋人の扉に挟む。

いま愛を捨ててしまえば
傷つける人もないけど
少しだけにじんだアドレス
扉にはさんで 帰るわ あの日に

荒井由実「あの日にかえりたい」より

おそらくは叶わぬ願いだとおもいます。今の世の中から見てもかなりストレートな行動ですが、、この結果を経てやっと、あの日には帰ることができず、後ろには夢がないことに気がついて行くのだろうと、、そんな風に捉えたいですね。


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