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モノを減らしたら増えた私の価値

年の瀬が刻々と迫ってきているからか、止まることを知らない私の断捨離欲。

そもそもモノは少ない方の人間だし、物欲も成長欲も大してないけれど、それでも日々暮らしていれば少しずつ「もやっと」は溜まるもので。そんな私が、断捨離したい!モノを手放したい!と思うのは、『量や数を減らす』という目的ではなく、『今の自分に合ってないモノを手放す』という意味を持つんだということが、先月くらいから少しずつ少しずつ身の回りの色々なモノを手放したことでわかってきた。

ミニマリストとして生きることは、生きやすい暮らしを作るにあたって私にはものすごく効果的だったように思う。

そして、HSPの気質を持ち合わせている人には特に、この感覚をわかってもらえるのではないかと期待しているのだけれど、HSP気質の人は、普通の人が気にならないくらいの小さなことがものすごい刺激となり、知らぬまに自分の限りある少ないエネルギーを消耗しているというのはよく聞く話だ。外を歩いていればどこを歩いていても目に入るキラキラ光るお店の看板だったり、不安を煽りがちな広告の張り紙、誰かの怒る声や小さな溜め息、すれ違う人からさりげなく漂う香水の匂い。そんな小さな刺激でも、私たちの少ない少ないHPは知らぬまに消費されている。そしてこれに近い消耗は、自分の管理下にあるはずの家の中でも起きている。

家の中のものとよく会話をしている、というあやしい話を実はちょこちょこしているのだけれど、この感覚もわかる人が多いんじゃないかと思う。家の中にある「物」たちが今何を感じているのか、何を放っているのか、なんとなくわかってしまうこの感じ。それがわかってしまうがゆえに、「今使われてないもの」「昔は好きだったけど今は飽きられたもの」「あることそのものを忘れられているもの」「そもそもそんなに好かれてないもの」たちが発する気というものは、やはり正直いいものではない。

これは逆の立場でも同じだろう。自分が誰かに所有されているとして、そう思われた状態で気持ちよくそこに存在できるわけがない。

そしてそういうものが目に入ると、いや、家の中にあるというだけで、それらの気が心の錘となって、少しずつ少しずつ、生活に支障をきたしてくるのである。

前述した通り、数が多いということが問題なわけでは決してない。全部心から好きで手元に置いていたり、ひとつひとつ「持つ理由」が明確にあるものたちは、いくらあっても心が弾む。そしてその物たちもそれに喜んでいる。

しかし、人は変化するもので、同じ好みを永遠に持ち続けられる人も稀だし、季節やさまざまなバイオリズムによって持つ気・エネルギーが変わるのも当然のこと。となれば、身の周りの環境にも変化が必要で、入ってくるものがあれば出ていくものがあるのも考えてみれば当たり前。数年前に「これやばい!ちょー好み!」みたいな気持ちで買ったものが、「なんだか今は心が踊らないなあ、でもあの時は大好きだったのになあ…」みたいな罪悪感にも似た気持ちが湧き出てしまうのも仕方がない。

しかし、自分の心が喜ぶことがないモノを持ち続け、その物からも嫌われながら共に生きるより、その変化の流れに逆らうことなく、今の自分には合わないものを感謝しながら手放すことができれば、次のいいエネルギーを運んできてくれることに繋がるのも、理解ができる。

そんなわけで私は、今までにないくらいの断捨離を決行しよう!と心に決め、現在断捨離真っ最中というわけだ。

そして「今の自分とは合わないもの」たちを手放すことで、「今の自分がどうなのか」が明確になってくる感覚もわかってきた。

例えば、「高いものを長く使う」ということが大切だと思っていた2年前の私は、1着3万円を超えるワンピースを購入している。もちろんこれはずっと長く着ようと思って購入した1着ではあるのだけれど、好きだからといって頻繁に着ていればもちろん少しずつほつれてきてしまったり、色味が変わってきてしまったりするのは当然だ。そんな私は、ここぞという時にしかこのワンピースを着れなくなってくるのである。汚すのも怖くて(汚れたところでケアできる余裕もなかった)、結局気がつけばクローゼットの奥の方に眠らせてしまっていた。

そんな私がその時の考えと変わったのは、まず「高かろうが安かろうが、そもそも大事に使う」と思えるようになったこと。そして、高いものが良いもので安いものが悪いものという考えが当時の自分にあったことにも気づくことができた。

そして、やはりファッションにおいて少なからず「見栄」が影響してしまっていたことも否定できないし、3万円のワンピースを買えた自分という自己評価もどこかでしてしまっていたように思う。(その時はそんな自分に価値を感じたかったのだから仕方ない)

「大事に使う」ということの定義も、「何よりも手元に置いておく」ということから「ちゃんと使って寿命を全うさせてあげる」という定義に変わっていた。

こうして今回の断捨離で手放した物たちを見ていると、「高いから」という理由でちゃんと寿命を全うさせてあげられないまま手元にとりあえず置いてしまっていた物たちが多かったことに気づけたワケだ。そしてついでに分かったのは、特に洋服の断捨離に関しては、どれだけ見た目が好みでも「肌触りが心地よくないもの」「重量が重いもの」「締め付けが強いもの」「伸びない素材のもの」「シルエットが出やすいもの」「柄物」、そして「高価なもの」は、どれだけその瞬間心がときめいたとしてもほとんど1年ほどで手放すことになっているということにも気付くことができたのは大きな収穫だった。

こうして多くを手放すことで、「何かを持っている自分」だけに価値があるのではなく、持っている自分も持っていない自分も関係なく、自分は自分であり、そんな裸の自分の価値を素直に受け入れることができるようになったようにも思う。

年末に限らず、定期的に断捨離の習慣を取り入れる、というかそもそも断捨離を特別なこととしてではなく、毎日の暮らしの中に自然に「手放す思考」を入れ込んでいけるようにしていきたい。

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