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好きなことのためだとしても嫌なことはできない

以前友人が、わたしの夫に対して

「海人くん(夫)って、好きなことのためだったとしても
嫌だと思うことは絶対にできないタイプだよね。」

と言っていたのを聞いて、妙に納得したのを覚えている。

その友人曰く、世の中には『好きなことをするためなら嫌なことでも喜んでするタイプ』と、今回の夫のような『嫌だと思うことは、たとえ好きなことのためだとしても絶対にやりたくないタイプ』の2種類がいるという。

それを聞いて、その時に少しわたしの中で引っかかっていたことがスルスルっと解けたようだった。なぜならわたしもきっと夫と同じタイプで、後者の人間だったから。

わたしは常に夢を大きく描くタイプの人だった。当時のわたしは、今を否定して、もっと大きくなりたい、もっとかっこよく生きたいと思っていた節があったので、正直その夢の描き方は不幸せなものだったのだろうけど。(今は正直、夢を描いて未来を見るよりも、目の前の幸せを感じれるようになったので以前よりも幸せ度が上がったことは間違いない)

叶うか叶わないかくらいの大きな夢を描くことが得意だったわたしは、夢のためならなんでもしないと“いけない“と思っていた。好きなことをできるようになるためには、今どれだけ嫌な作業だとしてもやらないといけない、嫌な人と関わる必要があるとしてもその人が鍵を握るなら仲良くしないといけない、とか。正直、今もその感覚は完全には抜けてはいなくて、そのゴールに行きたいなら、途中の障害物は絶対に乗り越えないといけないと思ってしまう時も全くないわけじゃない。

そんな時にこの言葉を聞いて、ものすごい、大切なものが心の中にストンと落ちたのを感じた。

以前この本で、同じようなことが書いてあったのを思い出した。

「好きなことで生きていくより、嫌いなことして死なない。」

この本で惹かれたのは「年収90万円」という、お金の部分だったのが正直なところ。わたしもフリーランスとしてお仕事をしていると、体が動かなくなったり、何かあったら、どんな瞬間にも年収90万円どころか、年収0円になる可能性だって全くないわけじゃない。そんな不安な気持ちがチラついた時に読んでみたのがこの本だ。

そして「好きなこと」をして生きていくというところにフォーカスを当てて生きていくより、「嫌いなこと」をしないで死なないという、新しすぎる視点。今までの夢みがちだったわたしは、この「生きる」ために日々好きなこと探しに明け暮れていたけれど、「死なない」ために、嫌なことをただしないというどシンプルすぎる選択肢が、救ってくれたように思う。

幸せの形は千差万別。前者でも後者でも、自分にあったようにさえ生きれていれば、それは紛れもなく「幸せ」と呼んでいいものだし、そのまま生きていけばそれでいい。

ただ、これからの未来では

『 好きなことのために、好きなことしかしない 』

という選択肢が増えていくんじゃないかなと、個人的にはなんとなく予感している。

好きな未来のためには、嫌なことは一切することなく、好きな過程だけを選ぶことで、全く同じ未来にたどり着くという道。というか、その方が早く、確実に、行きたいところに行ける。風の時代だなんだと言われているのも、そういうことなのかもしれない。

今まではそもそも2択しか存在しない世界で、競って戦って、お互い良い悪いを明確に決めて我々人間は生きてきた。けれど、きっとその新しい世界というものは実は今もう目の前に広がっていて、この時代の変わり目となる今この時に、その道を思うがままに自由に進んでいけるかどうか、というだけの話なのだったりするのかもしれない。

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