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大谷翔平選手主演映画「いけ、いけ、大谷~炎の絆」シナリオ企画(続編)


騒然となった移籍の記者会見

 衝撃の電撃移籍。
 各球団、マスコミとファンのすべての予想と期待が外れた。関係者は騒然となり、マスコミは真相究明に血眼となり、ファンは呆然とした中、大谷翔平選手の記者会見が開かれた。
 球団事務所ではスペースが足らないため、地域のホテルのロビーを借りきって、臨時の記者会見が開かれようとしている。
 大谷選手の横には、あのオーナーが身を縮めるようにして座っていた。オーナーにとって、これほど居心地の悪い場所は、かつてなかったであろう。
 会場の険悪な雰囲気。糾弾されるような緊張でオーナーは、うつむいたままだ。
 大リーグ最弱のチーム。勝つ見込みのないファンも見放したチーム。毎年地域の期待は裏切られ、地域のお荷物でしかない球団。選手もファンも、夢も希望もないチーム。
 大谷選手は野心を捨てたのか。一体何が決断の根拠なのか。本人から納得のいく説明を聞かなければ、記者たちは帰るわけにはいかない。
 猛烈なフラッシュ。数えきれないほどのマイク。床にしゃがむ者、座る者、中腰の者。会場のすし詰めの中で、押し合う報道記者たち。
 大砲のようにカメラのレンズが並び、周辺でキーボ激しく激しく打ち続ける音。叫ぶ声、怒鳴る声、制止する声が天井に響く。
 ホテルの周りは、野球ファンとやじ馬で埋め尽くされ、この地域ではありえないようなイベント状態になっていく。
 警察は総動員されて、交差点で交通整理をし、渋滞した車は立ち往生している。中には群衆の圧力で怪我をしたり、呼吸困難になり気を失って、なんとか人混みをかき分けながら担架で運ばれていく者もいた。
 記者会見が始まった。
 オーナーの説明に、会場の一同は愕然とする。こんな契約条件で何故このチームが選ばれたのか。オーナーの弔辞のような陰気な声。
 記者の頭は困惑して揺れ動く。
 他の球団に比して、あまりにも笑止千万な条件提示。ただ弱小球団の裏側をさらけ出したに過ぎない。
 オーナーの説明では、謎は深まるばかりだった。
 質問の刃は、大谷選手に集中し始めた。
 通訳が「すべての質問には、あとでまとめて本人から回答します」と宣言した。
 記者たちは、言いたい放題の質問をすることになり、球団側は必死にメモをとり続けるばかりだ。
 大谷選手は静かに頷き続ける。時に通訳と小声で話し、また、振り返ってはオーナーと話し合っている。大谷選手の顔色に変化はない。
 記者たちは、自分の声に興奮し、他の記者の質問に熱くなる。こうして、30分が過ぎた。
 皆が疲れ切ったころ、質問は打ち切られた。
 大谷選手の発言の番が来た。
 会場は一瞬で静まり返った。
 大谷選手はメモの束に目を通した。軽く頷いた。
 通訳の声。
「大谷選手はすべての質問に、一言で回答すると申しております」
 会場がどよめいた。
「なんだって、俺たちをなめているのか」
「いったい、どういう意味だ」
 会場が注目する中、大谷選手は、メモを机の前においた。
 ゆっくりと一人一人の記者の顔を見回した。
 静寂が支配した。
「決断の根拠を申し上げます」
 ホテルの外のファンも黙り込んで、ホテルの中を窓越しに覗き込んでいる。
「私は提示された条件で、このチームを決めたわけではありません」
 大谷選手の声は静かだった。
 微笑みを浮かべた。
「私を『最も必要としているチーム』だと判断したのです。『自分を最も必要としているチームで、自分を生かしたい』ただそれだけです」
 大谷選手の声は力強く断固としていて、剣豪のような気迫に満ちていた。声は会場のすみずみまでよく通った。 
 記者たちは、互いに顔を見合わせた。しばらく質問する声もなかった。
 突然、日本のスポーツ紙の記者が、猛烈に記事を打ち始めた。そこには、こう書いてあった。
――無欲の決断
 各記者たちも、先を争うように猛烈にキーボードを叩き始めた。
 以後、何を質問しようと、大谷選手の回答はシンプルに同じ言葉を繰り返すだけだった。一切の小細工もない。
 冒頭の一言を繰り返すだけであった。

ロッカーはあるのか


 あらゆるファンの期待を裏切り、各球団の有利な条件を捨てて、大谷選手は古巣エンゼルスに感謝しつつ去って行った。
 エンゼルスは混乱し、困惑し、苦悩する。
 いったいどうやって、大谷選手の抜けた穴を埋めるのかと。ファンから責められ、マスコミからは厳しい指摘を受ける。
 反対に、移籍先の球団は竜巻に巻き込まれた状態。優勝をしてもいないのにパレートじみたイベントが開催され、空騒ぎをしては、こちらもやはり混乱の極致になっていた。
 そんな中、大谷選手は練習のために球場に訪れた。
 キャプテンと二人で記念写真。
 各選手たちとの握手と交流。マスコミの前では、新しいチームメートは、皆、にこやかにフレンドリーな雰囲気を演出する。
 ところが、部外者のいないロッカーでは、逆だった。
 誰も大谷選手には近づかない。
 大谷選手の両側のロッカーは空いており、皆、隅でそそくさと着替えるばかりだった。
 大谷選手は、選手たちの表情から、すべてを理解した。歓迎されていないのだと。どの選手も「最悪だ」という顔をしている。まるで葬式のように悲し気で蒼ざめて無気力だった。
「どうせ、一年だけだろ」
 誰かが小声で呟いた。
「彼にとっては遊びさ。もう十分稼いだからな」
 と、ロッカーの鏡を覗いては、髪の毛を整える選手の独り言。
「勝手にしろ」
 すみで、吐き捨てる声。
 こうして、選手たちは着替えると、さっさとグランドに出て行った。
 あとには、大谷選手と通訳だけが、残されているばかりだ。
 大谷選手は予想していたのか、軽く通訳に頷くと、新しいチームの帽子を深くかぶった。
 通訳の肩を叩いた。
「さあ、僕らもグランドに行こう」

大谷選手は変わらない 

 弱小球団での大谷選手のふるまいは、まったく今までと変わらなかった。
 一人一人のファンにサインしては、ボールボーイに声をかける。
 グランドでは、けっしてラインを踏まず、地面のゴミを拾ってはズボンのポケットに入れていく。
 各選手には、声をかけてジョークを言う。返事が返ってこなくても、一向に気にしない。一方通行でも、笑顔は相変わらずだ。
 チームのキャプテンは、陰気にもツィッターで大谷選手を批判して、炎上する。「彼は別の人間だ」と。「大谷のチームになるなら、おれは引退する」とも。
 キャプテンは反大谷派を作ろうとしていた。仲間を募り、球場の近くの居酒屋で騒いでは、「俺たちを舐めるなよ」と叫んでいた。弱小チームでも、長年支えていたのは、俺たちなんだと。
「試合で勝っても、全部、大谷のおかげになってしまうぞ」
 これがキャプテンの口癖になった。
 グランドでは、皆委縮して大谷選手と距離を取り、大谷選手との接点を最小にしている。大谷選手より遅れて練習場に来ては、先に返ってしまう。
 誰も大谷選手とキャッチホールの相手をしようとしない。仕方なく通訳に頼まれては、嫌な顔をして山鳴りのボールを放るばかりだった。
 ただし、予想通り、大谷選手の力量の凄さには目を見張るものがあった。練習とはいえ、打球は場外に消える。ピッチングでは、ストレートがキャッチャーのマスクを直撃し、変化球はキャッチャーのミットをかすめていく。打っても投げても、音が違った。しかもスライディングがうまかった。
 やる気を失った選手にも、野球人の本能がある。
 凄い音を聞くと、思わず振り返り、ときには見とれてしまう。
 大谷選手の無言の練習は続く。決まった精密なルーチンワークに、徐々に何人かの選手が関心を持ち始めた。じっと観察しては、感心する。時には、トレーニング方法を聞きに行く者も出てきた。
 こうして選手たちの中から、一人二人と大谷選手に心を寄せる者が出始めた。

大谷選手の原点

 大谷選手には、コーチはいない。監督も、無関心を装う。だが、戸惑いは隠せない。監督はまさか大谷選手が移籍して来ようとは思わなかったので、何も育成計画はたてていなかった。
 ある日、練習試合の後で、大谷選手が各選手が着替えている中、ロッカーに入った。
 何人かが振り返った。
 地元生え抜きの若い選手が、突然話しかけてきた。
「どうして、日本から大リーグに来たんだい」
 キャッチャーだ。すでに大谷選手のボールで指を痛めていた。胸の前で、キャッチングで痛めた指をさすり続けている。この生え抜きの選手は、大谷選手のボールが捕球出来ないために、死に物狂いになっているうちに親しみを感じたらしい。 
 大谷選手は目に細めて、うれしそうな顔をした。
 子供の頃の思い出を語り始めた。
 通訳が補足していく。
「お父さんとプロ野球を見に行ったんだ。小学校の二年生の頃かな。試合前の練習を見ていたら、凄い大きな選手がいたんだよ。大リーグから来たんだって。でも白髪頭。デブで、誰よりも足か遅くて、グランドを足を引きずるように走っていた。お父さんの話しでは、若い頃は大リーグで活躍したんだけど、もう40歳を過ぎていた。でも大リーグで引退ではなく、日本で最後の野球をやりたいって来日したんだ。その選手はね、一生懸命走るキングコングみたいだったよ。僕は、どうしてか、その選手の練習ばかり目で追いかけた」
 大谷選手の思い出話は続く。
「試合でも、その選手は三振ばかり。でも、真剣なのは、僕にもわかった。チャンスで打てない。もう、球場では野次ばかり。みんな怒っていたね。アメリカに帰れとか、契約金泥棒とか、日本の野球をなめるなよなんてね」
 大谷選手は遠くを見た。
「でも、その元大リーガーは、空振りしては悔しがり、ゴロを打っては必死になってファーストに走る。結果がダメでも、必死なのが伝わって来たよ。三振してバットをへし折ったことがあったっけ。あわてて、バットの破片を拾ってベンチに帰って行ったな」
 大谷選手はチームメートを見回した。
「試合の後で、僕とお父さんは球場の外で、あの選手を待っていた。選手たちが専用バスに乗るまでに、なんとか合いたいと思ったんだ。次つぎと日本の人気選手が球場から出てきた。ほかのファンは人気選手のほうに走っていった。残ったのはお父さんと僕だけ。最後の最後に、球場からあの選手が出てきたんだ。ファンは誰も振り返らない。背を向けたままだ。でも、僕はお父さんの手を引っぱって、その選手に声をかけた。その選手の前で、マジックインキを差し出して、僕はシャツの胸をつきだしてサインをねだったんだ」
「その選手はびっくりしてね。自分を指でさして『ミー?』と言ったよ。『俺でいいのかい』ってね。赤ら顔の見上げるような大男だ。僕は、うんうんと頷いたら、すっごく嬉しそうな顔をしたっけ。赤ちゃんみたいな笑顔だ。その選手はシャツにサインした後で、右手の親指を立てた。『ホームラン、OKね。youのためにね』と。変な日本語で約束してくれた」
 こんなふうにと、大谷選手は右手で親指を立てた。
 チームの皆が大谷選手の指を見つめた。
 キャプテンも。
「次の試合。僕だけは応援したよ。その外国人選手を。でも、三打席連続三振。僕の方をちらっと見たような気がした。そして最終回。打順はあの選手。負け試合だった。球場は『代打、代打』って大騒ぎだ。ベンチで監督とコーチが話し合っている。でも、あの選手はバッターボックスに向かっていった。素振りが今までとは全然違っていたよ。何か昔の感覚を思い出したようだった。振り切ると、バットが見えないくらいだ。そうして、ついに一発が出たんだ」
 選手たちは、全身で大谷選手の声を聞いている。
 大谷選手は、バックの底をひっかきまわした。
「あとで、お父さんに聞いたのは、その選手は日本に来る20年ぐらい前に2回大リーグのホームラン王になったんだって。昔はすごかったんだね。通算で300本を上回っているとも。でも、今は全然ダメなのに、引退しない。周囲が引退を進めても諦めない。もう契約をしてくれないと分かった時に、日本に来たんだって」
 大谷選手はバックの底から、なんと子供用のシャツを取り出した。小さな古いシャツを、大谷選手は嬉しそうな顔をして皆の前で広げた。
 5人ほどが、近寄って覗き込んだ。
 そこには、あのもと大リーガーのサインがあった。シャツの上を、軽快に走り回っているようなサインだった。
「僕のお宝だ。その選手がくれたお宝を、今度は僕がファンのみんなにあげる番だ。君たちにだって、そんなお宝はあるんだろう」
 大谷選手は見回した。
 キャプテンがさっさとロッカー室の外に出て行くと、いっせいに他の選手も後に続いてドアの外に姿を消した。
 でも残った五人ほどは顔を見あせて、いつまでもそのシャツを見入っていた。

僕の「宝」とは何か

 大谷選手の話の後で、一人一人が、野球のきっかけや、大リーグに夢を持ったときの思い出を、ぽつりぽつりと話し始めた。
「すっかり忘れていたよ。過去のことは終わったことさ。でもそういえば」
「プロの世界なんて、何も知らなガキの頃のことだな。でも似たことが」
「俺の体験たって、よくある話さ。たいした話じゃないけど、まあ、少しは」
「思い出せねえなあ。なんかあったんだろうけど。金かなあ。スラムを抜け出すことばかり考えていたな。でも、古ぼけたテレビには、あこがれの選手が映っていたけどね」
「俺が馬鹿だったのさ。大好きな選手に興奮しすぎて、サインをもらい忘れてよ。思い出すと、なんだか今でも悔しくなってきたぞ」
 こんな前置きをしながら、それぞれの原点を語り始めた。
 この日から、大谷選手の周りに、少しずつ選手が集まり始めた。まるで大谷派が増えていくようだった。でも、大谷選手は気にも留めない。誰にでも、気軽に声をかけていく。
 チームは、オープン戦では結果が出ない日が続く。
 各選手は気にしていないようだった。大谷選手が、気にしていないのだから。大谷選手は目先の勝負より、自分のコンディション調整に徹している。そんな大谷選手に見習い、各選手は自分の課題に目を向けていた。
 徐々に、選手の意識が変わり始めた。

「原点」への旅

「原点まわりをしよう」
 休日のこと、生え抜きのキャッチャーが、大谷選手に提案した。
 そこで、他の選手と大谷選手は、遠征のたびに、休日のたびに、順番にそれぞれの思い出の場所に寄るようになった。
「ここが、僕のいた小学校さ。このグランドに僕の思い出がいっぱい詰まっている。厳しい先生がいてさ。勉強じゃ一度も誉めてくれなかった。でも、一回だけ、このグランドでダブルプレーをしたら、涙浮かべて喜んでくれたっけ」
「ここの広場で、初めて野球をやったんだ。隣の家から、ワールドシリーズの実況中継が聞こえてきた。俺たちの草野球も、ワールドシリーズごっこになっちまった。みんな大リーグの好きな選手になって、広場を走り回ったんだ」
「この丘に立つと、『大リーガーになりてえ』って、叫んだのを思い出したぜ。ほら遠くに野球場が見えるだろう。いつかあそこでプレーしたいってな」
「このグランドでさ、でっけえファールを打ったんだ。グランドの隣の家に打ち込んで、窓のガラスを割っちまったんだ。パパと謝りに行ったよ。そうしたら、そこの親父さんが俺の頭をなでてくれた。『こんなところに打ち込んだのは、君が初めてだ。将来大リーガーになれるかもしれないぞ』なんて言ってくれた」
「高校生の頃だ。試合の前日に彼女に振られてさ。頭にきて、試合でバットを振り回したら、二打席連続本塁打だ。それから俺のチームは勝ちまくりさ」
「この学校で、始めてピッチャーをやったら、相手のバッターがバットを振り回してもボールが一球も前に飛ばないんだ。俺は真ん中に投げるだけさ。相手チームは興奮して、なんとバックネットの裏に集まって『あんな球、見たことないな』なんて騒いでいるんだ。その日、なんとノーヒットノーランさ」
 ついにシーズンが始まった。
 なんと、チームの快進撃が始まった。
 地区リーグのダークホースになった。
 始めは、生まれ変わったような選手の動きに、地元ファンは戸惑うばかりだった。どうやって、応援しようかと。
 戸惑いは、徐々に期待に変わり、喜びの叫びをあげるようになった。
 閑古鳥が鳴いていた球場に、観客が戻り始めた。
 居酒屋では、テレビに熱中して応援するファンが集まっていた。

キャプテンの激白

 大谷選手との思い出話に、いつの間にかみんな加わっていく。
 だが、一人だけ、加わらない者がいた。
 キャプテンだ。
 反大谷派は崩れた。といっても、もともと結束というほどの絆のない集団だ。その時の気分で、メンバーは流れていくだけだ。
 キャプテンだけは、変わらない。むしろ、目立つようになってきた。
 みんなは、キャプテンのことを「なんで意固地になっているのかな」と思うばかりだった。せっかく勝てるようになったのに。キャプテンだけがチームの雰囲気にのれていないよと。
 みんなは思った。大谷は、やっぱり「いい奴じゃないか」と。
 シーズン半ば。
 ついに大谷選手が、ロッカーの前でキャプテンに声をかけた。
「キャプテン。あなたの話を聞かせてください」
 全員がキャプテンを見た。
 帰ろうとするキャプテンを、キャッチャーの生え抜きの選手が止めた。
「僕も聞きたいです。お願いします」
 キャプテンは振り返って、みんなを見回した。
「ないよ。何にも、ないよ。俺にはね」
 そんなはずはないでしょうと、みんなは首を振る。
 ないと言われれば、かえって聞きたくなるもの。隠しているものが、きっとあるのだと。
 キャプテンは険悪な顔になった。
「ねえと言ったら、ねえんだよ。そこをどけ」
 キャッチャーが首を振った。
 今やこのチームの問題は、このキャプテンなのだ。何とかしたい。キャプテンは、本当は素晴らしい選手なのにと。
「どきません。今日はあなたの話が聞きたい。聞くまでは、ここをあけません」
 キャッチャーの断固とした声。
 大谷選手の顔から笑顔が消えた。瞬きせずに、キャプテンを見つめている。
 大谷選手が静かに言った。
「話したくないことが、あるんですね。私のせいでしょう。ならば、私だけ先に帰りましょうか。みんなには別でしょうから」
 大谷選手は悲しそうな顔をした。自分にだけは心を開かないキャプテン。
 残念だ。でも、チームの皆は、聞きたがっている。自分が邪魔なら退こうと。
 大谷選手は立ちあがり、足元のバックを左肩にかついだ。
 キャプテンの低く抑えた声が、ロッカー室に響いた。
「じゃ、話してやろう」
 キャプテンは鋭い視線で大谷を睨んだ。
「俺はな、二刀流が夢だったのさ」
 声が震えた。
 怒りなのか、悔しさなのか、悲しみなのか。
「その夢を大人たちにつぶされたんだ。監督、コーチ、スカウト。出会う者すべてが、『バッティング一本に絞れ』とな。甘い夢も希望も捨てろ。現実を見ろ。お前の通用する道はこれしかないとね。恩着せがましく『これはお前のためのアドバイスなんだ』ってね」
 キャプテンは、顔をしかめて、つばを飲み込んだ。
「もう俺は歳だ。野球人生は終わろうとしている。不燃焼のままに20年が過ぎてしまった。俺を抑えつけた大人たちは『ほら、俺の言ったとおりだろ』って顔をしている。まったくぶっ殺してやりてえよ。そんな奴ら。そんなときに、大谷、お前が来たんだ」
 憤然としたキャプテンの声だった。
 いつもはみんなをまとめ元気づける男が、大谷選手と関わると別の人間になる。
 キャプテンの怒声が響き渡った。
「わかったか。おい、そこをどけ。俺は今季限りで野球をやめる。大谷、俺はな、お前が憎いんだ」

シーズン終盤、大事故が

 チームの快進撃が続いた。
 終盤戦。
 大リーグ最弱チームの変身を誰もが大谷の功績と称賛した。だが、良いことは続かなかった。
 3番大谷がファーストランナー。セカンドへのゴロ。セカンドがショートにトス。
 大谷選手の猛烈なスライディングの上にショートが落ちる。二人は激突してもつれた。ボールはファーストへ。セカンドはアウト、ファーストはセーフ。
 大谷選手は、グランドにのたうち回る。腿の上にショートの膝が食い込んだのだ。激痛に大谷選手の顔が歪む。うめき声。
 こうして大谷選手は担架で退場する事態になった
 球場は騒然となる。
 すべての記者のカメラが、担架に臥せる大谷選手を追う。大谷選手は両手で顔を覆っている。
 こんな姿は初めてだった。
 バッターボックスには4番、あのキャプテンだ。
「おい、大丈夫か」
 キャプテンは、横を運ばれていく大谷選手に声をかけた。
 しばらくして、試合は再開。
 ところが、またしても、事故が。いや、故意か。
 キャプテンの顔面を剛速球が襲った。キャプテンは転倒して気絶した。キャプテンも担架で運ばれる事態になった。
 球場は騒然となった。
 一部ファンが暴れ出す。試合はしばらく中断した。
 試合は結局3番4番の主力を欠いたまま負けてしまった。すべては明日の最終戦に持ち越され、優勝を賭けることになった。

優勝の行方は最後の勝負で

 最終戦。
 球場の内外に膨大なファンが集まった。
 球場だげでなく、周辺のビルも窓から球場を覗く。屋上にも人が集まり、望遠鏡を構えている人もいる。
 お祭りではない。戦場のような険悪な雰囲気だった。
 誰もが厳しい顔をしている。なにしろ優勝を争う二つのチーム。この日の勝負で地区リーグの優勝が決まるのだ。
 一方がワールドシリーズへの道が開かれれば、一方は絶望が待っている。かつてない異様な雰囲気の中で、前日の事件を引きずりながら試合は始まった。
 なんと、大谷選手とキャプテンがベンチの中にいた。
 大谷選手のユニフォームのズボンは、右足が異常に膨らんでいる。ギブスでもはめているのか、痛々しかった。
 キャプテンはというと、右目に眼帯をしている。顔の右側が青くはれ上がっていた。
 二人とも、無言のままに、グランドを睨んでいた。二人の前に出場する選手全員が集まった。
 監督の檄が飛ぶ。
「お前たちの本当の力を見せてやれ。勝ちあるのみだ」
 こうして、前評判が最弱のチームが、3番、4番を欠いたまま、優勝を決定する試合が始まった。
 逆転、また逆転。
 シーソーゲームの中、同点で迎えた最終回の裏。
 ツーアウト。ランナー無し。
 大谷選手が監督に声をかけた。監督の驚いた顔。大谷選手の足を指さして「大丈夫か」と。「一振りなら」と大谷選手の口が動いたように見える。
 通訳も首を縦に振る。
 こうして、ついに「代打大谷」が告げられた。
 球場の観客は総立ちとなった。いや、騒ぎは球場の外も同じだった。全世界同時中継。
 ピッチャーマウンドに相手の内野手が集まった。
 互いに頷いている。
 大谷選手は足を引きずりながらネクストバッターズサークルへ。だが、一度も素振りをしない。剣道のようにバットを持って青眼に構え、何事か自分に言い聞かせているようだった。神に祈っているようにも見えた。
 ついに試合は始まった。
 キャッチャーが大谷選手の足元を見つめる中、大谷選手は足を引きずりながら、やっとのことでバッターボックスに立った。
「足はどうだい?無理をするなよ」
 キャッチャーはマスク越しに大谷選手に声を掛けた。
 大谷選手は振り返った。キャッチャーに不敵な笑みを浮かべた。
「こんな傷、大したことはない」
 大谷選手はバッターボックスで一切の手順をやめて静かに構えた。
 ピッチャーがさぐりを入れるボールを投げた。
 大谷選手は反応しない。
 ついに、スリーボール。ツーストライク。
 球場は静まり返った。
 止めのスライダー。
 バットが一閃。スィングそのものは、あの本来の大谷スィングだった。
 ボールは高く舞い上がる。外野手の遥か頭上を越えていく。左中間スタンドへと吸い込まれた。
 球場は爆発した。
「奇跡だ」
 たった一振りで決めてしまった。
 だが、大谷選手は、バッターボックスにうずくまる。
 審判、監督、コーチ、敵味方。その集まる中に、しゃがみ込む大谷選手。
「代走だろ」
 審判の声。
 大谷選手が首を振った。
「行きます」
 立ち上がると、バットを杖にして、ファーストに歩き始めた。
 なんども周囲が「代走だ」と叫ぼうと、大谷選手は「自分の仕事です」と言いきり、足を引きずり続けた。
 歓喜は悲鳴に変わった。
 今までこれほど痛ましく弱々しい大谷選手の姿はなかった。
 でも、大谷選手は周囲の声を振り切るようにファーストでバットを置いて、セカンドに向かった。
 立ち止まり、膝をつき、また、立ち上がる。
 球場はいつの間にか、敵も味方もなくなってきた。
 みんなが、優勝を忘れて、大谷選手に声をかけようとする。大合唱になっていく。
 セカントやショートが駆け寄った。
「やめろ、試合は終わりだ。俺たちの負けだ。代走にまかせろよ。取り返しのつかないことになるぞ」
 大谷選手はセカンドを回った。
 敵の選手が大谷選手の周りに守るように集まる。
 大谷選手の息が苦しげだ。
 足を叱咤しては、一歩、また一歩と、サードに向かう。遠い遠いサード。遙か先のサードベースへ。
 そこに眼帯をした一人の男が立っていた。キャプテンだ。
 キャプテンは腕を振った。
「大谷、大谷。カモン、大谷」
 キャプテンの叫ぶ声に引っ張られるように、大谷選手はサードに近づいていく。
 コーチが、監督が、審判が。
 足は腫れ上がり、おそらく内出血していることだろう。あの猛烈なスィングに耐えられるはずはない。
 ついに大谷選手がサードのベースを踏む。
 見方の全選手も集まる。泣いている者もいた。あのキャッチャーだ。
 キャプテンが大谷選手に近づいた。
「大谷、俺に代走をやらせてくれ。二刀流の神の道をふませてくれ。俺の気持ちが分かるのは、お前だけだ。これで、俺の悔いはなくなる。二刀流への未練はなくなる。頼む。どうか俺の苦しみを救ってくれ。お前には明日がある。俺にはない。これでこの試合を、そう大谷と俺の試合も、終わりにしよう」
 大谷がキャプテンに微笑んだ。
「キャプテン。まだ終わりじゃない。ワールドシリーズが待っている。でも、僕のスタミナもサードまでです。最後の道を行くのは、キャプテン、あなたしかいませんよ」
 大谷選手は監督と審判を見た。
 こうして、ついにキャプテンが代走についた。
 眼帯をしたキャプテンが、騒ぎ続けるチームメートの前を、ホームベースにゆっくり向かっていく。
 チームメート全員の見守る中で、ついにキャプテンがホームベースを踏むと振り返った。
 チームメートに両脇を抱えられた大谷選手が数メートル後ろにいた。
 キャプテンは右手を突き上げ、大谷選手が好きだったあの元大リーガーのように親指を立てた。
 大歓声。
 仲間が抱き合う中で、大谷選手は担架に腰を下ろした。その顔には前日の苦悶の表情はなかった。みんなとともに、笑顔で親指を突き上げている。
 監督が大谷とキャプテンの肩を叩いて、ふとベンチを見た。
 そこにオーナーが、一人座っていた。
 オーナーは監督の辞表を掲げると、きれいに破いてしまった。破いた紙をオーナーはポケットにしまい込んだ。ほかに紙ゴミを落とさなかったかと、足下を見回した。あの大谷選手のように。
 こうして、弱小球団は新しい歴史の扉を開いた。
 大谷選手とともに。全選手が大谷選手の元に集まった。その真ん中に、キャプテンがいた。
 仲間の選手たちのまわりを、敵の選手たちも心配げに見守っている。
 大谷選手が手を上げた。
「大丈夫だ」
 選手の向こうのファンたちに、手を振って叫んだ。
「さあ、ワールドシリーズへ行こう」

 お・わ・り

 すべて創作ですので、あしからず。

 





  

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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