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【眠れぬ夜の妄想をショートショートにしてみた】ー香る君

「これ、壊しちゃった、ごめんなさい…」
差し出したのは二つに割れた湯呑。
「なんで謝ってんだ?」
「だって、いつも使ってるからお気に入りかと思って」
静かに湯呑を見つめる目線がゆっくりと動いていく。
「怪我は?」
「怪我?」
「洗ってるときに割れたんだろ?」
「うん」
「あっ、これは別件で…」
「別件?」
「たいしたことはないから…」
「そっ…詮索する気はないけど、消毒くらいしとけよ」
徐に立ち上がると、救急箱を取り出し、手際よく絆創膏を貼ってくれた。
「じゃぁ、行くか」
「どこに?」
「湯呑がないからな」
「わたしも行く」

クールというより
取っつきにくいような、
気難しそうな感じのする彼。
彼と言っても一方的にわたしが押しかけては
あれやこれやとしているうちに何となく受け入れられたような
そうでもないような不思議な関係。
猫みたい。
普段は凛として人を寄せ付けないのに
家にいる時はぼーっとしているというか、縁側でお茶を飲みながら本を読みながら寝ているのが趣味みたいなゆるい人。

はじめてあった時から
どうしてかいい匂いがする。
お人形さんのようなきれいな顔立ち。
それでいて射貫くような強い目。
何か達観しているというのか、おじいさん、いや、仙人?と突っ込みたくなるような価値観。
無口なようで実はよく話したりと
ギャップがありすぎて、
毎日、会いに行っても未だその正体は掴みきれていない。
わたしのことなんて気にもとめていないのか、それとも少しは気にかけてくれているのか…
嫌われてはいないのだろうけれど、
興味がないのか、奥手なのか…

まったく何もないふたり。

きっと、明日、わたしが彼に会いに行かなくても
彼の日常は変わらないのだろう。
わたしが居ようが居まいが関係がないのだ。

「決まったか?」
「あっ、これなんかどう?」
徐に
手にしていた湯呑をひょいと取り上げ、眺めている。
何でもいいととか言っている割には、
結構、吟味しているあたり、きっとあの湯呑もお気に入りだったのだろう。

ふいに彼がわたしの手をとった。
こちらが意図していない接触にわたしは大いに混乱してしまう。
えっ?何?どうゆうこと?
手が触れた!!!
一方的に相手に惚れてしまっているというのは厄介なものだ。
冷静さがなくなってしまう。
いかん。いかん。

「これ、少し、大きくない?」
わたしの手のひらには彼の手ではなくさっき選んだ湯呑が載っていた。

「やっぱり、こっちだな」
わたしの心情などおかまいなしに、棚の脇にあった他の湯呑を手にした彼。
「それ、戻しておいて」
とわたしを残し、歩いていく。
何だったんだ。
嵐が去ったような妙な安堵感がやってくる。
大きくてあったかい手。
あぁ、あの手をずっと握っていたい…。

「帰るぞ」
耳障りのいい声がわたしを呼んでいる。
とことん彼は罪作りな人だ。

「この商店街、色んなお店があるんだね」
「そうだな。大概は揃うな。あと、ここをまっすぐ抜けて、角を曲がると学校だ。楽だぞ」
「そうなの?」
「ああ。自転車だと5分だな」
「知らなかった…」
「ほぼ毎日来てるのにな」
「学校の正門からだと遠回りだったんだ…」
「お前の駅とは逆方向だからな」
「いいなぁ」
「じゃぁ、来れば」
「えっ?」
「二人は狭いか…」
「あの、それって、つまり、その…」
時々、彼はわたしの気持ちを取り乱すようなことを平気で言う。
「あっ、鯛焼き、食べる?ここのはうまい」
「鯛焼き?あっ、うん。食べたい」
なんだかうまいことはぐらかされたような気もしないでもない。
一体、こいつは何を考えてるんだ!
目まぐるしく思考が動いている。
何か求めているわけではない。
ただ、わたしが彼といたい。
それだけで、わたしは彼に何も伝えていない。
だから彼も何も伝えてくれない。
心地よいのに切ない。
近いのに寂しい。

「どうした?」
一体、どこまで彼はわたしの気持ちを知っているのだろう。
なんだか泣いてしまいたい。
「何でもないよ。お腹空いちゃった」
「食べる?」
「帰ってからでいいよ」
「緑茶だな」

静かな部屋にお湯の沸く音が響く。
この部屋は彼と同じくなんだかいい匂いがする。
落ち着く…。

「どうぞ」
鯛焼きとお茶がテーブルに置かれる。

「これ、わたしが使っていいの?」
「あぁ。俺のはこれ」
「あの時、わたしのを選んでくれたの」
「そうだけど、どうした?」
何だか泣いてしまった。
予想をしていなかったことにもう、頭がついてきていない。
嬉しいのか、驚いたショックなのか、もう言葉が出てこない。
かわりに涙が止まらない。
「気に入らなかった?」
反応が子どもだ。必死に涙をぬぐって首を横に振るしかできない。
何か発したら泣き崩れそうだ。

「わかんねーけど、気が済むまで泣け」
わたしはふいに暖かい何かに包まれた。

あぁ、やっぱりいい匂いがする。

わたしの鼓動と彼の鼓動、耳に届いているのは一体、どちらのだろう。

優しく重なる気持ち。
「お前、いい匂いだな」
「えっ?」
「もう一回…」

言葉はもういらなかった。
熱くて甘い夜のお話。











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