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なんで紙切れを1万円だと僕たちは信じているのか?とBitCoinが上がり続ける理論的な理由について考える

ビットコインで数百億円を手に入れた人の話

先日ハワイに行ったときに、友人に不動産屋さんを紹介してもらって、ホノルルのハワード・ヒューズによる大規模開発物件を見て回りました。日本人は、投資の表舞台から消えたと世間では言われていますが、ハワイに関してはそんなことはなく、僕が見せていただいた物件の最上階のペントハウスは、日本円でいうと100億円まではいかない数十億円の物件だったのですが、キャッシュで日本人の方が買われたとのことでした。

ちなみにどんなご職業の方ですかと、興味本位で聞いてみたところ、暗号通貨、いわゆる仮想通貨で文字通りひと山当てた方で、なんでも、ビットコインが1ビット数千円だった時代に、8,000万円分突っ込んで、それが数百万円になり、数百億円の資産を作られ、それを運用されている方だと伺いました。

そもそも、8,000万円を当時まだなんだかわからないビットコインにベットできる勇気もすごいですし、そもそも、余剰資金から、8,000万円を出せるってその時点ですでにそれなりのお金持ちだったんだろなと聞いてて思いました。

紙切れの価値: 法定通貨の不思議 紙切れが1万円札なのはなぜか?

そんなビットコイン価格は、先日1,000万円を超えました。僕は、残念ながらビットコインの高騰にあやかることはできませんでしたが、おそらく、ビットコインの価値は、激しく上下はするものの、上昇を続けていくのではないかと僕自身は思っています。そして、価値が上昇し続けているせいで、法定通貨に変わる決済手段として一般化することは考えられないと思いますが、ここまでくると、ビットコインの建付けから考えると、理論上、価値はあがり続けるしかないという結論にいたります。

それはなぜか、という疑問に答える前に、そもそも、法定通貨の成り立ちから追っていかなければなりません。

ビットコインなんて価値がないと思う人たちがたくさんいる人が一方で、僕たちは、日本の中央銀行である日本銀行が刷った紙切れを1万円札として扱っています。

1万円札の製造原価は約19円です。20円に満たない紙を500倍の価値のあるものだと僕たちは信じて疑いません。おそらく、主張としてお金に振り回されないという意味で金なんてどうでもいいという人はいても、1万円札に1万円の価値があることを疑う人はほとんどいないのではないでしょうか?

では、そもそも、僕たちは、なぜ、20円で作られた紙切れを1万円だと信じているのでしょうか?

僕たちが大学の経済学で習ったのは、「みんなが紙切れに1万円の価値があると信じる理由は、みんながその紙切れに1万円の価値があると信じて使っているから」という自己循環論法でした。美術館に飾られている絵を見て、この絵はなんで価値があるのですか?という質問に「この絵は価値があるから、美術館に展示されている。そして、美術館に展示されているから、この絵は価値がある。」と回答されているようです。

これを聞いたときに、結局、質問に答えてないじゃんと思いました。でも、これが、教科書に載っている「商品貨幣論」というやつです。お金自体には価値がないかもしれませんが、それを使う社会全体が価値を認めているから、お金として機能するのです。本来価値がないのに、なんで、社会全体が認めてるのと聞いているのに、事実としてそうだからそうなんですというなんとも納得感のない説明ですよね。

お金の歴史

近年では、さすがにこれじゃ説明にならんだろと思ったのかどうかわかりませんが、他の貨幣論が出てきています。

が、その前に、お金の歴史をおさらいしてみましょう。

貨幣がない太古の昔は、物々交換が主流でした。たとえば、リンゴを持っている人が魚を欲しいと思った場合、リンゴと魚を直接交換していました。しかしこの方法には大きな問題があります。必ずしもお互いが必要としている物を持っているとは限らないため、交換が成立しないことが多々ありました。

この問題を解決するため、人々は普遍的な価値を持つ何かを交換の媒介として使うようになりました。初めは貝殻や石、塩などが使われていましたが、次第に金や銀のような希少性の高い貴金属で作られた硬貨広く用いられるようになりました。これらの硬貨は、希少性のある金属で作れられているので、当然価値が認めらていることに疑問はありません。

貴金属で作られている硬貨は、持ち運びに適していません。なにより、重いです。そこで、金属でと交換できる紙を取引の代わりに使うことにしました。ただの紙ではなく、発行体(主に国)に要求すれば、金や銀に交換してもらえる紙が紙幣として流通するようになります。日本でいうと、日本銀行兌換銀券という銀に交換できる紙幣ができ、その後、日本銀行兌換金券という金に交換できる紙幣に変わります。(これを兌換紙幣といいます)

その頃、日本のみならず、世界中の国で、金と交換できる紙幣を発行していました。金は、人口では作り出すことはできず、現在世界中にある金を全部集めても、オリンピックのプール3杯〜4杯分の量と言われています。採掘可能な金は、5万トン〜7万トンと言われていますが、7万トンであったとしても、プール1.5杯分しかありません。そういう意味で、金の希少性は、揺るぎないものです。

金の価値は世界共通なので、金と交換できる兌換紙幣は、違う国の間でも、価値の比較が簡単にでき、異なる通貨間での貿易の決済にも使えるという利便性の高いものでした。とはいえ、あくまで、取引のメインは金そのもので行われ、兌換紙幣で取引したとしても、それは、あくまで引換券として。結果、現物の金に交換して、売り手は金を手にするとことでした。

発行体(主に国)は、金を保管しておき、それを上限として紙幣を発行していました。これを金本位制といいますが、このときの紙幣は、要は、金の預り証ですね。紙幣を国に持っていくと金に交換できるので、この紙幣は、交換できる金と同じ価値を持ってます。ふむふむ、これは納得感ありますよね。

ここから少し怪しくなってきます。

金本位制を各国がやめはじめます。理由は、第1次世界対戦と世界恐慌です。武器を仕入れるのに、金が海外に流出することで、国が持っている金の量が減り、紙幣が発行できなくなってしまったのです。そこで、金と交換できる紙幣の発行をやめ、金と関係ない紙幣へと移行します。(管理通貨制度)

要するに、「もう、金と交換できないものだから、ただの紙切れだけど、この紙幣には引き続き価値がありますよー。」と政府が宣言したということです。金と交換される必要がないということは、手元に金がなくても、紙幣をいくらでも発行することができるということになります。

先程の商品貨幣理論だと、「価値のある金と交換することはできなくなったけど、引き続き価値があるのかー」とみんなが信じたので、そのままお金として価値を持ってるんですという説明。納得いきますか?

その後、かつては各国が金本位制だったところから、金と交換ともできず、保有している金の量とも関係なく発行できる管理通貨制度に移行するのですが、これだと、貿易をするときに、通貨を使って取引がしづらいです。となると、結局、各国通貨で金を購入して、金で取引するしかなくなってしまうので、貿易がちゃんとできるように、世界の新通貨体制を、ドル金本位体制をベースに作り、これがブレトンウッズ体制と言われるのですが・・・・それも崩れて・・・最終的には、どこの国も持っている金の量とは関係なく通貨を発行できて、金とも交換できない紙幣を刷る管理通貨制度になります。

ここではそのへんの流れは、割愛します。気になる方は、高校の教科書とか読見直すといいと思います。

一旦歴史まとめ

世界で希少価値が認められてる金を使ってみんな取引をするようになって、金の代わりの引換券=兌換券を紙幣という紙で発行して、金の代わりにそれをやり取りした。紙幣=金の価値だったから、紙でも価値があった。もちろん、発行体がちゃんと金に交換してくれるという信用があったことはもちろん前提ですが。

ところが、金の保有量が少なくなった国から、紙幣発行できないということになってきて、金との交換とかなくして、「ただの紙切れだけど、価値ある紙だと思ってくれい」と政府が宣言して、金と交換できない紙幣に移行した。

で、みんな信じた。って、なんで?ってなりません?

じゃ、なんで金と交換もできない紙幣に価値を認めてるの?

ここで出てくる理論が、租税貨幣論です。

他に、貨幣の成立を別の角度から説明するものとして、信用貨幣論もあり、租税貨幣論とともに、現代貨幣理論通称MMTの基盤となっていますが、MMTの話までしてしまうと、今回の議論から外れるので、基盤にあたる租税貨幣論について話しましょう。

租税貨幣論とは、「お金の価値が国家による法定通貨の地位付けと税徴収の必要性から来るもの」と考えるものです。簡単に言うと、国家がこの紙切れ=円を法定通貨ですよと宣言して、税金を払うときには、この紙切れ=円でしか払えないようにしていて、税金を払わなければ、国家権力で罰則を与えるから、みんなこの紙切れを手に入れようとする=みんなが手に入れようとするということは、価値がでるというものです。

モズラーの名刺の寓話

このことをもっとわかりやすく説明するために、MMTの支持者である経済学者、ウォーレン・モズラーの寓話を紹介します。正確に覚えていないので、独自アレンジしています。

父親と2人の息子がいる家庭の中で、父親が子どもたちに、特定の家事を手伝ったら、1回につき1枚名刺をあげようと提案します。子供たちは、名刺なんかいらないので、家事をしたくないといいますが、父親は、毎月月末に、かならず、4枚の名刺をもってくるように言います。もし、3枚の名刺を持ってこられなければ、足りない名刺一枚につき、子供たちが楽しみにしている週1回のおやつのケーキを1回なしにするという罰を与えると伝えます。

子どもたちは、名刺を獲得しないと楽しみにしているおやつのケーキが食べられなくなるので、指定された家事をやりますが、ある月、弟は、家事を6回手伝い、名刺を6枚持っており、サボり癖のある兄は、2回しか家事をやっておらず、名刺を3枚しか持っていません。

そこで、兄は、弟に提案をします。お前の宿題を俺が代わりにやってやるから、名刺を2枚くれないかと。弟は言います。宿題をやってくれるなら、名刺を上げてもいいけど、1回につき、名刺1枚じゃないと受け入れない。宿題を2回やってくれたら、名刺を2枚渡そうと。兄は足元をみられ、交渉のうまい弟の提案を了承します。

これが、ちょっとアレンジしましたが、モズラーの名刺の寓話です。

父親は政府、子どもたちは、国民、月末に徴収されるのは税金、そして、名刺が紙幣です。紙幣には本来価値はありませんが、子供たちの間では、宿題1回分の労働の対価と等しい価値のある通貨として成り立っています。

これが、租税貨幣論です。

最初に述べた商品貨幣論において、「みんなが価値を信じているから、価値がある」というのは、完全に否定するものではなく、考えてみれば、確かに今の状態はそうなんだろうなと思います。ですが、きっかけもなく、いきなり、その自己循環状態に入るというのは、納得が行きませんでした。租税貨幣論は、そのきっかけを説明せてくれているのだと僕は理解しています。
徴税ができる唯一の法定通貨としての価値を裏付ける、それがきっかけで、みんなが勝ちがあるものと認識するようになり、今では、あまりにも当たり前過ぎて、税金を支払うことができる唯一の法定通貨だからということは意識しなくなっているのだろうと思います。すっきりしましたよね。

ビットコインの成り立ち

ずいぶん、遠回りをしているようですが、やっとビットコインに戻ってきました。

ビットコインは、世界初の仮想通貨(暗号資産)で、サトシ・ナカモトという匿名の個人もしくは集団が、政府から通貨発行を切り離して、中央集権ではない自走式の通貨を目指して考えられたものです。

僕が思うには、おそらく、政府ではなく、民間が主体となって、自由に通貨が発行されるべきという「貨幣発行自由化論」に端を発したもので、金本位制から管理通貨制度になったことで、通貨の発行が制限されなくなり、各国の通貨の価値は下がり続け、インフレが起こり続けることを懸念し、インフレが起こらない仕組みを考えたのではないでしょうか。

金本位制のときには、通貨供給量は、保有している金の量と採掘される金の量制限されるため、インフレの懸念はありませんでした。金本位制が崩れた瞬間から、世界経済は永遠に続く、インフレの悩まされることになります。

そこで、設計されたビットコインは、ブロックチェーンという新しい自走システムではあるものの、ある種の金本位制への回帰に近い設計がされています。新規の通貨発行は、奇しくもマイニング=採掘によってなされ、そして、限りある資源である金と同様、通貨供給量には、2100万BTCという上限が予め設定されています。そのため、他の法定通貨がインフレを引き起こすのに対して、ビットコインの希少性は担保されているので、対法定通貨での価値が上がり続けるのは、構造上、当然と言えるでしょう。それは、採掘量に制限があ利、希少性が担保されている金の価格が上がり続けているのと同じことだからです。

そして、対法定通貨での価格の上昇のせいで、決済手段としては、普及しづらい事情もあります。ブロックチェーンの匿名性から、武器や麻薬などの違法取引には、残念ながら活用されているようです。この違法取引に利用される需要も、ビットコインの価格を上昇させる一因になっているのだと思います。

一般の貨幣としてはほとんど利用されていませんが、短期的には、乱高下はあるものの、中長期には、右肩上がりであることから、通貨ではなく、投機の対象にはなっており、仮想通貨ではなく、それが暗号資産と呼ばれる所以になっています。

繰り返しになりますが、そもそも、ビットコインの思想自体が、金本位制から、管理貨幣制度への移行によるインフレの回避から生まれた貨幣発行自由化論であるとするならば、ある種の金本位制の回帰を目指したものであり、管理貨幣制度の現代の法定通貨がインフレに向かい続ける限りは、インフレを起こさない設計になっているビットコインは、理論上、対法定通貨価値が上がり続けるというのが結論です。

ただ、通常の法定通貨のように、通貨としての認識ではなく、武器商人と海外の我々一般市民にとっては、あくまでも暗号「資産」としての価値なので、なにかのきっかけで崩壊することは十分にありえますので、運用資産をビットコインにオールインとかは間違ってもしないように。

将来の高騰にも乗っかれるようにETFをポートフォリオの一部で買っておくとか、もっと少ない額で、ミームコインとかを買っておくとかは、人それぞれなので、良いと思いますが。

ちなみに、ビットコインの利益は、今のところ、雑所得で総合課税ですが、ETFであれば、キャピタルゲイン課税なので、日本在住者が買うなら、ETFがおすすめです。

かくゆう僕も、少額でミームコインを持っていたりはします。まあ、宝くじのつもりですが。ビットコインとETHは、ミームコイン購入用にもっているくらいなんで、投資している額ではないですね。

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