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さよならをする時はいつも

お別れのために文を書く。

人が死ぬといつもそうだ。
八つの頃からそんなふうにして人の死を何度も越えてきた。
そこにはいつも文があった。

文はどんな姿にしても怒らない優しいやつだ。
歌にしたり、詩にしたりして、「かなしい」や「さびしい」を成型する。
ずっとそうやって息をしてきたから、大伯母の危篤の報を受けた夜もそうした。
そうしようと思う、というよりは、息をするのとほとんど同じように歌をよんだ

大叔母は数えの96の大往生で、死に目には会えなかったけれどそれでいい。
きっとそうなるだろうと思って、帰省する度に会いに行っては手をにぎり、あれこれと取り留めもないことをたくさん話した。

私をまだ七つのこどもだと思っている日もあれば、名前は懐かしい響きだけれど誰だったか思い出せない、ごめんなさいと謝られる日もあった。
認知症はだいぶ進んだものの、1度も声を荒らげることはなく、1度も暴力を振るうこともなかった。
最後の最後まで理性を手放さなかった強いひとだ。

向こうで少し肩の力を抜いてよく休んでね。
さようなら、おばさん。大好きだよ。

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