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ダウン症児を産んで「不幸になった」と思った訳

前回の記事では、ダウン症児を産んでから7年後に思うことについて書きました。
不幸自慢をするわけではないのですが、7年前の出産当時、病室のベッドに潜って、1時間に一箱のペースでティッシュを使うくらいに泣いたのは事実です。(今では微笑ましい思い出です)

私は不妊治療もしていたし、流産も経験していたので、初めての妊娠出産に対して期待度が高かったのも事実。バースプランも綿密に立て、出産したらクリニックで旦那さんとディナーを食べ、赤ちゃんと共にニコニコで過ごすのが理想でした。

ところが妊娠中に羊水過多症という合併症になり、大学病院に転院になりました。 食事も簡素だし、4人用の病室も狭く、個室は重病人が優先なのか使えませんでした(大学病院でダウン症の子を出産するのは割と軽症?なパターンだったのかもしれません)。「ご出産おめでとうございます」と言われても、心の中は複雑。「ダウン症だし、心臓に穴も空いている」。「母子共にに健康ですなんて、とてもじゃないけど言えない」と、ベッドのカーテンを閉めてずっと泣いていました。(ダウン症児のお母さんあるあるです)

ダウン症の子を産んでも、2〜3日で「それでも赤ちゃんがかわいい!」と受容できる方もいますが、私にはそれができませんでした。ここで、「すぐに受容できる方」を否定したい訳ではありません。1000人いたら、1000通りの考え方があるので、どの考えが良いとか悪いとかではないと思っています。(みんな違ってみんな良い!)

私の場合はダウン症の子を産んでも、すぐに受容できるタイプではありませんでした。そして、産んですぐに「赤ちゃんがかわいい」と思えないタイプです。今では3児の母ですが、2人目、3人目の時も「かわいい」と思えませんでした。(この話をすると、「わかる!わかる!」と同意してれるお母さんが結構います)
3人出産して分かったのですが、ホルモンのオキシトシンのせいかなのか、「必死で育てなくては!」という気持ちが優先して、かわいいと思う余裕が後から出てくるタイプのようです。
生後2ヶ月くらい経って、赤ちゃんが笑うようになってから「かわいい」と思えるようになり、そこからじわじわと、かわいい!となり、私にとっては3歳くらいが「かわいい」のピークです。(3人産んでいますが、ダウン症の有無を問わず3人ともそうでした。)

このようにして、2ヶ月くらい経って「赤ちゃんがかわいい」と思うようになってくるのですが、「それだけではダウン症の子は育てられない」と思っていたのも事実です。前回も書きましたが、当時はこんなふうに思っていました。

  • 不幸になった

  • 人生終わった

  • 親や親戚、周りの人に申し訳ない

  • 恥ずかしい

  • どこにも行けない

  • 自分の時間がなくなる

  • 私には育てられない

  • 大変そうで無理

  • 私のせいでこんなことになった

  • お金がかかるから育てられない

たくさんあるのですが、今回は最も感じる人が多そうな「不幸になった」について書きたいと思います。

まず、当時の私は「人から幸せそうに見えることが幸せ」だと本気で思っていました。他にも、「家を建てたら幸せになれる」とか「子供が大学に行ったら幸せ」とか、「結婚できたら幸せ」、「子供が生まれたら幸せ」だと思ってました。一般的に世間で「○○になったら幸せ」だと言われていることを、自分に当てはめて考えていました。幸せの軸が、自分の外にあったのです。「ダウン症の子は将来大学に行けないし、幸せそうに見えないから、幸せになれない」なんて思っていました。(ダウン症があっても大学に行っている人もいます。ダウン症があっても幸せな人はたくさんいます。大学に行く=幸せとも限りません)

けれど、7年経った今「幸せは自分が決める」という、割と単純なことに気づきました。自分も家族もそれなりに健康で、健康が確保できる住まいがあって、清潔な服があって、美味しいものを食べることができて、好きな趣味ができる、書いていたらキリがないのですが、私にとっては小さい幸せを積み重ねることができればそれでよかったのです。

そのため、娘がダウン症だからといって、不幸になる訳ではありませんでした。もしかしたら、「あの人、ダウン症のお子さんがいるから大変そうだ、かわいそうだ」と思っている人もいるかもしれません。だからといって、その人の考えを変えられる訳でもないし、もしそう思われたとしても私が不幸になる訳ではありません。「自分が幸せだと思っていれば、他人からどう思われても良い」ということに気づきました。幸せの軸を自分の中におけば良いだけでした。

とは言っても「知的障害のあるダウン症の子を育てるのは大変でしょ?」と思う方もいるかもしれません。正直言って、7歳でもオムツをしていますし、食事も着替えも介助が必要です。日常生活において、大変じゃないというと嘘になります。でも「大変=不幸」という訳ではないと思うのです。

仮に、数学に例えて「大変=不幸」という公式が正しいとしたら、世の中の大変な人達がみんな不幸になってしまいます。例えば、スポーツをしている人は、毎日トレーニングをしなきゃいけないので大変だと思うし、看護師さんも常に動いていて大変そうだし、、大変でも当たり前のようにやっている人が大勢います。小さい子供を育てる人達や、介護をしている人たちがみんな不幸ではないのと同じように、ダウン症の子を育てる人たちがみんな不幸とも限らないのです。

難しい問題ですが、「出生前診断をして陽性になると99%の方が中絶を選ぶ現実はどう思う?不幸になりたくないからみんな中絶するのでは?」という考えもあると思います。

ダウン症を持って生まれてくると、個人差はあるものの、心臓疾患や内臓の合併症などがあったり、発達の遅れや知的障害のある人も多いです。事前に大変なことは避けたいと思うのも、人間の本質だと思います。それはそれで、仕方のないことだと思いますが、「事前に大変なことを避けたいと思う=不幸になるのを避ける」という公式も間違いだと思います。みんな、事前に大変になるのを避けているのであって、不幸になるのを避けている訳ではないと思います。

ここでは、出生前診断を否定している訳でも擁護している訳でもありません。個人の判断で決めれば良いことだと思います。でも、私個人の考えとしては、出生前診断の結果、中絶してしまうのは勿体無いと思っています。40年くらい前は、今より医療技術が発達していなかったため、心臓の手術ができずダウン症の方も短命だったので、生まれる前に諦める人が多かったのも理解できます。ただ、現在は医療技術も科学技術も、そて福祉も発達し、障がいのある方でも生きやすい世の中になってきています。7年間ダウン症の子を育ててきて、それなりに困りごと(オムツ替えや介助)はあるものの、だんだんとそれが当たり前だと感じるようになるし、不幸だと感じたことは一度もありません。それくらい人権が擁護される世の中になってきていると実感しています。

私には3人子供がおりますが、ダウン症の子も、ダウン症でない子も、両方の子を育てられることは、贅沢だと思っています。それぞれ個性のある子供達で、大変だけれど笑いの絶えない日々を過ごしています。

ダウン症のお子さんを産んだご家族の方や、その周りの方々もどうか安心して子育てを楽しんで欲しいです。考え方次第で、大変だけれど、やりがいがあって幸せな日々をきっと過ごせると私は思います。



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