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芥川之介の小説『神神の微笑』
光瀬の小説『百億の昼と千億の夜』

どちらも「龍」がつく二人の作家が、
世界の宗教、教え、その解釈について
「小説」という形で書いています。

本記事ではこの二作品を紹介しつつ、
日本文化の一断面を紹介していきましょう。

『神神の微笑』の主人公は、
宣教師でカトリック司祭である
オルガンティノです。
「宇留岸伴天連(うるがんばてれん)」と
多くの日本人から慕われた実在の人物。

1570年に来日、1609年に長崎で死去。

最後の将軍、足利義昭が
織田信長に追い出されたのが1573年です。
ご存知「関ヶ原の戦い」は1600年。
時はまさに戦国時代です。
信長・秀吉・家康。
彼は、その激動の時代の日本において
キリスト教を布教していたのでした。

しかし、作中の彼は悩みます。
何だかこの島国には、
キリスト教的な精神とは違うものがある?

そこに現れる老人(の幻視)!
老人は、オルガンティノに向かってこう言う。

(ここから引用)

『我々の力と云うのは、
破壊する力ではありません。
造り変える力なのです。』

(引用終わり)

老人曰く、ただ帰依したというだけなら
(当時の)日本人の多くは
すでに仏教に帰依している。

しかし(キリスト教のような)
「破壊する力」ではなく、
「造り変える力」を持っているがゆえに、
仏教そのものに帰依しているのではなく
うまく「造り変えて」取り込んでいる。

…キリスト教もそうなるのではないか?
現に、そうなっているのでは?
日本においては、そうなるのだ。
そのように老人は宣教師オルガンティノを
諭していくのです。

この作品において興味深いのは、
「破壊する力」と「造り変える力」とを
芥川龍之介が対比させているところ。


確かに世界史的に見ても、
キリスト教を基調とした西洋文明には、
その教えに染まらないそれまでの世界を
「破壊」しようとする側面を
持っていたように思います。

合理主義。人間中心主義。
最新の技術と武器…。


そもそもヨーロッパの宣教師たちが
極東の日本までやってきたのも、
16世紀のヨーロッパで起こった
「宗教改革」に起因している。

「これまでの教えはイゴイナ(否)だ」
1517年~ ルターの宗教改革!
この事件によって、いわゆる
プロテスタントと呼ばれる新教徒が
ヨーロッパで増えていくのです。

巻き返しを図るカトリック側は、
「大航海時代」の流れに乗って
ヨーロッパから世界へと飛び出します。
日本でも有名な「ザビエル」は
イエズス会の創立メンバーの一人。
この会はプロテスタントの拡大に対する
カトリック側の防波堤になることを
目標の一つとして持っていた。


…つまり、キリスト教世界の内部での
「戦い」の中から生まれたのが、
世界各地に布教していった宣教師たち。

オルガンティノも、この系譜に属します。

彼は明るく、魅力的な人柄でした。
パンの代わりに米を食べ、
仏僧のような着物を着ていたそうです。
そう、彼自身もまた「適応」していた。

…言わば日本に来て、
日本の「造り変える力」に触れることで
無意識に自分を
造り変えていたのかもしれません。


ここで、視点を変えてみましょう。
日本以外の他の地域ではどうか?

南北アメリカ大陸では、
コンキスタドール(征服者)と呼ばれる
スペイン人たちの「征服」が行われました。
インカ帝国が滅亡した。
東南アジアでも、例えばフィリピンは
16世紀にスペインの植民地となった。
フィリピンの名は、当時の皇太子である
(後の国王)フェリペの名が由来です。

宣教師とセットで軍隊や商人が
武器を持って海外へ渡っていく!

現地の実力者を取り込み、倒し、支配する。
その後の精神的なケアは宣教師が行う。
キリスト教を広める。
コンキスタドール。
征服者としての側面がありました。

…しかし、日本はそこまではされなかった。

もちろん、ヨーロッパから遠いという
地理的な条件があったり、
戦国時代で戦闘力が強かったという
歴史的な事情があったでしょう。
しかし、ヨーロッパからの距離はさほど
変わらないフィリピンは支配され、
日本は支配されなかった。

そこには、芥川龍之介が作中で表現した
「造り変える力」が
大きく作用したように私には思われる。


じきに秀吉や江戸幕府により、
キリスト教は弾圧されます。
いわゆる「鎖国」政策の中で
キリスト教の影響は失われていきます。

同じく異郷から導入された仏教は
長い時間をかけて、例えば
神仏習合に見られるように
うまく「造り変えられた」。

キリスト教は、
破壊する側面があったがゆえに、
(支配者である江戸幕府に)
警戒され「拒否された」。

そのように私には感じられるのです。

…ただ、この状況は、
江戸時代の終焉とともに一変します。
明治維新。文明開化。
一転して日本はキリスト教を受け入れる。
同時に、キリスト教的なものが内包する
「破壊する力」をも受け入れていった。


明治新政府は「富国強兵」政策を採ります。

あたかも大航海時代に宣教師たちが
海外布教に乗り出したように、
海外へと積極的に出ていく…。
「植民地獲得競争」「帝国主義」
さまざまな呼び名はありますが、
この傾向は、第二次世界大戦の
終了まで続いていく。

…日本流に「造り変えた」形で。

そして、芥川龍之介は、まさに
この時代のど真ん中に生きていた人です。
1892年~1927年。

当時の彼は、あえて日本の過去である
「戦国時代」の宣教師として生きた
異邦人のオルガンティノに仮託して、
小説という表現で
日本の「造り変える力」とは何かを
解き明かしていこう…と
思ったのではないか?

大正五年から昭和二年にかけて、
彼は「キリシタン物」と呼ばれる
キリスト教に題材をとった作品を
世に出しています。
『神々の微笑』もそのうちの一つ。
大正十年(1921年)の作品なのです。

では最後に、もう一つの作品を紹介して、
本記事をまとめましょう。

芥川は過去を小説の舞台にしましたが、
「過去から未来まで」を幅広く舞台にして
「造り変える力」や「破壊する力」について
小説で考察、分析しよう、とした人がいる。


それが、SF作家の光瀬龍です。
1928年~1999年。

彼の『百億の昼と千億の夜』の中では
仏教の「阿修羅王」や
キリスト教の「ナザレのイエス」たちが登場。
神話的な闘争を展開します。
もう、壮大過ぎるスケール…!
この作品は、日本的なSF、という感じです。

なお、この作品は、萩尾望都さんの手によって
漫画化され、週刊少年チャンピオンで
連載もされています。1977年~。
単行本、漫画文庫にもなり、世に出ている。

原作を「造り変えて」いる面もあるのですが、
そこがまた、良い。
優れたクリエイター同士の相乗効果…!

もし、ご興味のある方は、ぜひご一読を。

本記事は以前に書いた記事のリライトです↓
『神神の微笑・百億の昼と千億の夜』

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