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1、時間がない

僕は誰もいない教室で、自分の板書を消しながら、ため息をついていた。

このA塾でバイトを始めて10カ月。半年の研修期間を経て、実際の教壇に立っていた僕は、行き詰っていた。授業がうまくいかないのだ。

高校時代、面白くもない授業に嫌気がさしていた僕は、大学に入ったら塾講師のバイトをすることを決めていた。大学を卒業するまでに、とにかく実践経験を積む。それには、手っ取り早く教壇に立つのが一番だ。誰も眠る暇などない、楽しい授業をしてやる。…ところが実際の教壇に立ってみると、机から見る風景とは180度違っていた。そんなことは百も承知だったが、受動的に聞くのと、能動的に話すのとで、こんなにも違うとは思わなかった。

今日の授業は英語の文法、「受動態と能動態」。つまらない授業ではなかったと自負していた。練りに練り上げた授業案。例文は面白おかしく、中学生の好奇心をさそう構成、現に生徒は楽しそうだった。時間が足りなかったが、きっと生徒は時間が短く感じたはずだ。

…しかし、授業の最後の確認テストで、僕は唖然とした。強調したはずの大事な文法のポイントが、ほとんど定着していなかったのである。塾長は、僕にこうダメ出しした。「君は、授業をお笑いライブか何かと勘違いしているんやないか?」。楽しくて、かつ力がつく授業。それを目指す僕は、楽しいだけの授業しかできない自分にいらだっていた。生徒に力がつかないと、何の意味もない。僕は塾長に反論できなかった。

黒板を消し終わると、教員室に戻る。塾長は生徒対応中だ。これ幸いと、タイムカードを押してそそくさと帰ろうとする僕を、ある先輩講師が呼び止めた。彼女は、僕と同じ時間講師、つまりバイトだ。確か、大学院生。この塾では古株だという以外、僕は彼女のことを知らなかった。

「…なあ、たこ焼きでも食べにいかへん?」

2、たこがない

30分後、僕たちはとある居酒屋にいた。周りはサラリーマンや会社帰りのOLらしき人たちであふれている。ムードもへったくれもないが、勘違いされないよう、あえてこういう店を選んだんだろうなと思った。

「今日はワリカンな。ウチもちょっと財布がピンチやねん。先月、ライブに行き過ぎてな…」

2席だけ空いていたカウンターに腰掛けるなり、彼女は言う。そのほうが貸し借り無しで気楽だ。「ウチが誘ったんやから、ウチが出すで!」などと言われたら、逆に恐縮する。

「その代わり、最初の1皿分だけはウチが出すで。任せときや!」

彼女は店の大将に「いつもの」とだけ言った。大将は無言でうなずき、何か焼き始めた。っていうか、常連かよ。

僕は、関東地方から関西の大学に進学してきた。引っ越して10カ月もたつのに、まだ僕は関西弁のノリになじめずにいた。お笑いが好きなこともあり、表面上は合わせていたが、心中ではなんで関西人は何でもボケとツッコミに変換するのだろうと思っていた。ましてや今日は、いや今日もか、自分の授業に納得がいっていない。簡単に言えば、自信をなくして、やさぐれていたのである。

「お、来た来た。まずは『たこ焼き』でも食べて、胃の中を満たしや」

ソースとマヨネーズの混じった香ばしい香り。僕は空腹だったことを突然思い出した。お言葉に甘えて、ふうふう言いながら食べる。彼女はそんな僕を見ながら、ぐいっと一杯目のビールジョッキを傾けた。

…うまい。うまいけど…。あれ? なんか違和感がある。

僕は2つ目を口に入れる。やはり、間違いない。

「…これ、たこが入ってなくないですか?」

3、サビがない

僕は彼女に小さな声でそう言った。いきなり大将に言うには、大将は強面すぎた。「なんや、クレームか、俺のたこ焼きが食われへんのか、表に出い、ワレ!」とか言われたら怖い。

「たこ、無いんか? …そんなら、たこ焼きやないな。ラヂオ焼きとか、素焼きとか、ボール焼きとかいうらしいけどな」

彼女は澄ましてそう言う。…って、たこが入ってないのを知ってたんかい!と、心中、ツッコミを入れる。

「アンタの授業も、たこの無いたこ焼きやないか?」

彼女はいきなり斬りつけてきた。

「ソースやマヨはうまい。かつぶしや青のりもお好みや。けどな、たこ焼きはたこが入っているからたこ焼きや。たこが無ければ、たこ焼きとは言えへんねん。たこが大事や。まず、たこを入れんかい」

僕は、ぐっと言葉に詰まった。彼女はぐっとビールを飲み干した。

「アンタ、ソースやマヨにこだわり過ぎてへんか? たこを入れるのを忘れてないか? 確かに、味付けは大事やで。けどな、大事なもんが入ってへんと、生徒の頭の中には残らん。ヒットソングには、ええサビがあるやろ? サビが頭に残るやろ? サビ大事や。まず、サビを決めんかい」

僕は反撃を試みる。

「そうはおっしゃいますが、授業の中では十分にサビを聞かせてるつもりです。たこも入れてます。ここが大事や!と、あえて関西弁で強調しました。僕のナンチャッテ関西弁で、けっこう受けましたよ。まあ確かに、関西弁はまだうまくはないですが…」

彼女は僕に向き直った。

「引き算やないんや。ゼロからの足し算で、授業を組み立てんかい」

4、引き算やない

「アンタ、授業時間が足りないと思うてるやろ」

図星だった。あれもこれも話そうとして、時間が足りなくなる。そのため最近では、授業準備の中で、彼女のいう「たこ」を決めて、そこにできるだけ集約していこうと、話すことを取捨選択していた。それでも時間が足りなかった。なぜ、生徒に重要ポイントが定着しないのかわからなかった。

「100からの取捨選択やないねん」

彼女は、僕の心中を見透かしたように刀を振るう。

「ゼロから組み立てるんや。必ず伝えたいこと、たこでもサビでもええけど、それをまず1つだけ書くんや。100から90引いて、10だけしゃべってるつもりやろ? でも、引いた90が気になるやろ? 人間、引き算でしゃべることを決めると、必ず答えが水増しになるんや。10だけしゃべってるつもりでも、つい20しゃべっちゃうんや。そうやない。ゼロから足し算や。ずばりこれだけは伝える、ということを決めて、そこを膨らませるんや!

僕は目からウロコだった。…確かに、今までの僕の授業の構成は、引き算だった。伝えることを列挙して、時間を想定して、この話では10分使う、そうするとこの話は話せないかな…などと考えていた。しかし教室では、生徒の表情やウケを確認しながらしゃべる。無駄なことをしゃべらないつもりでいても、つい時間を使ってしまっていた。

「でも、ゼロから足すだけだと、逆に時間が余るんではないですか?」

「時間は、余ってもええ。余ったら、大事なことを言葉を変えて強調したり、もう一度演習させたりしたらええやないか。アンタ、自分、つまり話し手の動きを変えることに精一杯で、生徒、つまり聞き手の動きを変えることを忘れてへんか。聞くだけで定着したら、それこそ何の苦労もない。聞かせて、質問したりさせたりして、実際にやらせてみて、失敗させて、もう1回やらせて、そうやって初めて頭の中に残るちゃうんか」

…僕は、バイトを始めた頃の授業研修を思い出していた。そうだ。確かに、塾長もそうしていた。聞き手の動きを変えていた。意識していたつもりだったのに、つい『お通夜授業』になるのが嫌で、ソースやマヨの味付けにこだわってしまっていた。たこを入れるのを忘れていた。いや、入れたつもりになって、生徒にとっては、どれがたこかわからなかったのかもしれない。

彼女は、にっこりと笑って、言った。

「たこは、噛めば噛むほど味が出るもんや」

5、最初からはうまくいかない

…次の日、ウチは、教員室に入った。昨日、少し飲み過ぎたかな。人のカネだと思って、つい飲み過ぎた。あいつ、ウチがちょっとアドバイスしたら、「たこっすね、たこが大事っすよね!」と吹っ切れた感じでたこ焼きをおかわりしよったから、まあ大丈夫やろ。大将も、しれっと2皿目はちゃんとたこを入れてくれたしな…。

「どや、うまく話せたか?」

塾長が、ウチを見るなりそう言った。ウチはぐっと「いいね」サイン。塾長は大袈裟に「ほっとした」素振り。幼児番組の着ぐるみか!

「よかったあ、あいつ、関東からこっち来た割に、笑いのセンスはええねんから、ここでやめてほしくなかったんや。あんがとさん」

塾長はウチからレシートを受け取ると、昨日の分の支払い額に、少しボーナス分をのっけて払ってくれた。そう、ウチは塾長から密かに頼まれて、あいつを大将の居酒屋に誘ったんや。

「ワイが言うと、どうしても上から目線になるしな。あいつもプライドがあるさかい、君みたいな先輩から言われたほうがええやろ。いつもの大将のところで『たこ無したこ焼き作戦』や。君に頼んで正解やったで!」

「ま、最初からうまくいくわけないんで、ええ薬でしょ。最近、伸び悩んでいるようやったしね」

「君も『たこ無したこ焼き』を食ったんやったっけ?」

「なんや塾長、覚えてへんの。ウチはよう覚えてるわ。あんときは何やこいつ、ウチに気があるんか、まあタダ食いして帰ったろと思たら、『たこや、たこが大事やねん』を100回くらい連呼して、『サビが大事や』と言って、長渕の歌を熱唱したやろ。大将、目を丸くしとったで。ほんでさっと帰っていったから、おもろい塾長やな、と思ったんや」

「ワイは愛妻家やからな。バイトに手を出すなどようせんわ。なんやその顔、…恐妻家ちゃうで!」

「ほらほら、あいつ、来よったで。心なしか、表情が晴れ晴れしとるやん。たこ入れてきたんかな? ま、1回言うただけでできたら世話ないわ。何度も試行錯誤して、失敗して、ええ授業を作っていければええな」

「たこが大事やねん」

「もうええわ!」

6、あとがき

…ナンチャッテ関西弁で創作してみました。関西弁が入ると、ボケとツッコミで終わらなあかんのかいな、と思って、こんなオチになりました。怪しい関西弁の記事になってしまいましたが、どうぞご容赦のほどを…。

「ラジオ焼き」については、タケさんのブログをご参照ください↓。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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