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芥川龍之介の小説『神神の微笑』
光瀬龍の小説『百億の昼と千億の夜』
「龍」のつく二人の作家が、
世界の宗教、教え、その解釈について
小説という形をとって、書いています。

本記事ではこの二作品を紹介しつつ、
日本文化の一断面を紹介していきます。

『神神の微笑』の主人公は、
宣教師でカトリック司祭のオルガンティノ
「宇留岸伴天連(うるがんばてれん)」と
多くの日本人から慕われ、
30年を京都で過ごした実在の人物です。

1570年に来日し、1609年に長崎で死去。

最後の将軍、足利義昭が
織田信長に追い出されたのが1573年で、
ご存知、関ヶ原の戦いは1600年。
時はまさに戦国時代です。信長・秀吉・家康。
彼は、その激動の時代の日本において
キリスト教を布教していたのでした。

しかし、作中の彼は、悩んでいます。
何だかこの島国には、
キリスト教的な精神とは違うものがある…?

そこに現れる老人(の幻視)!
老人は、オルガンティノに向かって言う。

(ここから引用)

『我々の力と云うのは、
破壊する力ではありません。
造り変える力なのです。』

(引用終わり)

老人曰く、ただ帰依した、というだけなら
(当時の)日本人の多くはすでに
仏教に帰依している。

しかし(キリスト教のような)
「破壊する力」ではなくて、
「造り変える力」を持っているがゆえに、
仏教そのもの、というよりは
うまく「造り変えて」取り込んでいる。

…キリスト教もそうなるのではないか?
現に、そうなっているのではないか?
日本においては、そうなるのだ。
そのように老人は、宣教師オルガンティノを
諭していくのです。

この作品において興味深いのは、
「破壊する力」と「造り変える力」とを
芥川龍之介が対比させている
ところ。

確かに世界史的に見ても、
キリスト教を基調とした西洋文明は、
その教えに染まらない
それまでの世界を「破壊」しようとする
側面を持っていた
ように思います。
合理主義。人間中心主義。
最新の技術と武器…。

そもそもヨーロッパの宣教師たちが
はるばる極東の日本までやってきたのも、
16世紀のヨーロッパで起こった
「宗教改革」に起因していまして。

「これまでの教えはイゴイナ(否)だ」の
ルターの宗教改革。1517年~。
これによって、いわゆる
「プロテスタント」と呼ばれる新教徒が
ヨーロッパで増えていきます。

巻き返しを図る「カトリック」側は、
大航海時代の流れに乗って
ヨーロッパから世界へと飛び出します。
日本でも有名な「ザビエル」
イエズス会の創立メンバーの一人ですが、
この会はプロテスタントの拡大に対する
カトリックの「防波堤」になることを
目標の一つとして持っていたのです。

つまり、キリスト教世界の内部での
「戦い」の中から生まれたのが、
世界各地に布教する宣教師たち…。


オルガンティノも、この系譜に属します。

彼は、明るい性格、魅力的な人柄。
パンの代わりに米を食べ、
仏僧のような着物を着ていたそうです。
そう、彼自身もまた「適応」していた。
…言わば日本の「造り変える力」によって
既に無意識に自分を造り変えていた
のかもしれません。

ここで、視点を変えてみましょう。
日本以外の他の地域ではどうだったのか?

南北アメリカ大陸では、
コンキスタドール(征服者)と呼ばれる
スペイン人たちの「征服」が行われました。
インカ帝国、滅亡。

東南アジアでも、例えばフィリピンは
16世紀にスペインの植民地となっています。
フィリピンの名は、当時の皇太子である
(後の国王)フェリペの名が由来です。

宣教師とセットで軍隊や商人が
武器を持って海外へ渡っていく。
現地の実力者を取り込む。倒す。支配する。
その後の精神的なケアは宣教師が行う。
キリスト教を布教して、広める。
コンキスタドール。征服者としての側面です。

…しかし、日本はそこまではされなかった。

もちろん、ヨーロッパから遠いという
地理的な条件があったり、
戦国時代で戦闘力が強かったという
歴史的な条件があったりした。
しかし、ヨーロッパからの距離はさほど
変わらないフィリピンは支配されました。
日本は、支配されなかった。

そこには芥川龍之介が作中で表現した
「造り変える力」が大きく作用したように、
私には思われるのです。
じきに秀吉や江戸幕府により、
キリスト教は弾圧されます。
いわゆる「鎖国」政策の中、
キリスト教の影響は失われていきます。


同じく異郷から導入された仏教は
長い時間をかけて、
例えば「神仏習合」に見られるように
うまく「造り変えた」日本なのですが、

キリスト教は、その「破壊する」側面が
あったがゆえに、
(支配者である江戸幕府に)
警戒され、拒否された、
そのように私には感じられるのです。

…ただ、この状況は、
江戸時代の終焉とともに一変します。
明治維新。文明開化。欧米文化の流入!
一転して、キリスト教を受け入れる。
同時に、キリスト教的なものが内包する
「破壊する力」をも、受け入れた。

明治新政府は「富国強兵」政策を採り、
あたかも大航海時代に宣教師たちが
海外布教に乗り出したように
海外へと積極的に出ていく…。

「植民地獲得競争」「帝国主義」
さまざまな呼び名はありますが、
この傾向は、第二次世界大戦の
終了まで続いていきますよね。
…日本流に「造り変えた」形で。

そして、芥川龍之介は、まさに
この時代のど真ん中に生きていた人。
1892年~1927年。

彼は、あえて戦国時代の宣教師
オルガンティノに仮託し、
「小説」という形で、造り変える力を
解き明かしていこう
、と
思ったのではないでしょうか?

大正五年から昭和二年にかけて、
彼は「キリシタン物」と呼ばれる
キリスト教に題材をとった作品を
たくさん世に出しています。
『神々の微笑』も、そのうちの一つ。
大正十年(1921年)の作品、なのです。

では最後に、もう一つ作品を紹介して、
まとめましょう。

芥川は「過去」を小説の舞台にしましたが、
「過去から未来まで」を幅広く舞台にして
「造り変える力」や「破壊する力」について
小説で考察、分析しようとした人がいる。

それが、SF作家の光瀬龍です。
1928年~1999年。

彼の作品『百億の昼と千億の夜』では、
仏教の「阿修羅王」や
キリスト教の「ナザレのイエス」たちが登場、
神話的な闘争を展開していきます。
何と言うか、もう、壮大過ぎるスケール…!
(もちろんサイエンス・フィクションとして
この作品は、日本的なSF、という感じです。

なお、この作品は、萩尾望都さんの手により
漫画化
され、週刊少年チャンピオンで
連載もされています。1977年~。
単行本、漫画文庫にもなって世に出ています。
原作を「造り変えて」いる面もあるのですが、
そこがまた、良い。
優れたクリエイター同士の相乗効果!

もし、ご興味のある方は、ぜひご一読を。

※大航海時代あたりのスペインについては
こちらの記事もぜひ↓

『スペイン無双の栄光、太陽の沈まぬ国』

『鉄砲と、キリスト教と、フィリピンと』

日本史における
開化と閉漬についてはこちらを
『開化と閉漬 ~チェンジとピクルス~』↓

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